社会人野球の運営実績を背景にスタートしたヤマエ久野九州アジア野球リーグの矜持と先進性
広尾晃のBaseball Diversity:08
2021年春、九州地区で新たな独立リーグが開幕した。熊本を本拠地とする火の国サラマンダーズと大分を本拠地とする大分B-リングスの2球団からなる九州アジアリーグだ。
このリーグは、2005年に始まった日本の独立リーグの歴史に「画期をなす」と言ってよいだろう。
メイン写真:1年目火の国と大分の公式戦
著名な野球人がファウンダーとなった異色のリーグ
このリーグの創設者で代表理事の田中敏弘氏は、九州学院高時代の1987年には夏の甲子園に出場。2回戦で野村弘樹、立浪和義らのPL学園に2-7で敗退。明治大学に進み、内野手として活躍。
さらに日本通運浦和(のち日本通運)でもプレー。1994年社会人野球日本選手権で、日産自動車を下して優勝したメンバーの一人となっている。
2000年に引退後は、郷里熊本でスーパーマーケット株式会社鮮ど市場の経営者となるが、2005年に社会人野球の「熊本ゴールデンラークス」を創設、翌年から日本野球連盟に加盟し、都市対抗野球や社会人野球日本選手権にも出場。4人のプロ野球選手を輩出するなど、九州地区の強豪として活躍した。
つまりトップクラスの野球選手であり、野球指導者だったのだ。その上に企業経営者としても辣腕をふるって事業を拡大し、さらに社会人野球チームを創設して強豪チームに育て上げた。
独立リーグ野球団の経営者には、ベンチャー企業や広告代理店、人材派遣会社などの出身者が多い。石毛宏典氏をはじめ野球界の出身者は何人か経営にかかわってきたが、リーグの運営を仕切ってきたのは、野球界とは異なる経験を積んだ人たちだった。
田中氏は日本野球界の本流を歩いた人であり、独立リーグ界にこれまでほとんどいなかったタイプの経営者だと言えよう。
単なる“独立リーグ”ではない
九州アジアリーグは、創設と同時に一般社団法人 日本独立リーグ野球機構(IPBL)に加盟した。
田中氏は語る。
「IPBLに加盟してはいますが、うちは独立リーグとは名乗っていません。“独立”というのは、日本のプロ野球リーグ(NPB)から独立したリーグという意味ですが、私はそれを意識していません。九州に新たなプロ野球のリーグができたという認識です。プロ野球との関係や、他の独立リーグとの連携ももちろん大事ですが、九州にできたこのリーグからどんなことができるか、私はそれを考えています」
もともと田中氏は、自らが手掛けた「熊本ゴールデンラークス」を「県民球団」に移行しようと考えていた。
「熊本市のリブワーク藤崎台球場は、高校野球の聖地であり熊本球児には甲子園みたいなものですが、老朽化が進む中、改修もままならなかった。そこへ熊本地震があった。この先どうなるんだろうと考えて、熊本復興の証しとして新球場設立を、と活動を始めたんです。署名活動などもやりましたが、なかなか機運が盛り上がらない。
そこで県民球団を設立して活動することで、県民に訴えかけようと考えたんです。まず球団ありきでしたが、野球は1チームではできない。そこで大分にも働きかけてもう1球団ができて、九州リーグを設立することになったんです」
独立リーグ球団の経営はスポンサーありきになりがちだが、田中氏はそうは考えなかった。
「スタートラインにおいてスポンサーありきのリーグ経営では長続きしません。まずは理念、思想をもった独立した法人格として、しっかりリーグ運営をするのが重要です。私自身、会社経営をしながら野球に携わっていたので、自分たちで野球をして飯を食うという気構えがなければ続かないと考えています。
もちろんスポンサーは重要ですが、柱をもう1本立てたいと思います。それは、野球による町おこし、社会貢献です。SDGsの考え方にもつながる地域創生をつねに考えています。
球場でのサービスだけでなく、地域創生担当、行政担当、アジア圏などを担当する国際部などいろんな部署を設置してすでに動き出しています。球団運営は各球団に任せて、僕は先行する市場に働きかけようと考えています」
田中氏としては、いずれはインドネシアなどアジアでプロリーグを設立し、連携することも視野に入れていた。
火の国サラマンダーズの圧倒的な強さ
2021年、1年目の九州アジアリーグで際立ったのは火の国サラマンダーズの「強さ」だった。
公式戦は火の国と大分の2チームで戦い、火の国が23勝9敗と大きく勝ち越した。
交流戦として四国アイランドリーグplus、琉球ブルーオーシャン、ソフトバンクホークス3軍と対戦したが、火の国は12勝6敗1分、大分は5勝11敗だった。特に火の国は四国には6勝0敗だった。
1年目のオフに火の国の石森大誠がドラフト3位で中日に指名された。これは、香川の又吉克樹が2013年にドラフト2位で中日に指名されて以来の高位での指名だった。
社会人野球を母体にしたとはいえ、火の国サラマンダーズの強さは、10数年独立リーグを運営してきた他リーグにとっても衝撃的だっただろう。
“ホリエモン球団”が参加した2022年シーズン
そして2年目には実業家堀江貴文氏がオーナーとなって、福岡北九州フェニックスがリーグに加わった。
堀江氏は語る。
「まったく何もない中でのスタートになりますので皆さん“本当にあいつはできるのだろうか”とか疑問に思っていると思いますが、働き方、生き方が大きく変わりつつある現在、リモートワークやDX(デジタルトランスフォーメーション)の進展で『人の仕事』がなくなってしまう。なんとなく会社に来て、なんとなくパソコンの前に向かって時間を過ごすような働き方はなくなり、大量に空き時間ができる。その時間をいかに埋めていくかが大きな課題となる。独立リーグ球団の設立は、その実践の場です」と話した。
堀江氏はすでに自らのオンラインサロンで、3人制バスケットのチームを運営するなど、サロンの仲間とプロスポーツの分野に乗り出していた。さらに大きなチームを作ろうと、設立に至ったという。
「ただし日本にはすでにNPBがあるので、ガチなファン以外を取り込むのが大きなテーマとなる。野球好きじゃない人が多い今の世の中で、いかに球場に呼びこんだり、ファンになってもらうかが課題です」
2004年に「仙台ライブドア・フェニックス」という球団名でNPBに参入しようとした時期には、巨人、阪神など大都市圏のセ・リーグのチームが人気だったが、その後、ソフトバンクが福岡でドーム球場、ホテル、プロ野球チームで大人気になったように、地方に本拠を置いたパ・リーグがセ・リーグに肩を並べるようになった。
「仙台なんかで球団つくったって客入るわけねーだろ、パ・リーグみんな赤字じゃねーかよとか、めちゃくちゃ言われましたけど今、どうですか?
当時と比べても今は、SNSの利用が進み、DXが進展しつつあります。空き時間がさらに増える中、プロスポーツはまだまだ足りない、球場を核として小回りの利く、新しい施策を打ち出していきます。
あのとき(2004年の球界再編時)は12球団を10球団、8球団に減らす案が出ていました。世界的にも同じ議論がありましたが、MLBでは反対に1990年の16球団が、30球団にエキスパンションして大成功しました。その後楽天さんが参入して、日本一のときは僕もその場にいてよかったなと心底思いましたが、今はローカルなプロスポーツ、エンターテインメントをつくっていく使命感、“おせっかい”に近いが、うまくいったらそれでいいじゃないかと思います」と語った。
リーグは、2021年9月には大手食品商社ヤマエ久野とネーミングライツ契約を結び、ヤマエ久野九州アジアリーグとなる。
11月には北九州の選手兼任監督に西岡剛が就任した。
野球の実力に加え、日本中の注目を集める異色のオーナーのチームも参加。2022年の北九州での開幕戦は雨天で1日流れたが、1248人の観客を集めメディアの大きな注目を集めた。
新球団も参入し、さらなる進化を志向する
田中敏弘代表理事は2022年10月に退任を発表した。田中氏は
「熊本県民球団創設に始まり、リーグ設立、来期は構想通りに4球団体制でのリーグ戦の実施、ソフトバンクホークス様との試合交流と事業連携など、ある程度の形は作れたと思っています。スポーツビジネスの世界観と独立リーグに触れて、様々な経験を得ました。この財産を活かして今後も微力ながら野球界の復興と発展に尽力していきます」と語った。今後は東南アジアでの野球の普及活動に専念するとのこと。後任は熊本ゴールデンラークス元監督で、専務理事だった徳丸哲史氏。
2022年10月1日に行われたIPBLグランドチャンピオンシップでは、九州アジアリーグ代表の火の国サラマンダーズは、北海道フロンティアリーグ勝者の士別、ルートインBCリーグの勝者の信濃を圧倒して優勝、独立リーグ日本一に輝いた。
2022年9月9日、ヤマエ久野九州アジアリーグは、宮崎県民球団をつくる会が運営する宮崎サンシャインズの連盟加入申請を承認したと発表した。来季からリーグは4球団体制でリーグ戦を展開する。またソフトバンク3軍、新設された4軍との交流戦も行う。
さらにネーミングライツスポンサー・ヤマエ久野株式会社のホールディングス化により、リーグ名もヤマエグループ 九州アジアリーグと変更される。また福岡北九州フェニックスは北九州下関フェニックスに球団名を変更すると発表された。
経営面でも実力面でも屈指の実力を保有した独立リーグを創設した田中敏弘氏の功績は大きい。独立リーグのフロントランナーとして今後も目が離せない。