「復帰したときに、どんな状態で戻るかを逆算してきました」リコーブラックラムズ東京 松橋周平 3度の靭帯断裂を進化に変えた不屈のストーリー
長くプレーするために見直した身体の使い方
長きに亘るリハビリは、自分と向き合う時間にもなった。ここで、もう1つ新たなきっかけを得る機会になった。
「自分のプレースタイルは1年目の時のように勢いでやっていました。これではまた怪我するなと。どこで怪我してもおかしくないと感じたので、考え方を変えようと思いました。
プロ選手になって、長く現役としてプレーしたいのにこのままだとまた早く終わってしまう。なので、身体の効率的な使い方など学ぶようになりました」
松橋が教えを受けに行ったのは、母校明大のラグビー部時代にケアを受けており、現在も同校で理学療法士を務めている真木伸一(のぶかず)。
真木の運営するジムへ毎週足を運び、身体操作を中心とした怪我をしない身体づくりに向けたトレーニングを一から取り組んだ。
真木からの指導で会得した身体の使い方で、どうラグビーに活かすことができたのか。ここで自身の強みが磨かれていったという。
「今までパワーでなんとかしようと思っていたのですが、背骨がある状態になっていると出力が加わりやすく効率的に押せる。といったことを学ぶことで、実際にボールキャリーやタックル時に活かせたことが何度もありました。
自分の持ち味はジャッカルなのですが、真木さんに教わった動きからジャッカルにもさらに磨きがかかったと思います」
復帰後は名実ともにチームのリーダーに
リハビリとトレーニングを経て18年は開幕戦から復帰。同時にチームの副キャプテンに就任した。開幕からNo.8で出場し、第2節の東芝ブレイブルーパス(現:東京)戦でトライを決めるなど、復活をプレーで見せた。
リーグ戦・カップ戦ともに順位決定トーナメントまで出場し、シーズン通じて試合に出続けることができた。2019-20シーズンからは共同キャプテンに就任。コロナ禍で中断となるまでチームを牽引した。
サンウルブズへ復帰し、ナショナル・ディベロップメント・スコッド(NDS)にも選ばれるなど日本代表の再選出の可能性も出てきていた。
しかし、ずっと目標に置いていたW杯の日本代表入りは悔しくも逃すこととなった。
「もちろん悔しかったです。ただ、落ちたことには理由があります。1日1日を大切にして、調子いいなと思った時でも謙虚に自分の体と向き合ってベストパフォーマンスをとにかく出すことにフォーカスしようとすぐに切り替えました」