高校、大学、独立リーグ、夢へ向かって成長のカーブを上昇させた又吉克樹
甲子園も、プロ野球も夢のまた夢
又吉克樹は、沖縄県浦添市出身。県立西原高校時代に内野手から投手に転向した。しかし西原高校は、バレーや女子バスケットボールでは全国的な強豪だが、野球では無名。又吉の在籍中も3回戦進出が精一杯、甲子園は夢のまた夢だった。
卒業後、岡山県のIPU環太平洋大学に入学。この大学は、2007年に新設された歴史の浅い大学だが、スポーツを大学の柱にしようとしていた。
又吉自身は野球を続ける意志が強かったが、高校時代の実績は皆無。両親は野球を続けることに反対した。又吉は「体育の先生になるから」と親を説き伏せて大学に入った。大学でも硬式野球部に入って野球をしていたことは、親に内緒だったという。
高校時代には身長は160cm台と小さく、球速もなかった又吉だが、この時期に身長が10数センチ伸び、球速も140km/h近くに達した。
IPU環太平洋大学硬式野球部は、設立と同時に中国地区大学野球連盟に加入。新興チームだったが、すぐに中国六大学リーグの有力校になる。
又吉は、2年生から公式戦に出場。2年春のシーズンには防御率1位を獲得。リーグ初優勝にも貢献した。
打線の援護がなかったために大学通算は13勝18敗と負け越したが、中国地区屈指の投手と目される存在になった。
しかし、2012年のNPBドラフト会議では、又吉の名前が呼ばれることはなかった。
一部のスカウトは、又吉の存在に注目していたが、球速が遅く、投球内容も平凡だという評価だったようだ。
四国アイランドリーグplusに入団したころからモノが違っていた
野球を続けたいという強い意志を持つ又吉は、両親を説得し、高知での四国アイランドリーグplusのトライアウトを受ける。
IPU環太平洋大学からは、2年先輩の尾中博俊、亀澤恭平が、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズに進んでいる。野球で身をたてることを志す又吉には、独立リーグは当然の選択肢だったのだろう。
2012年12月8日、高知市野球場で行われたトライアウトに参加。58人の受験者の中で、二次試験免除で入団を許される特別合格者10人に選ばれた。この顔ぶれの中では、ずば抜けた存在だったのだ。
又吉は、尾中、亀澤亮先輩と同じ香川オリーブガイナーズに入団した。
当時の又吉を知る球団関係者は語る。
「彼は入団時からモノが違っていました。挨拶もしっかりできるし、身の回りのこともきちんとこなせる。野球しか知らない”野球馬鹿”ではありませんでした。自分が何をすべきかを知って、それを実行したという印象ですね」
又吉はIPU環太平洋大学時代、寮で自炊をしていた。料理は得意で、レパートリーもたくさんあったという。また、野球に役立てるために他のスポーツも経験していたという。
指導者の言うことをうのみにするだけの選手ではなく、自分の意志で学び、生活を律することを知る若者だったのだ。
残念ながら野球プロパーの選手の中には「野球さえしていればいい」と思うような若者もいるが、又吉克樹はそうではなかったのだ。
ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団
香川オリーブガイナーズは、四国アイランドリーグplusでは、常勝チームとして知られる。西田真二監督は、毎年のように変わるメンバーをうまくまとめて、常に選手の力を引き出してきた。
又吉はキャンプ中から頭角を現し、シーズン開幕戦の4月7日、徳島インディゴソックス戦に先発、6回4安打2奪三振無失点で初登板初勝利を飾った。
高校時代に又吉克樹は3クオーターからサイドスローにフォームを変えている。大学時代はまだ試行錯誤の段階だったが、急速に体が大きくなり、身体能力が向上するとともに、球威が増した。
大学時代を知るスカウトは、「四国アイランドリーグplusで投げるようになってから、投球が見違えるようになった」と話す。
サイドスローから繰り出す速球は148km/hに達したが、打者はその球速以上に「速さ」を感じた。
球に切れがあり、初速と終速の落差が少なかったからだ。打者の手元でぐんと伸びるような印象を与えたのだ。
また、又吉の大学時代を知る関係者は「大学時代より楽しそうに投げていた」と話す。
「プロなんて夢」という下積み生活からようやく頭角を現し、プロ野球選手として投げることの喜び、打者と勝負する愉しさを実感したのかもしれない。
香川オリーブガイナーズでの又吉克樹の成績は、24試合に登板して13勝4敗、防御率1.64、最多勝、最多完封、防御率2位と言う素晴らしいもの。年間MVPにも選ばれた。
この年のドラフトで指名されるのは確実と思われたが、10月24日のドラフト会議では、中日ドラゴンズから2位指名を受けた。
これは四国アイランドリーグplusの選手としては最高位の指名。契約金6000万円、年俸840万円(いずれも推定)で入団が決まった。
四国アイランドリーグplus出身の選手はドラフトで指名された契約金の10%を、球団に還元することになっている。又吉の上位指名は、香川オリーブガイナーズにとっても大きな収益になった。
リーグを代表するセットアッパーに
2014年のシーズン、オープン戦で好投したこともあり、又吉は即戦力とみなされた。
開幕2戦目、3月29日の広島戦、30,778人の観客が詰めかけたナゴヤドームで、又吉は7回のマウンドに上がり、2イニングを奪三振3の無失点を記録した。マウンドに上がった時点で1-3の負け試合ではあったが、又吉はNPBで通用することを証明したのだ。
又吉の球を受けたのは、兼任監督の谷繁元信。「これは使える」と確信した谷繁監督は、又吉を救援投手として起用した。
4月は防御率5.71、大量失点もあったが谷繁監督は辛抱強く使い続け、シーズン後半には、セットアッパーとしての地位を確立した。
球速は151km/hを記録。奪三振数は81イニングで104個。リーグ屈指の奪三振率だった。
この年のセ・リーグ新人王は10勝8敗防御率4.05の大瀬良大地だった。大瀬良は先発投手であり、イニング数は151回。救援の又吉はこの点で見劣りしたが、9勝1敗2セーブ防御率2.21の成績は見事の一言だった。
翌2015年、又吉は登板過多の影響もあって、やや成績を落とした。チームとしても負担を軽減するため、イニングまたぎや連投を避けるなどの配慮をし、2016年は再び防御率を2点台に戻した。
3年連続60試合以上登板。今や、チームの「勝利の方程式」を担う主力選手の一人だ。
「四国はレベルが高いぞ」又吉の活躍で変わった評価
又吉克樹が高い指名順位で入団し、期待にたがわぬ成績を残したことで、NPBの各球団は、四国アイランドリーグplusのレベルの高さを知った。
多くのスカウトが四国にやってきて、選手たちを注視するようになった。
翌2014年のドラフトでは徳島インディゴソックスの入野貴大がドラフト5位で楽天に、同じく山本雅士が8位で中日に、香川オリーブガイナーズの寺田哲也が4位でヤクルトに入団している。
これまで独立リーグ出身の選手は、育成枠で指名されることが多かったが、又吉の活躍で、より高く評価されるようになったのだ。
そういう意味では、又吉克樹は四国アイランドリーグplusを離れても、古巣のリーグ、チームに貢献していると言える。
又吉克樹の人柄をあらわすエピソードがある。
又吉が中日ドラゴンズに入団した2014年、古巣の香川オリーブガイナーズは、4月12日に、レクザムスタジアムで、徳島インディゴソックスと本拠地開幕戦を行った。
この日に又吉は「祝開幕戦」と書かれた花輪を送っている。
たった1年だが、育ててもらった恩を忘れず、古巣の開幕を祝福したのだ。
自分自身がこれからプロでやれるかどうかわからない、大変な時期だったにもかかわらず、彼はそういう気配りができたのだ。
又吉の花輪は球場に入り口に誇らしげに飾られた。
「又吉克樹は、人間的にも素晴らしかった。だからNPBでも活躍できたんでしょう」
球団関係者は、感動の面持ちで語った。
今季はロングリリーフで活躍しているが、先発転向の可能性もある。又吉は香川オリーブガイナーズ時代は先発投手としての経験もある。
オープン戦で実績を残し、又吉克樹は新しい挑戦をする。
又吉克樹キャリアSTATS