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「NPBでプレーする夢を諦めるということ」元堺シュライクス・吉田大就、秋山凌

堺シュライクス(さわかみ関西独立リーグ)でプレーした吉田大就、秋山凌。

チームのリーグ3連覇に大きく貢献した同学年の2人。所属した3チーム全てでチームメイトだった『相棒』は、シーズン終了後に異なる道を進み始める。

「NPB入りを目指す野球には一区切りつけます。育成でも良いのでNPBへ行けなければ違う道を進もうと決めていた」(吉田)

「今年1年限り、と堺の監督と球団代表には話していました。ドラフトへ向け声がかからなかった時点で引退しようと思っていた」(秋山)

堺の看板コンビは、シーズン終了と共にチームを離れることを選択。吉田は企業所有の軟式チームで現役続行、秋山は現役引退して他業種に就職する。NPB入りを目指してきた2人にとって大きな転機を迎えている。

共にアマチュア時代から名前を知られ、将来を期待されてきた。ルートインBCリーグ・武蔵ヒートベアーズ(以下武蔵)、クラブチーム・ハナマウイ、堺と全く同じ道を歩んだ。「NPBでのプレーを目指す」という共通目的のもと切磋琢磨を続けたが叶わなかった。

「25歳と年齢が高いので、最初は『野球を続けるため大阪へ来た』と思っていた。でもプレーを見ると技術が高く、結果も出す。話を聞くと『NPBに行きたい』ということだったので、求めるものも高くなった。勝利のために欠かせない選手で、年間を通じて使いました」(堺・大西宏明監督)

グラウンド上での存在感は抜群、周囲から大きな信頼を得た。「三塁・秋山、遊撃・吉田」はリーグ屈指とも言われる堅守の三遊間を形成。攻撃面では共にクリーンアップを打ち、勝利に直結する結果を残してきた。しかし現実はシビアで、NPB入りの夢は果たせず次の道を選択することとなった。

~天狗になってBCをクビになった失敗は繰り返さない(吉田)

吉田は千葉県出身、東京・佼成学園高から関東学院大へ進学。4年生在学中の2019年に野球部を退部、武蔵へ入団する。公称185cm85kgの大型ショートは学生プロとして1年目から活躍。兄はヤクルト在籍・大成(今季限りで戦力外)だったこともあり、各方面から注目を集めた。

「武蔵に入団してショートで1年間試合に出ました。オフ期間に雑誌などで取り上げられたこともあり、天狗になっていました。2年目は全然ダメで結局はクビです。その時のような失敗はしたくない。常に必死に取り組まないと先は見えていると気づきました」

武蔵での出場試合数は1年目の41試合から2年目は43試合と増加したものの、打数が111から65と半減(打率.250から.200)。打撃面での信頼を得られず、守備固め等での出場が増えた結果、2年目終了時に戦力外となった。

吉田は大型遊撃手として大きな可能性を感じさせた。

~BCに行ったことでNPBが具体的な目標となった(秋山)

秋山はシニア時代から豊富な全国経験を積み、埼玉栄高から横浜商科大へ進んだ。172cmと小柄ながら、確実性の高い打撃は実戦向きと高評価を得て武蔵入団。苦手意識を持っていた守備も大きくレベルアップ、巧みなグラブ捌きを身につけた。

「地元・埼玉のプロチームで選手として大きく成長できました。守備に苦手意識もありましたが、武蔵の角晃多監督(当時)が鍛えてくれて自信もつきました。独立とはいえプロとしてプレーしたことで、NPBを具体的な目標にすることができた。自分には伸びる余地があると思えました」

武蔵1年目は54試合出場、144打数35安打3盗塁、打率.243と攻撃面は及第点。しかし課題と言われる守備では8失策を記録するなど、トータルでは物足りない活躍に終わりリリースされてしまう。

秋山は野球センスに優れた実戦向き選手だった。

~独立とクラブの違いに戸惑った1年

武蔵から戦力外通告を受けた2人が選んだのは、クラブチーム(以下クラブ)のハナマウイ。元オリックス・本西厚博監督の元、2020年には創部2年目で都市対抗野球本戦出場を果たした話題のチーム。しかし独立とクラブの違いなど、戸惑う部分も多かったという。

「独立、クラブ共に勝利という目標は同じですが、それ以外での違いもありました。例えば社員契約選手と無給のクラブ生が混在する。自分たちはクラブ生だったので仕事をしながら野球をした。環境や野球への向き合い方が変わり、適応するのに時間がかかりました」(吉田)

「独立のファンはお金を払って見にくるので勝つことを求められます。同時に個人としてはNPB入りへ実力をアピールする。武蔵と堺はその辺のバランスがうまく行っているので強い。クラブは部活に近い感じで、個人よりもチームの団結や結果が優先と感じました」(秋山)

独立からクラブへのアジャストに苦しんだ。出場機会が激減、歯痒い思いを抱えつつ時間だけが経過した。年齢的にNPBを目指す猶予期間も限られている中、移籍を考えるのは必然だった。

「8月くらいから頭にあった。『選手としてもうダメかも』という気持ちとの葛藤もありました。でも自分の中で納得いかない部分、やり残したと思うことがあった。あと1年と時間を区切り野球を続けようと思いました」(秋山)

「5月末の全日本クラブ野球選手権が終わった頃、早い段階から次を考えていた。情報収集してチームを探しました。まずは試合に出ることが第一。試合に出て結果でアピールして上を目指そうと思いました」(秋山)

試合に出て結果でアピールすることのみを考えた(秋山)

~NPB入りへ最後の勝負に選んだ場所も重なる

ハナマウイ退団を決意、勝負の場所に選んだのは、「さわかみ関西独立リーグ(以下関西リーグ)」だった。お互いに相談するはなかったが、それぞれが選択した道はまたしても重なった。

「総合的な野球レベルはそこまで変わらないが、BCにはずば抜けた選手が何人かいました。そういった面では差があると感じました。個人的にはショートで勝負して上を目指したかった。改めて身体作りから始めました」(吉田)

「身体が飛び抜けて大きい選手がいない印象。自分も大きい方ではないのでチャンスだと思いました。キャンプから結果を出し続けようと、自分を追い込みました。野球だけを考え気分的にもフレッシュな状態でプレーできました」(秋山)

NPBを目指す目的での堺入団だが生活という現実問題もある。ハナマウイ時代は生活と野球の両立に苦労したこともあった。野球環境と同じくらい大事なのが契約形態だ。

以前在籍した武蔵は年間契約での固定給に加え、結果に応じたインセンティブがあった。堺は基本的に固定給はなくインセンティブのみ。しかし選手寮が用意されるため、生活への心配なく野球に打ち込める環境だ。

「固定給はないですが寮があるので助かります。インセンティブは安打数と打点がほとんど。四球は発生しないので、チャンス場面で歩かされたりすると悔しい部分はあります。自分が結果を出してチームが勝った先にお金もある、と考えていました」(秋山)

「ハナマウイ時代はクラブ生で給料はなかったので、秋山と同じ職場で働いて生活費を捻出していた。堺では結果を出せばお金になるので、気持ちは高まったし心配もなかった。選手間でもお金の話をすることがありますけど、人は人という感じです」(吉田)

個人結果とチーム成績が密接に関わり、収入にもつながる環境(吉田)

~NPB入りを断念、それぞれの道を進む

初めての関西生活への適応はスムーズに行った。大阪に来てから半年、春先のキャンプからNPB入りだけを目標に野球に没頭した。吉田はキャプテンとしてチームを牽引、秋山も開幕戦から全試合出場を果たす。チームはリーグ優勝と結果を残したが、2人に対してNPB側からオファーが寄せられることはなかった。

「兄・大成(元ヤクルト)を見ていたので、プロはレベルが半端なく高いのもわかっていました。子供の頃からスターだった兄が、プロでは二軍でベンチの日もある。今の自分ではNPBは絶対に無理だ、と身をもって理解するための1年だった気もします」(吉田)

自身SNSで堺の退団を発表した同日、兄・大成はヤクルトから戦力外通告を受けた。兄弟揃っての退団を記事にするメディアもあった。兄の今後も気にかかるところだが、吉田本人は野球を辞めるつもりはない。軟式に転向しての現役続行の道を模索している。

「野球人生の中で最も結果が出た年。でも『もう少し野球を続けよう』とは思いません。独立ではプレーできても、NPBに行けないことはわかっています。ずるずる引き伸ばすのではなく、気持ちを切り替えられるだけの結果が出せて良かったと思っています」(秋山)

野球人生でも最高と言えるほどの打撃成績を残し手応えを掴んだ1年。しかし自らの立ち位置を冷静かつ客観的に理解している。今後は趣味範囲で続けるにしても、NPBという最高峰を目指す野球をするつもりはない。秋山は現役引退の道を選び、就職活動を行うという。

吉田と秋山は、堺のリーグ優勝、3連覇に大きく貢献した。

「練習、試合、武蔵を自由契約になった日など、常に一緒だった。同志、戦友のような感じ。今後、横にいないことに違和感を感じるはず」(吉田)

「お互いの距離感などに気を使わなくて良い。常に同等、フラットで楽な関係。野球に関しては真面目で尊敬できる奴でした」(秋山)

NPBという野球界最高峰を目指す旅は終わった。しかし独立とはいえ、プロ野球界で残した結果は永遠に残る。吉田と秋山の名前が消えることは、絶対にない。

同じ夢を目指し戦ってきた2人は今後、異なる道を歩む。しかしまたいつの日か、どこかで三遊間を組む日を楽しみに待ちたい。それが草野球のグラウンドであっても、足を運んで目に焼き付けたい。そう思わせてくれるだけの素晴らしいコンビだった。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・さわかみ関西独立リーグ、堺シュライクス)

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