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「“細川拓哉”として認められる選手に」春急成長のエース右腕が語る理想と覚悟~東北福祉大が誇るプロ注目投手(前編)

 1982年のドラフトで長島哲郎さんがロッテオリオンズから3位指名を受けて以降、約40年間で計57人のプロ野球選手を輩出してきた東北福祉大。昨秋のドラフトでは、4年生4選手が指名を受け、プロの世界に飛び込んだ。今月7日には、そのうちの一人である椋木蓮投手(オリックス1位指名)がプロ初登板初先発のマウンドで6回無失点と好投し、プロ初勝利を挙げた。

 今年の4年生にもドラフト候補が複数おり、そのうちの一人が細川拓哉投手(4年・明秀日立)だ。今春、エース右腕として5勝0敗、防御率0.29と圧巻の数字を残し、最優秀投手賞に輝いた。また、リーグ戦で150キロ超えのストレートを連発した堀越啓太投手(1年・花咲徳栄)は、1年生ながら早くも将来のドラフト1位候補との呼び声が高い。

 東北福祉大が誇るプロ注目の2投手を取材。前編では、この春急成長を遂げた細川に話を聞いた。

念願の「先発」、でも燃えるのは「抑え」

 5月23日。負ければ仙台大の優勝が決まる大一番で、先発のマウンドを託された。1点リードの3回に2点を失うも、4、5回に味方打線が2本塁打で4点を奪い再度逆転。4回以降は140キロ台後半の直球とツーシーム、スライダーなどの変化球をうまく投げ分け、走者を背負いながらも6回まで0を連ねた。

 中継ぎ陣がリードを守り切りこの試合を制すと、翌日は同級生・坂根佑真投手(4年・天理)の好投が光り3-0で勝利。崖っぷちからの2連勝で逆転優勝を成し遂げた。流れを呼び込む粘投を見せた細川は、「自分の投球を信じて、一球一球投げ抜くことができた」と胸をなで下ろした。

4月29日の宮城教育大戦で力投する細川

 春季リーグ戦は、仙台大2回戦を含め4試合で先発。先発登板は、細川にとって念願だった。鳴り物入りで入学するも、1年次は登板なし。2年次は秋季リーグ戦を前に右肘の靱帯を故障し、約半年間投げられない状態が続いた。3年次、ついに公式戦で投げるチャンスが回ってくる。しかし故障明けだったこともあり、春の4試合、秋の1試合はいずれも中継ぎ登板。「先発をやりたい気持ちはあったが、去年は結果を出すことに必死だった」と語るように、与えられたマウンドで全力投球を続けた。 

 結局、3年次は春の優勝決定戦で白星を挙げ、全日本大学選手権でも登板するなど結果を残した。そして迎えた大学ラストイヤー。長いイニングを投げられるようになり、4月23日の東北大1回戦で先発デビューを果たす。この試合で6回無失点と好投した細川は、「試合をつくる楽しさを感じた」と手応えを口にした。

 一方、先発デビューの2日後に行われた東北大3回戦では、1点リードの9回に登場。自己最速150キロを計測するなどし、勢いに乗る東北大打線を沈黙させた。「自分のタイプ的には、うしろにいた方が燃える」。先発も抑えも経験し、投手としての視野が広がった。

鶴の一声で投手転向、“根尾世代”で存在感

 細川が野球を始めたのは小学1年の時。元々は野手で、地元の強豪・明秀日立には三塁手として入部した。しかし高校1年の夏頃、金沢成奉監督に「1回ブルペンに入ってみろ」と勧められ初めて投球を披露。この時に投手としての才能を見込まれ、投手転向に挑戦することとなった。「正直、ピッチャーはやりたくなかった。バッターとして打った方がかっこいいと思っていた」と当時は渋々転向したが、金沢監督の先見の明を信じ、懸命に腕を振った。

高校時代から注目された細川。体重は高校時代より5キロほど増加した

 才能はすぐに開花し、1年秋から公式戦で投げるようになった。抑えるたびにチームメイトから労われる喜びや、投手の出来が勝敗の大部分を決める緊張感を覚え、徐々に投げることが好きになっていった。2年次は1年次最速137キロだったストレートが140キロ台まで伸び、秋は県大会優勝、関東大会準優勝に貢献。3年春に出場した選抜ではエースナンバーを背負い、3試合すべてで完投し初出場の明秀日立をベスト16に導いた。

 選抜3回戦で対戦した大阪桐蔭戦では、敗れたものの最終回に根尾昂投手(現・中日)から本塁打を放った。その根尾や、明秀日立でチームメイトだった増田陸内野手(現・巨人)は、高卒でプロ入りし現在ブレイク中。「プロで活躍する姿を見ると『俺も頑張ろう』と思う。次に戦うときには絶対に負けたくない」と、切磋琢磨した同級生の活躍に刺激を受けつつ、自身もプロ野球選手になる未来を思い描いている。

追い求める理想の投手像

 この春、長いイニングを投げたことで、三振を取りたいところで取れない、テンポ良くいきたい場面でボールが先行する、といった課題が見つかった。6月の全日本大学野球選手権では九州共立大との初戦に先発したが、立ち上がりに苦しみ5回途中2失点で降板。試合をつくることの難しさを痛感した。

東北福祉大の室内練習場でキャッチボールをする細川

 「150キロを投げそうな体格、フォームで150キロを投げてもギャップがない。力感のないフォームで投げて、打者が打席に入ったときに想像より速く見えるまっすぐを投げたい」。高校時代から馬力のある投球スタイルを評価され、大学入学当初はウエイトや体幹強化に力を入れ球速を伸ばした。しかしここにきて、「球が速い」「球が重い」にとどまらない、総合力の高い投手像を理想として掲げるようになった。理想に近づくため、日々自身の投球と向き合っている。

「プロ野球選手の弟」からの脱却へ

 今回、あえて冒頭では触れなかったが、細川の兄はプロ野球・DeNAに所属する細川成也。高卒1年目に初出場から2試合連続本塁打を放つ衝撃デビューを果たした和製大砲で、今年6年目を迎えた外野手だ。メディアが細川拓哉を紹介する際は、必ずと言っていいほど「プロ野球選手の弟」という枕詞がつく。

東北福祉大の室内練習場で練習に取り組む細川(中央)

 そのことに対する本音を聞くと、「兄がいるからこそ、兄に負けたくないという気持ちで野球をやってきた。ここまでこれたのは兄のおかげ」という答えが返ってきた。兄と同時期に野球を始め、兄を追って明秀日立に進学。憧れ続けてきた兄へのリスペクトが伝わる言葉だった。成也は高校時代、寮の駐車場で夜11時頃まで打撃練習に取り組んでいた練習の虫。それはプロ入り後も変わらず、帰省した際には実家でやはり夜遅くまでバットを振っている。そんな姿を、今でも尊敬してやまない。

 「でも」と細川は続ける。「ここからは、プロ野球選手の弟じゃなくて、“細川拓哉”として認められるような選手になりたい」。力強い口調でそう言い放った。この秋にプロ志望届を提出するか、社会人野球を経由するか、まだ結論は出せていないが、「プロ野球選手を目指すという目標は変わらない」ときっぱり。兄や同級生と最高峰の舞台で顔を会わせる日は、必ずや訪れるはずだ。

後編に続く。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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