初の箱根駅伝出場に導いた駿河台大の前主将・阪本大貴の次なる挑戦

2022年の第98回箱根駅伝で初出場を果たした駿河台大学。主将としてチームを引っ張った阪本大貴選手は4月から工業用貴金属メーカーのフルヤ金属に就職した。フルヤ金属は今春、陸上部を創設したばかりで、部員は同じく駿河台大出身の生田目大輔選手と阪本の2人のみ。社業と競技を両立し、10年後の2032年ニューイヤー駅伝出場を目指す。1月に駅伝ファンを沸かせた22歳の新たな挑戦に迫る。

「このプラン、甘いんじゃないですか」

当初、阪本は箱根駅伝で競技人生に区切りをつけようとしていた。卒業後は体育教師になり、指導者として陸上競技に関わるつもりだったという。だが、ある出会いによって阪本の運命は変わった。

駿河台大が箱根駅伝初出場を決める前だった。2021年8月。フルヤ金属の中村拓哉取締役から、新設する陸上部でニューイヤー駅伝出場を目指さないか、とスカウトされた。

「声をかけていただいたことに縁を感じましたし、面白そうだなと思いました。中村さんのお話からとても熱を感じましたね。箱根駅伝初出場を目指して駿河台大に入学したのと似ているなと思って、ここで自分の人生を賭けてみようと、フルヤ金属への就職を決めました」

フルヤ金属はスマートフォン部品などに使われる工業用の貴金属製品メーカーで、今年で創立54年目。有機EL燐光材向け一次材料のイリジウム化合物では世界トップシェアを維持している。21年6月期には過去最高益を達成し、業績は好調だ。中村氏をはじめとする経営陣は、順調だからこそ現状に満足するのではなく、挑戦を続けていきたい、と考えた。これまで会社を引っ張ってきた経営陣やベテラン社員だけに頼るのではなく、若手を中心に社員一人ひとりが楽しみながら仕事に取り組み、日々挑戦をしてほしい。そのシンボルとして、陸上部を創部した。

「会社として成長を続けるためには、挑戦を継続する必要があります。みんながチャレンジしていいんだよ、という雰囲気を作っていきたい」と中村氏。一人ひとりが自分の役割を果たして襷をつなぐ駅伝は、フルヤ金属と重なる。マーケティングから開発、製造、営業と襷をつないでいくことで、フルヤ金属は成長を遂げてきたのだ。

自身も月間100キロ走る市民ランナーである中村氏は、フルヤ金属のシンボルとしてゼロからニューイヤー駅伝を目指す陸上部の立ち上げを考案。陸上部創部への思いを阪本の前でも熱弁したが、阪本の表情は硬かった。

「正直、陸上界のことをあまり知らないんだなという印象を受けました。具体的に質問しても全て『これから考えていきます』という回答だったので」

阪本は率直に言った。「このプランは甘いんじゃないですか」。その瞬間、中村氏は確信した。「この選手に絶対来てほしい。一緒に考えてくれてチームを作ってくれる」。

阪本はその後熟慮を重ねたが、箱根駅伝予選会前の10月上旬、フルヤ金属で新たなチャレンジをすることを決断した。

笑顔でポーズをとる阪本

箱根駅伝10区区間7位。初出場で襷をつないだ

阪本は新たな歴史を作ることに心が惹かれるタイプだという。陸上長距離の名門校・西脇工業高から新興校・駿河台大に進学を決めた際には西脇工の陸上部顧問・足立幸永先生に「駿河台大学に行って箱根駅伝初出場のための力になってきます」と宣言した。

大学3年時には、抜群のキャプテンシーでチームをまとめた石山大輝さん(当時4年で主将)を徹底マーク。「これ以上のキャプテンはこの世にいないんじゃないかなと思うくらいすごいキャプテン。石山さんがチームメートにかける言葉を一言一句逃さないようにメモを取ったり、何をしているのか観察したりしました」。高校時代まで主将の経験はなかったが、自ら志願し主将に就任。上から指示するのではなく、自身の弱みを見せて部員に助けを求めることで、選手一人ひとりの自覚を促した。

2021年10月下旬。10位までが本戦に出場できる箱根駅伝予選会で、駿河台大は8位に。シード校10校と合わせて20校の狭き門を突破し、箱根駅伝初出場を決めた。2022年1月の箱根駅伝本戦では「最後まで襷をつなぐ」ことを目標に設定。9人の選手がつないできた襷は、アンカー10区を務める阪本の下に無事届いた。

「9人分の汗とチーム全員の思いが染み込んだ襷をもらった時、この一瞬を味わうために今まで辛いことを我慢してきたんだという気持ちが込み上げてきました。23キロという長い距離を楽しいなんて思ったことは一度もなかったんですけど、箱根駅伝は人生で一番楽しかった」

10区区間7位の好走。ガッツポーズしてゴールテープを切った後「やり切った!楽しかった!」という言葉が自然と出た。チームは総合19位で「最後まで襷をつなぐ」目標を達成。4年間の苦しい試行錯誤の末、箱根駅伝の舞台に立てたことで、目標に向かって全力で取り組めば、目標に近づくという確固たる自信を得た。

フルヤ金属陸上部のユニホームを着用して走る阪本

指導者も練習環境も「本当に何もない」

阪本は4月1日に営業職としてフルヤ金属へ入社。「社会人ってすごく大変ですね。覚えることがいっぱいあって、頭がパンパンになってます」と語るが、表情はどこか楽しそうだ。現在はフルタイム勤務のため、メイン練習は土日に行う。平日は朝5時に起床。出社前にジョギングし、仕事が終わった19時から再び練習する。

2022年4月に創部された陸上部は現状、監督もコーチもいない。グラウンドもなく、練習は部員2名の自主練習。「練習環境はまだ整っていないので、しっかりと話し合ってつめていきたい」と阪本。相談しながら自分たちで走れる環境を作っていく必要がある。会社側も選手たちに最大限のサポートをしていく考えだ。

陸上部の会長としてチームを取りまとめる中村氏の他に、スタッフ2名と選手2名、計5人全員が業務と両立しながら活動する。社内の市民ランナーが集まる「Furuya Running Club」の中にニューイヤー駅伝を目指す陸上部があり、20人の市民ランナーたちも選手を盛り上げ、ともにチャレンジしていく。

最大の目標は10年後のニューイヤー駅伝出場。まずは選手を集め、2024年にはニューイヤー駅伝の予選会となる東日本実業団駅伝出場を目指す。2026年には地方大会で入賞者を出して、指導力のある監督、コーチを招聘。そこからギアを上げて、2028年には日本選手権への出場選手輩出、そして2032年にニューイヤー駅伝の舞台に立つプランを描く。

陸上部が目指すのは、フルヤ金属の挑戦のシンボル。だからこそ、廃部となった他社の実業団チームの選手をそのまま受け入れたり、実績のある監督を呼ぶことで一気に優秀な選手を集めたりする戦略はとらなかった。実績も、人脈も、ノウハウもゼロからの挑戦。中村氏は「簡単な道ではない。社内外から色んな声をいただくかもしれません。しかし言ったからにはやりきる。その気持ちだけは誰にも負けません。フルヤ金属らしく、身の丈を確認しながら1つ1つ挑戦をする。一歩一歩、着実に進んでいきたい」と決意を語った。

 フルヤ金属陸上部会長の中村拓哉氏

指導者もいなければ、グラウンドもない。練習時間も限られている。競技者としては厳しい環境だが、阪本の表情は明るい。

「それは覚悟して来ているので。1からチームを作っている感じが楽しいです。他の実業団のランナーが気付かない部分に気付けることが僕の人生の財産になる。何もないところからと聞いていて、とはいえ多少はあるのかなと思ったら本当に何もなかった(笑)。今までの陸上人生で得た知識をフル活用しています」

阪本の仕事は走ることだけではない。チーム戦略にも力を発揮する。駿河台大時代にマネージャーが行っていたチーム分析を応用。ニューイヤー駅伝出場に向けてライバルとなる東日本の実業団チームの選手と自己ベスト一覧表を作成。ニューイヤー駅伝出場を達成するために必要なチームの平均タイムを割り出すことで、練習計画や選手の採用活動に活かしていくという。また、他チームの練習方法などの情報も収集し、良いところを積極的に取り入れながら、フルヤ金属オリジナルの体制を作っていく。

ジョギングを行う阪本(左)と生田目(右)

 「燃えたぎる」ニューイヤー駅伝への決意

近年、企業スポーツを取り巻く環境は厳しくなっており、大企業の有名チームでも廃部や休部を選択するケースが少なくない。これから数々の難題が待ち受けていることが予想されるが、中村氏の決意は揺るがない。

「実業団スポーツが厳しい状況だからこそ、我々のようなメーカーがチャレンジすることには非常に意義があると思う。覚悟を決めて挑戦をしていきます。みなさまから背中を押してもらえるように、愛されるチームづくりが必要不可欠。信頼されるチームになれるように、私も含めて日々の言動から自覚を持って取り組んでいきます」

ニューイヤー駅伝は、日本の駅伝界最高峰の舞台 。1500mからマラソンまで中長距離の様々な種目の精鋭たちが集まる。阪本は「先の見えない、難しい挑戦」と受け止めつつ「ゴールがでかいからこそ、やりがいはすごくある。仕事でも成果を出して、まずは社員の方に応援されるチームを築きたい。指導者がいないので、走るだけでなく選手をまとめていく役割も担いたい」と意気込んだ。

「大学では1から箱根駅伝に出場するチームを作るという思いで取り組んで、正解かどうか分からないことをいっぱいやりました。それでももがいて箱根駅伝に出られたので、1つの正解ではあったのかなと。やり方はいっぱいある。どうやったらできるかを考えて精一杯やります。今、すごく燃えたぎってます」

ニューイヤー駅伝への道は長く、険しい。夢舞台へのルートが確立されているわけでもなく、たくさんの困難が立ちはだかるだろう。だが整備されていない道を進む楽しさを知っている阪本なら、やってくれそうだ。

スーツ姿で走る阪本(左)と生田目(右)

(取材・文/ 岡村幸治、写真提供/ フルヤ金属陸上部)

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