大阪の高校野球を練習試合から支える 75歳の審判、尽きぬ情熱

 大阪は高校野球において全国有数の激戦区だ。そんな大阪の地で長年、審判委員として携わり、定年で退いてからも15年、大阪桐蔭をはじめとした強豪校を中心に練習試合で審判を務め続けている人物が大嶋良行氏だ。審判という立場から高校野球が語られることは少ない。そんな大嶋氏が語る高校野球においての審判の役割、練習試合を多数こなす大阪桐蔭の審判の立場から見る強さ、そして、高校球児の今と昔の違いなどを語ってもらった。

暑さに負けず。生涯挑戦の熱血審判

「プレイ!」

 5月某日、大阪府堺市の大商大堺高のグラウンドにややしゃがれつつも覇気と熱気のこもった声が響く。この日は同校グラウンドで行われた今春府4強の大商大堺高と府外の高校との練習試合が行われていた。声の主はこの試合の球審を務める大嶋氏のもの。

「球審の時、どこに向かって声出してると思う?そう、スコアボード。スコアボードっていうのは音声を跳ね返す。響きですわ。それで今日の元気度が測れる。」

 来年には喜寿を迎えるが、今でも気持ちでは負けないようにと全力疾走を欠かさない。対外試合期間中は春先の寒空の下や真夏の炎天下でそれを一試合まるまる、多い時は1日で三試合こなすこともある。今も週末は大阪府内の高校の練習試合の予定で埋まっており、時には平日の放課後のナイターにも駆けつける。

「それはひとつのこだわりであって、いろんな面でお役に立ててるという気持ちね。その気持ちがないと、こんなことできませんのでね。75歳のおっちゃん、言うたらおじいちゃんが真夏の炎天下で高校生相手に走り回ってるんだから。考えられないと思う。」

 大嶋氏は自分が審判をやるから試合が回るという思いはなく、あくまで「やらせていただいている」という風に捉えている。高校野球の審判という舞台を用意してくれた大阪府高野連への恩、府内の高校が今もなお練習試合の審判として呼んでいただけること、それを高校生たちの何かをやり遂げるというお手伝いをさせてもらえている。そして、その取り組みへのチャレンジ、アタックという挑戦精神が今も炎天下や悪天候のもとでもグラウンドに立ち続ける気力の源となっている。

練習試合で球審を務める大嶋氏。その構える姿に衰えは見られない。

審判という立場から見る大阪桐蔭の強さ

 そんな中でもこの15年は大阪桐蔭の試合を数多く務めている。もともとは前任者の体調不良による代役で急遽、依頼されたもので、センバツ出場を控えた2007年3月の練習試合のことだった。会場は舞洲(現・大阪シティ信用金庫スタジアム)で当時、注目のスラッガーだった中田翔(現巨人)を見ようと練習試合にも関わらず、スカウトやファン、マスコミがスタンドに大勢詰めかけており、異様な空気だったことをよく覚えているという。

 その後、大阪桐蔭は2008年夏の甲子園で優勝したものの、藤浪晋太郎(現オリオールズ)を擁して、2012年に春夏連覇を果たすまで、4年ほど夏は甲子園から遠ざかった。今の大阪桐蔭からは考えられない空白期間だろう。その間の8月には連日のように練習試合が組まれていた。

 もちろん、甲子園に出場している49校以外はこの時期はどこも練習試合を連日のように組んでいる。そうなると、当然、審判の人手が足りない。さらに、それまで一手に引き受けていた前任者がドクターストップがかかったこともあり、「引き続きやってくれないか」と頼まれた結果、生来の一本気な性格も重なり、2008年に審判委員を定年で退いてからも大阪桐蔭の練習試合の球審を務めることになった。そして、今も変わらず、自宅のある大阪市西淀川区から生駒の山の中にある大阪桐蔭のグラウンドまで原付バイクで往復3時間かけて移動する。

 夏の大会前は主力組は招待試合など遠征が多いが、その遠征に帯同しなかった選手たちは大阪に残って練習、練習試合をこなす。大嶋氏はいわゆる居残り組のチームの試合を担当する。この時期は入学したての1年生も数多く起用される。秋の新チームやセンバツ後の春に突然、台頭してくる選手がいるが、大嶋氏からしてみれば知った顔だ。今春に台頭した2年生左腕の安福拓海も「あいつも人懐っこいやつでね~。『今日の僕の球、どうでした?』とか聞いてくるんだよ」と祖父が孫を自慢するような口ぶりで選手を評する。おそらく、大阪桐蔭の指導者、選手などを除けば外部の者で大阪桐蔭というチームをかなり見ている人物といっていい。そんな大嶋氏が語る大阪桐蔭の強さとは。

「大阪桐蔭の強さっていうのはね。個々の選手の素晴らしいものの集まりで試合を構成しながら、勝ち抜いていくパターンができている。あと、何年も見ていて思うのは大阪桐蔭の選手たちはなにせ切り替えが早い。そりゃ、負けた当日はショックだろうけど、気持ちは明日からのことに向いてる。3年生やレギュラー組にとって最大の目標は夏だからね。」

 この発言を聞いたとき、ちょうど春の府大会決勝で金光大阪に敗れ、大阪での連勝が止まった直後のこと。最近の大阪桐蔭は試合、チーム作りにもおいても年々、準備や段取りがよくなってきている。なにせ、ここ10年は甲子園に出ない年の方が珍しい。夏の甲子園に出ると、秋季大会の初戦までの日程が2週間もないということもある。他の高校が8月のはじめから新チームへと移行している中、これは圧倒的に少ない準備期間だ。そのため、大阪桐蔭に限らず、甲子園常連校は前の年度からある程度のチーム作りをする必要が出てくる。秋季大会後にはメンバー外だった選手も含めて参加する通称「生駒フェニックスリーグ」という近隣校との練習試合で実戦経験を重ねていく。その時にはすでに新チーム移行時のイメージを作っている。これはそうせざるを得ないから、必然的にこのようなチーム作りをしているのだろうと大嶋氏は見る。この春、大阪桐蔭が負けたことは大きな騒ぎとなっていたが、周囲の心配をよそに大嶋氏は「打線なんかは水物だからね」と動じる様子はない。その姿勢は近畿大会に初戦で敗れた直後の別日での取材時でも変わらなかった。

今年、夏の甲子園を逃した大阪桐蔭。大嶋氏は「切り替えの早さ」を強さの一つと見る。秋の新チームはまた王者に君臨する戦いを見せてくれるか。(2023年春季府大会5回戦より)

高校野球の審判はただの審判屋になってはいけない

 大嶋氏が高校野球における審判について口癖のように言うこだわりがある。

「我々は審判員ではなく、審判委員だから。」

 ところで、高校野球の審判委員にどうすればなれるかをここで軽く説明したい。地方によって細かいルールは異なるが、基本的には各都道府県の高等学校野球連盟に登録し、そこが主催する講習会を受講する。登録条件は連盟理事、あるいは出身学校の野球部部長の推薦といったもの。特に資格やライセンスなどはない。そして、審判講習会への参加、練習試合などで経験を積んでいき、公式戦で審判をするには約1年、球審を務めるとなると早くて2、3年はかかると言われている。また、教育の一環である高校野球において審判委員はただジャッジするだけでなく、時には高校生を教育する、思い出深いものにしてあげるという部分もある。大嶋氏は「教育というにはおこがましいがね」と言いつつも、自身が思う審判員と審判委員の役割について語る。

「まず、審判員というのは預かった試合の正確なジャッジをすることが使命。審判委員はそれに加えて、自分の理念に基づいて、高校生を導いてあげられるかどうか。それをするためには我々も学ばなければならない。どうしても、失敗や判定ミスをすることもある。結果から何を学べるか。反省を乗り越えて、使命感を持ってやれる人物かどうかが審判員と審判委員の私なりの違いやと思います。」

 高校生にとって最後の夏が審判で負けたと言われないように審判も夏の大会前は講習会などで審判の技術を磨き、複雑なルールなどを頭に叩き込む。しかし、それでも誤審やミスは起きてしまうもの。特に甲子園で審判をする人はただでさえ大きな舞台なうえ、テレビにも映る。全国の人から自分が下す判定を見られているのだ。それほどの大きな責任があり、それを背負うほどの使命感が審判を務める者には求められる。

 そして、今も高校野球の審判をしている者として大事にしている信条がある。それは審判服の左胸部分についているFマークだ。これには4つの意味が込められており、まず初めに「Federation:連盟」、それに加えて、「Fight :闘志」、「Friendship:友情」、「Fair play:正々堂々」の4つだ。大事なものを持っているか、持っていないかで取り組む意識が変わってくる。この4つのうち、どれか一つでも欠ければ審判委員からただの審判になり落ちる。大嶋氏は今もこのFマークに込められた信条を忘れない。

「それがあるからこそ、75歳になってもやっていける。76、77歳になっても私、やり続けてると思いますよ。」

 その精悍な顔つきから発せられた言葉には信念のような「氣」が見えた。

審判の役割、使命について雄弁に語る大嶋氏。語気の力強さには熱気がこもる。

今の高校野球、変わったものと変わらないもの

 長年、審判として高校野球に携わっている大嶋氏だが、現在の高校生と数十年前とで違いはあるのだろうか。よく「今時の子は」とか、気質の変化やコミュニケーションの希薄さといった面を語られることが多いが、大嶋氏は「基本的には変わってないよ」という。その理由を尋ねると、普段の様子はわからないがと前置きしたうえで、

「(高校野球の)選手にとって最終的な目標、目的地が甲子園なのは今も昔も変わらない。彼らにとって甲子園は阪神(タイガース)の本拠地じゃなく、檜舞台だからね。これは変わらないと思うよ。」

 最近は自主性を重んじる風潮が多く、選手ファーストという概念も浸透し、個性が重視される時代となった。しかし、指導者からのトップダウン方式、いわゆるやらされる練習の環境が多数派だった時代でもヤンチャながら個性のある選手もいれば、真面目でおとなしく、礼儀正しい選手も昔から数多くいた。根っことなる甲子園は憧れの舞台でそこをめざして成長、学んでいくという球児の姿勢は今も昔もやはり変わっていない。むしろ、選手よりも大きく変わったのは指導者側の方だという。

「昔はゲンコツとバットだけで指導できたが、今はそういうことが許されない時代になった。指導者には言葉力が必要になり、選手と言葉のキャッチボールができるようになって、一方通行の指導がなくなった。これはいい方向に変わっていると思う。」

 また、暴力や体罰だけでなく、近年は怒鳴り散らす光景も明らかに減っているという。昔は野球だけやってればいいといった考えも指導者や選手にもあったが、多くの指導者が心の部分の成長をよりフォーカスするようになり、その先の人生で生きていけるように体だけでなく心を育てる時代にもなった。

 大阪桐蔭の西谷浩一監督も心の成長をフォーカスする指導者だ。大嶋氏は西谷氏が監督になりたての頃も知っているが、その頃と今で指導法や選手との関係性に違いはあるのだろうか。

「情熱的な指導は基本的には変わってないけど、大阪桐蔭の監督である前に一人の教員であり指導者。まあ、人柄の人物だよね。若い頃から向上心と情熱の塊。それに加えて、今は進路指導も含めた指導力がどんどんスケールアップしていった。」

 特に進路指導においてはほぼ全員がプロ野球だけでなく、大学野球や社会人野球などのトップカテゴリーに選手を輩出している。その中には3年間控え、あるいはベンチ外だった選手も珍しくない。進路先のチーム事情を徹底的に調査し、適材適所を見極めて、その選手が最も活躍できるチームを提示していくという話は何度も他のメディアでも出ており、ご存知の方も多いだろう。このような将来の面倒見のよさも選手が集まってくる要因の一つだ。特に近年は関西だけでなく、東京六大学野球連盟や東都大学野球連盟でも大阪桐蔭出身の選手が多く見られるようになった。先ほど、大嶋氏が言った指導力のスケールアップ、その先の人生で生きていける心を育てる指導者の理想像を体現しているといっていい。ただ、これが基準になると、指導者に求められるものが大きくなり、負担もかかってしまう。

 しかし、大嶋氏は「各々が勉強なんよね」と言うように、時代や風潮が変わっても高校野球が教育の一環で成長の場なのは変わらない。選手だけでなく、指導者や運営をする大人たちも課題や問題が出るたびに学ぶことをやめなければ、高校野球もまだまだいい方向に変化していくことだろう。

 そして、今年も8月6日から始まった夏の甲子園は慶応義塾高の107年ぶりの優勝という形で幕を閉じた。しかし、その間に49代表以外の高校はすでに秋の大会、果ては来年の夏へ向けて、新チームが始動している。大嶋氏もこの8月はその始動と次の目標に向かう球児たちの手助けをすべく、連日、猛暑が続く中、府内各地へ練習試合の審判を務めに原付バイクを走らせた。

「この日の光によって生かされてるからね。太陽からエネルギーを盗んでいくつもり」

 そして、「気こそ全て」――

 大嶋氏は若い頃から今に至るまで、この言葉を支えとしている。

 残暑がなお続くであろう9月以降も週末は練習試合の審判の予定で埋まっている。だが、グラウンドには暑さを凌駕した大嶋氏の気力溢れる熱いジャッジの声が響くことだろう。

週末の予定は練習試合の審判で埋まっている大嶋氏。熱い取り組みと挑戦は続く。

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