パデルU-18日本代表・安藤斗人、ペルテス病を乗り越えて世界に挑む

 今年5月の全国ジュニアパデル大会で、安藤斗人(あんどう・かいと)は金子陽(かねこ・はる)とのペアで見事優勝を果たした。現在、安藤は17歳の高校2年生だ。パデルU-18日本代表に選ばれ、11月にパラグアイで行われるジュニアの国際大会への出場を目指し、9月23日からUAEで行われるアジア予選に挑む。
 パデルとはテニスとスカッシュの要素を持ったスペイン生まれのラケットスポーツだ。ダブルスのみでプレーする。テニスコートの半分ぐらいのコートは周囲を強化ガラスと金網によって仕切られ、壁のバウンドを活用できる。ポイントの数え方や試合進行はテニスと同じだ。

今年5月、金子陽(左)とのペアで全国ジュニアパデル大会男子U-18の部優勝

家族の支えでペルテス病を克服

 安藤は幼少期、スポーツ教室と幼稚園・保育園が一緒になった幼児園に通い、スキー、体操、スイミング、野球、サッカーなど様々なスポーツに親しんでいた。ところが、小学校入学直前、活発だった安藤を病魔が襲った。母・知衣(ともい)さんは当時を振り返ってこう語る。
「足が痛くて歩けないと言い出したんです。はじめは近くの整形外科で、まず肉離れと診断されて。次に大きい病院で診てもらったら、入院してすぐ手術だと。身体の中の大腿骨を切って、骨を移植する手術をしないといけないと言われたんです」
 セカンドオピニオンを求め、両親は安藤を国立成育医療研究センターへ連れて行った。そこで診断された病名は『ペルテス病』だった。
『ペルテス病』は、子供の股関節の大腿骨の血行が弱くなり、骨の壊死(骨の細胞が死んでしまう)が起こり、骨の強度が極端に弱くなって、放置しておくと潰れて骨に変形が起きてしまう病気だ。幼稚園児などの低年齢の子は2~3年の治療で良好に骨が再生し、きれいに治るが、小学校高学年になると治るまでに時間がかかり、変形も生じやすくなるという。
 国立成育医療研究センターでは、手術はせず保存療法で治していくことになった。本来であれば安藤は4月から小学校に通うはずだったが、2カ月間の入院が必要となった。炎症を引かせるため、24時間ベッドの上で両足を牽引(けんいん)するなどの治療が行われた。炎症が引いたあと、重い装具を付けて歩けるよう歩行訓練を行ったのち、ようやく退院を許された。
 退院したとしても、すぐに他の子のように走り回れるわけではない。重い装具を付けながら小学校へ通い、体育の授業は見学した。階段の上り下りも危ないのでエレベーターを使った。お昼休みや放課後、クラスメイトが校庭で走り回っているのを、安藤は静かに見ているしかなかった、はずなのだが……。知衣さんはこう話す。
「装具って、激しく動くと壊れちゃうんですけど、斗人は何度も壊してしまったんです。心配で公園とかへ見に行ったら、装具を取って滑り台を滑っていたり……。友達とはたぶん、しっかり遊んでいたと思います」
 安藤本人は当時のことを「ほとんど覚えていないんですよ」と苦笑する。
 重い装具を付けての治療は2年間続いた。退院後も治療とリハビリのため、週5回は病院へ通わなければなかった。たいへんな2年間だったが家族や周囲の人たちに支えられ、治療は順調に進んだ。3年生になる頃から、体力をつけるためにスイミング教室へ通うようになる。小学校高学年になる頃には、安藤は他の子と同じような普通の生活を取り戻し、テニス、空手、サッカーなどのスポーツをプレーできるようになった。

小学校1年生の頃、装具を付けての歩行訓練(写真/本人提供)

叔父の影響でパデルの世界へ

 安藤がパデルに出会ったのは、小学校を卒業するちょっと前のこと。そこには叔父であるパデル日本代表・高松伸吾総監督の存在が大きく影響していた。高松総監督は早稲田大学庭球部出身、大学卒業後は実業団でプレーした。北海道札幌藻岩高校時代には高校日本代表も経験している。現役引退後、パデルという新しいスポーツに出会い、2016年6月、中塚アントニオ浩二会長らとともに一般社団法人日本パデル協会を立ち上げた。現在は同協会理事、普及強化本部長、日本代表総監督を務めている。
 同協会は、パデルの普及を進めるため、コートの脇でバーベキューをしながらパデルを楽しむイベントをたびたび開催している。叔父に誘われ、安藤はイベントに参加し、初めてパデルをプレーした。高松総監督は安藤をパデルに誘った理由をこう話す。
「斗人がテニスをやるようになったので、僕も試合を見に行っていたんです。私もテニスでは日本代表まで経験していますから、テニスの世界で上に行く厳しさは分かっています。パデルは新しいスポーツなので、ジュニアの選手も少ない。パデルで日本一を目指してみろ、2年間死ぬ気で取り組めば日本代表になれるぞ、という話をしました」
 中学生になってから本格的にパデルをプレーするようになり、安藤は力をつけていった。パデルを始めて4年、今年5月に行われた第3回全国ジュニアパデル大会では、同じ高校2年生である金子とのペアで男子U-18の部の頂点に立った。
 パデルの魅力について、安藤はこう語る。
「テニスを始めたときは、ラリーができるまでしばらく時間がかかったんですけど、パデルは最初にやったときからすぐゲームに入れました。初心者でもすぐゲームができて、いろんな人と楽しめるのがパデルの一番の魅力かなと思います」

パデルを始めてから4年で同世代の頂点に立った

世界を目指し、アジア予選突破に挑む

 11月にパラグアイで行われるジュニアの国際大会『XIV FIP JUNIORS WORLD PADEL CHAMPIONSHIPS』への出場を目指し、安藤は9月23日からのアジア予選に挑む。アジア予選にはサウジアラビア、UAE、日本の3カ国が出場予定で、優勝した1カ国のみが本大会に出場することができる。
「今年2月にUAEのドバイで初めて国際試合を経験したんですが、自分は海外のコートの方がやりやすかった。アジアの強敵を倒して、なんとしても世界大会に出場したい」と安藤は意気込む。
 高松総監督は「プレーの柔軟性が出てきました。ちょっと前なら全然取れなかったボール、返せなかったボールでも、今は柔らかく返せるようになってきている。ディフェンスがすごくよくなってきているので、次はオフェンスのパターンを増やしてショットの質を上げていくことが課題。数年後には日本代表も狙えると思います」と安藤の成長を喜び、大きな期待を寄せている。
 現在、世界で約2500万人がパデルをプレーしている。国内での競技人口は約4万5000人だ(日本パデル協会調べ)。2030年までに日本国内で競技人口100万人規模のスポーツに伸ばすことが日本パデル協会の目標だ。スペインではパデルはサッカーに次ぐ国内第2位の競技人口を誇るメジャースポーツであり、フットサルコートの隣にパデルコートが設置されているという。そんな世界の環境を安藤はうらやましく思っている。
「テニスコートがたくさんあるように、パデルコートがもっとたくさん増えて、いろんな人ができるような、身近なスポーツになってほしい。自分が強くなって活躍することで、もっともっとパデルをメジャーにしていきたい」
 パデル国際連盟(FIP)は2032年五輪での正式競技としての採用を目指している。9年後、安藤は26歳になっている。「それまでには日本代表に入って、オリンピックに出たいです」と安藤は言葉に力を込める。

高いディフェンス力が安藤のパデルプレーヤーとしての一番の長所だ

ペルテス病に悩む人たちへ~諦めないで夢を追いかけて

 幼い頃、患ったペルテス病も家族や周囲の人たちに支えられ完治した。現在はアスリートとして世界での活躍を目指す。自分と同じペルテス病に苦しむ子供やその家族へ、安藤からメッセージを送ってもらった。
「自分も入院すると聞いたときには、子供ながらにすごく衝撃でした。でも今は完治してパデルで世界を目指しています。病気になってしまった子、家族の方々はすごくたいへんだと思いますが、諦めないで治療をし続けて、夢を追い続けてほしいなと思います」
(写真提供/日本パデル協会 取材・文/小川誠志)

ペルテス病も完治し、世界での活躍を目指す

北海道札幌市出身。スポーツライター。日刊スポーツ出版社などを経て2018年よりフリーランスに。

プロフィール

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