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「主将兼監督兼正捕手」の苦悩と充実感 仙台大軟式野球部・岩渕颯太が新たな夢を見つけるまで

 近年、仙台大が東北の大学野球界をリードする存在となってきている。硬式野球部は昨秋、2年連続で明治神宮大会に出場。準硬式野球部は昨春のリーグ戦を制して全日本準硬式野球選手権大会に出場するなど実力をつけてきており、今年4月には女子硬式野球部も発足する予定だ。

 軟式野球部も、東北地区で強豪の一つに数えられる部活。監督は不在で、学生主体のチーム運営を行っているのが特徴だ。昨秋引退したばかりの岩渕颯太さん(以下敬称略)は、3年次に主将兼監督を務めた。3年で引退する選手が多い中、昨年はチーム唯一の4年生としてプレーし、大学卒業後も県内の企業で社会人軟式野球を続ける。なぜ軟式野球を選び、軟式野球の道を歩み続けるのか。岩渕さんに話を聞いた。

塩釜高の同期3人とともに、大学軟式野球の道へ

 岩渕が野球を始めたのは、小学4年の頃。当時東北楽天ゴールデンイーグルスの正捕手だった嶋基宏さんに憧れ、ポジションは捕手を選んだ。それ以降、捕手一筋。中学は軟式野球部、高校は硬式野球部に入り白球を追い続けた。  

 塩釜高では1年秋から正捕手の座をつかみ、2年秋からは主将を務めた。2、3年次に春季大会で続けて県ベスト16入りするなど結果を残し、最後の夏は3回戦敗退で終えた。

校旗を手に行進する塩釜高時代の岩渕

 塩釜高の野球部同期からは岩渕のほか、副主将2人とエースも仙台大に進学。大学では学業やアルバイトを優先し、野球は「草野球程度」で続けるつもりだったが、同期3人が軟式野球部に入ると知り、岩渕も軟式野球の道に進んだ。  

 入部当初の部の印象は「怖い」。上下関係が厳しく、先輩たちに気軽に話しかけられる雰囲気ではなかったことから、「この先やっていけるのかな」と一抹の不安を覚えた。一方、競技面では中学以来の軟式野球にすぐに順応し、1年次から正捕手として幾度となくチームの勝利に貢献。2年次からは東北選抜チームの常連となるなど、着々と成長を続けた。

「キャプテンは練習にいてなんぼ」軟式野球に捧げた学生生活

 2年秋からは主将兼監督に就任。主将の経験はあったものの監督業は初めてで、戸惑うことも多かった。  

 全体練習は平日3日と土日いずれかの計週4回。「キャプテンは練習にいてなんぼ」との考えで、通学や週3、4回の飲食店でのバイトもこなしながら、練習にはなるべく毎回参加した。

試合前のミーティングでチームメイトに声を掛ける岩渕(手前)

 硬式野球部と違って専用のグラウンドを持たないため、練習場所を確保したり、練習試合を申し込んだりするのも監督の仕事。試合に向けてスタメンを決め、試合中はベンチからサインを出し、選手交代のタイミングをうかがう。一方、守備の時間は捕手として、軟式野球で多用されがちなヒットエンドランや「叩き」と呼ばれる戦術を警戒しながら投手陣をリードする。気が休まる時間は一瞬たりともなかった。  

 大学卒業後の人生設計としては、メディア関係の仕事に興味を持ちつつ、教員を志していた。しかし、主将兼監督に就任してからは練習を優先するようになり、3年の途中で教職課程の履修を断念。軟式野球にすべてを捧げると決めた。

主将兼監督の集大成は「自分への代打」

 強いチームを作るため、心がけていたことが二つある。「褒めること」と、「課題を与える」ことだ。「全員が集まる機会が少ない中、褒めることで選手のモチベーションを上げつつ、試合に出るために必要なことや求めることを提示して成長につなげたかった」とその真意を説明する。

 「大人がいないからこそ、自分がやらなければいけない」。責任を一身に背負いながら、積極的にコミュニケーションを図ることで風通しの良い環境を作り上げた。そしてそれが、自身が1年次に感じた「怖さ」を払拭することにもつながった。

大学4年春のリーグ戦で打席に立つ岩渕

 ただ、監督という肩書きがある以上、チームメイトとぶつかることも少なくなかった。裏で起用に対する不満を言われていると察することもあれば、「なんで試合に出してくれないんだ」「俺の方が良いだろう」と電話で直接訴えかけられることもあった。そんな時もじっくり話を聞き、「ここを伸ばしたら試合に出られる」「今は他の選手を試したいから、いざという場面で一本打てるよう準備しておいてくれ」などと前向きな言葉を投げかけた。  

 主将兼監督として臨んだ最後の試合は、3年次の全日本大学軟式野球選手権東北予選決勝。東北福祉大相手に0-5と完敗を喫し、岩渕を除く3年生8人(1人は学生コーチ)にとってはあまりにも悔しい引退試合となった。しかし、岩渕はこの試合を「自分が一番成長したと感じた試合」と振り返る。

主将兼監督として臨んだ最後の試合で敗れ、涙を流す岩渕(左)

 この日の岩渕以外のスタメンは、3年生4人、下級生4人。ベンチスタートとなった3年生3人のうち2人は途中出場した。点差は縮まらないまま、最終回へ。最後までベンチに残ったのは、岩渕に電話で直訴してきた選手の一人だった。最終回の先頭打者は岩渕。「選手として、大学野球をこの一打席にかけたい」「監督として、声を掛け続けてきた同期を最後の試合に出さないわけにはいかない」。二つの思いが交錯した。  

 迷った末、代打を告げた。「自分は4年生になっても競技を続ける。(最後までベンチに残った同期に)『大学野球をやり切った』と思ってもらいたい」。勝ちにこだわりシビアな選手起用を貫いてきた岩渕が、自らを信じ努力し続けてきた選手の「心」に寄り添った結果、下した決断だった。その決断に、後悔はない。

駆け抜けた大学4年間、見つかった新たな夢

 岩渕は軟式野球の魅力について、「年齢、性別問わず誰でもできる生涯スポーツであること。その一方、軽く、軟らかい軟式球ならではの不規則なバウンドや予測できない回転があったり、様々な戦術があったりするのも醍醐味の一つ」と話す。  

 ただ最大の魅力は、「人を育ててくれる」ことだ。岩渕自身、主将兼監督という重責を担ったからこそ、「人の心を考えられるようになった」。軟式野球の道に進んだからこそ生まれた出会いも、数えきれないほどある。

部活引退後も練習を続けている岩渕

 「いつか生まれる自分の子供に野球をやってもらいたい。つらい思い、苦しい思いをしながらも野球を通して成長してほしい。自分が野球をしている姿を見せることができれば、おのずとボールを握ってバットを振ってくれるのではないか」。社会人でも軟式野球を続けるのは、そんな青写真を思い描いているからだ。チームのために、本気で野球と向き合う姿を「子供が物心ついて、言葉を話せるようになるまで」見せ続けることが、今の目標だという。

 軟式野球のために、犠牲にしたことはたくさんある。何度も夢破れた。それでも軟式野球を通じて成長し、様々な人との出会いを重ねることで、新たな夢を見つけることができた。「夢を持って社会人になれることが、頑張れる源になるかもしれない」。岩渕の野球人生は、まだまだ続く。

(取材・文 川浪康太郎/写真 正面写真は筆者撮影、その他は本人提供)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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