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「歴史とエネルギー溢れる場所を航海したい」ランズエンド代表・崔領二が国宝プロレスにこだわる理由

4月23日、「奈良国宝奉納プロレス~榮山寺・八角堂大会」が開催された。

創建から1300年以上経つ由緒ある場所での大会には、問答無用の説得力があった。

「最高の経験。参加した選手たちも想像以上に感動していました。『ワンマッチでギャラがいくらで…」とかを考え、(試合を)こなしているような選手は1人もいませんでした。このような場所でプロレスができるのは珍しく、貴重な体験だと思います」

同大会主催のLAND’S END プロレスリング(以下ランズエンド)代表・崔領二は、嬉しそうに振り返ってくれた。

本堂前に設置されたリングの場所こそ、周囲と調和がとれた「約束の地」だった。

~やりたい気持ちのある選手のみで実現した貴重な経験

会場となった学晶山榮山寺は、養老3年(719年)に藤原武智麻呂公が創建した藤原南家の菩提寺。寺内にある八角堂は国宝指定されており、天平宝字4~8年(760~764年)頃の建立とされている。

山に囲まれ、目の前には急流が流れるロケーション。世間離れしたような場所での大会は普段と全く異なる状況だ。

「失礼な言い方かもしれないですが、ど田舎です。周囲の自然のみでなく、お寺自体もかなり昔ながらのもので、管理棟はありますが着替えと休憩を取るだけに使用しました。近くにコンビニもないので、飲食物を簡単に入手することもできない場所でした」

「各選手にはオファー段階で環境は伝えました。その上で参加を決めた選手のみで大会を行った。気持ちの部分が大事でした。少しでも『考えさせて…』という雰囲気があった選手には、(お願いした側の)こちらからお断りしました」

「『やりたい、行きたい』の一択しかなかった選手たちが集いました。もちろん不便なことは多い。しかし逆を言えば『こんな貴重な大会を経験できるか?』ということ。国宝でプロレスをやるのはよほどでないと不可能、珍しいことです」

「やりたい」気持ちを持った選手のみが集まった大会前には、国宝・八角堂前で記念撮影を行った。

~お寺業界での評価の高さも開催のハードルを低くした

昨年10月16日、「世界遺産プロレス~熊野那智伝説」(和歌山県那智勝浦町、以下那智の滝大会)が開催された。この大会がお寺関係者の間で好評を得て、榮山寺関係者からの開催オファーにもつながった。

「那智の滝大会の成功があって興味を持っていただいた。開催にはコスト等がかかるので最初は断りました。それでも『やりたい』と何度も連絡をくれました。その後も強い熱意を持って急ピッチで進めてくれました。お寺関係者はもとより、地元の皆さんの本気度がすごかったです」(崔領二)

榮山寺住職・生駒龍明氏の動きは早かった。那智の滝大会の話を聞くと「榮山寺でも実現可能ではないか?」と思い行動へ移した。崔とは面識があったため、率直な気持ちをぶつけて実現可能性を聞いた。

「『歴史ある場所でのプロレス開催は難しかったのでは?』と聞かれます。でもこの部分のハードルはほとんどなかった。那智の滝大会が我々の業界(お寺)では素晴らしい評判になっていました。境内を使用することには、速やかにゴーサインが出ました」

「崔氏は『ぜひやりたい場所だが、お金等を考えたら止めた方が良い』という感じでした。でも榮山寺はもちろん、五條市の総意として何とか実現したいと思いました。その気持ちを理解いただいてからは、話し合いを重ねて方向性を固めていきました」

「大会運営に関わった中心の1人が私の義理の父親です。大のプロレス好きで、以前から大会を行いたいという話は聞いていました。僕自身も子供の頃はプロレスを見ていました。場所の提供側と大会の運営側が近い間柄なのでスムーズに進みました」

榮山寺住職・生駒龍明氏(写真左)と大会開催に尽力した辰巳正人氏(同右)。

~最初の一歩はオープンフィンガーグローブ

今大会実現に向け献身的に動いた1人が、奈良県磯城郡三宅町で事業を行う辰巳正人氏。オープンフィンガーグローブ(主に総合格闘技で使用されるグローブ)の日本第一号を地元で製作した縁で崔とは20年来の付き合いがあり、生駒住職とは親子という関係性でもある。

「一番最初は知人を介しアントニオ猪木さんから話が来ました。野球のグローブ工場は奈良県の地場産業として有名です。『同じグローブなのでダメ元で製作を試して欲しい』という話でした。父と共に試行錯誤して作り上げ、その後も継続して使用していただきました」

「橋本真也氏が在命中だった頃、『真撃』という格闘技に寄った大会を行いました。その際にもオープンフィンガーグローブを製作・納品しました。その時に崔氏が同団体にいたことで知り合い、大会開催という夢を語り合うようになりました」

「地元での大会開催が夢でしたが、少子高齢化や様々な問題があり実現は難しい部分があった。でも国宝プロレスという形にすることで、誰もが気軽に足を運べる場所、空間を作れたと思います。本当に嬉しかったです」

オープンフィンガーグローブの製作から全ての物語が始まった。

~リングを置いた本堂前こそが約束の地

多くの人々の尽力の結果、榮山寺・八角堂大会を迎えることができた。リング設置場所など、想定外のことも数多くあったものの素晴らしい大会ができたと崔は胸を張る。

「本当は八角堂前にリングを設置したかった。でも周囲に木があって椅子を並べられない等、物理的問題があり断念しました。こういうことは、世界遺産や国宝で大会をする際には当たり前にあることです。だけど本堂前にリング設置したら全てがハマりました」

「八角堂前が良かった、という心残りも多少ありました。でもリングに初めて立った時に、『この場所が縁のある場所だった』と痛感した。椅子も並べられてお客さんも見やすい。リングを遠目から引きで眺めた時に、木の枝、灯籠、リング、お堂、八角堂と並んだ素晴らしい景色がありました」

「約束の地だったんです。榮山寺はプロレスをやるために作った場所ではないのに、全てがハマった。そこに言葉はいらないと思いました。この日の画像だけ見れば、何も言わなくてもお寺でプロレスをやったことが伝わります。それこそが有無を言わさない説得力です」

美しい緑の木々に囲まれ、リング横には灯籠が置かれている素晴らしいロケーション。

~縁が全てなので次回開催は確約できない

国宝、そして世界遺産プロレスは回数を重ねるごとに評価が高まっている。しかし崔の中で、大会開催に当たって絶対に譲れない部分がある。地元の人々と本気で繋がり、一緒に作り上げていくことだ。

「敷地や建物の使用許可だけを取って試合をする。これでは『国宝、世界遺産の場所でやったプロレス』でしかありません。現地の人、地域の人と繋がって依頼を受け、一緒に作り上げたものが『国宝、世界遺産プロレス』だと思います。言葉で言うと簡単ですが、全く異なるものです」

「『体育館で大会をやって住職からお言葉をもらったので国宝プロレスです』では誰の心にも刺さりません。榮山寺の中にリングを作り、住職からお言葉をもらう。そこでのプロレスを地元の方々に見てもらって、初めて感じるものがあるはずです」

外国人選手を含めた全選手が住職からの「お言葉」をいただいた。

国宝、世界遺産プロレスの真理を追求、形にすることを考えている。中途半端な形で大会開催することを受け入れることをしない。榮山寺大会を締め括る挨拶でも、「次にいつ戻って来れるかは約束できません」と観客に対しても伝えている。

「(国宝、世界遺産へ)行きたいから行く、というのは無理です。それができれば世界中の国宝、世界遺産の全てで大会ができる。そうなれば最高ですが絶対にできない。大事なのは縁があるかどうかです。縁があれば必ず引き寄せられます」

「縁とタイミングがあるので次回開催は確約できません。でも単発では意味がないので継続したい。僕らもあと何年プロレスできるかわからないので、下の世代にも受け継いで欲しい。プロレスと地元がタッグを組んで、周囲を元気にすることを文化として残していきたいです」

「プロレスの存在価値、世の中に伝えられることです。例えば、榮山寺のように由緒あるが今は少し静かになっているような場所へも命を吹き込める。リングを立ててプロレスをすれば見に来る人がいて、存在価値が見直される。見た人は楽しんで少しだけ元気になって家に帰ってもらえる。それを継続することで文化として残るはずです」

崔領二は、今後も港を渡り歩くことを約束した。

「ある意味では恋愛と似ていますね」と崔は語る。縁があれば関係が長続きして、かけがえのない思い出を1つずつ積み重ねることができる。それこそが国宝、世界遺産プロレスを行う意義であり文化にするということだ。

「ランズエンドは体育館やホール等の通常会場でもやります。でも誰もやらなかった場所でも、エネルギーがあって人の思いが詰まっている場所ならやります。僕らの航海はそういう港を目指すことの繰り返し。そういう旅を続けたい。港を見つけるのも、その後に再び戻るのも縁です」

「ランズエンド」(地の果て)を目指す航海はこれから先も続く。今後も国宝、世界遺産といった港を数多く渡り歩くはず。しかし遠くない未来に榮山寺を再訪するのは間違いないだろう。そこには両者の縁によって紡がれた、太くて赤い糸が存在するからだ。

(取材/文・山岡則夫、取材協力/写真提供・LAND’S END プロレスリング、学晶山榮山寺)

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