高校以下の野球で、「球数制限」は、なぜ必要なのか

広尾晃のBaseball Diversity:19

2019年日本高野連は「投手の障害予防に関する有識者会議」を開催。その答申を受けて翌2020年から球児の健康面に配慮した「7日間500球まで」という「球数制限」を導入した。

「球数制限」は、なぜ必要なのか。その背景を追いかけよう。

1970年代から警鐘を鳴らしていた医学会

あまり知られていないが、日本の整形外科医たちは、1970年代から野球少年の「健康障害」について、危機感を抱いていた。病院やクリニックに肩ひじ、腰などを痛めた少年たちが多数やってきたからだ。

そうした症例や治療法、ケアについては医学雑誌などにも論文として掲載されるなど、早い時期から専門家の間で問題意識は共有されていた。

また2011年には、日本整形外科学会を中心に一般財団法人運動器の10年・日本協会が設立され運動器疾患・障害の早期発見と予防体制の確立が叫ばれ、野球少年の「健康障害」も、運動器疾患・障害の一つと捉えられるようになった。

問題に気が付かない指導者

しかし、当の少年野球の指導者の間では、永らくこのことが問題だと認識されることはなかった。一つには医療への関心が低く、理解力に乏しい指導者が多かったことがある。

日本野球には、本格的な指導者ライセンスはない。

高校野球の場合は、高校の教員が指導者になることが多い。新任の指導者は先輩に指導法を教えられて指導者になる。しかしその「指導法」のなかに、医学的知識や選手のケアなどが含まれていないことが多く、指導者に医療の知識が欠落していることも多かった。「水を飲むな」「水泳をするな」「重いものを持つな」など科学的な根拠が全くない指導法を無批判に引き継ぐことも多かった。

中学生の指導者は、高校野球の指導者や選手経験のある人が指導者になることが多かったが、ここでは医療に精通する指導者はさらに少なかった。

そして小学生の指導者の場合、本格的な野球経験がない父兄上りが指導者になることも多く、専門知識を持つ指導者はほとんどいなかった。

こうした指導者の多くは、専門的な医療の知識が皆無だっただけでなく、それを学ぶ必要性も感じていなかった。

小学生、中学生、高校生の主な「野球障害」

野球をしたい子は他にもたくさんいる

こうした指導者も、自分が指導する子供たちが突然野球ができなくなるケースはたくさん目にしてきた。しかしこれらの健康被害について、自分たちの責任だと思う人は少なく、ほとんど問題にしてこなかった。

多くの指導者は、肩やひじに痛みを訴える子ども、投げることができなくなる子は、「体が弱かった」「根性がなかった」などの理由で実質的に切り捨ててきた。

日本では野球がナショナルパスタイム(国民的娯楽)だった時期が長かっただけに、野球をやりたい子供はたくさんいたから、代わりの子供はすぐに見つかった。

指導者の中には、多くの選手の中から好素材、見どころのある選手を「ふるいにかける」のが仕事だと思っている人もいたのだ。

中には野球選手の健康被害について正しく理解している指導者もいたが、「練習や試合で障害を負ってプレーできなくなる選手」に対して何ら自責の念をいだくことがなかったために、これを問題だと思わなかった。

そして練習や試合で無理をして野球ができなくなることを「燃え尽きる」という都合の良い言葉に言い換えてきた。この言葉はケガや故障を美化している。また「野球ができなくなるのはそれを選択した選手の責任」というニュアンスが色濃く感じられる。

日本の野球指導は戦前から続く「精神野球」の流れを汲んでいる。様々な艱難辛苦を「根性」で克服するというような、精神論がいまだに根強く残っている。これは科学的な態度とは相容れない。

指導者の多くは、今に至るも医療関係者と接触したがらない。そして医療の側も指導者に理解してもらうことに対して、半ばあきらめているように思われる。

野球少年たちは、こうした医療と野球指導者の不幸な関係の被害者だといえる。

兵庫県野球肘検診

エースを「野球ひじ検診」から外す指導者

近年、野球少年の健康障害に対する問題意識が高まり、全国で整形外科医や理学療法士などによる野球少年の検診が行われるようになった。

整形外科医や理学療法士の多くは手弁当でかけつけ、MRIなどの機器で子供の肩ひじをチェックし、異状が見つかった場合は精密検査を行ったり、体のケアやトレーニング法を教えたりしている。

野球教室や講演会なども併催され、多くの野球少年が親子連れでやってくるようになった。

しかし、こうした現場で話を聞くと、この問題はまだまだ根深いことがわかる。

少年野球の指導者の中には、健診には参加するが主力級の投手は連れてこないケースも散見されるのだ。主力級の投手は試合での投球過多や練習のし過ぎで肩ひじに障害を負っている可能性が高い。健診でOCD(離断性骨軟骨炎)などが見つかった場合、1年以上のノースローになることも多い。エースで勝ちを追求したい指導者は、それを恐れて、いい投手は健診には出さないのだ。

健診を担当する医師や理学療法士もこれを問題視して、指導者ではなく、選手の親に直接連絡をして、健診に来させることも多くなっている。

こうした健診では、野球少年の健康管理についての講習会も行われているが、指導者の関心は高いとは言えない。出席しなかったり、居眠りする姿も見かける。そこでこうした講習会も保護者をターゲットにすることが多くなっている。

マウンドには「リスク」も潜んでいる

「甲子園」のために才能を「先取り」してしまう子どもたち

野球少年の健康被害は、高校生、中学生、小学生でそれぞれ障害の種類や症状も異なっている。

最も深刻なのは、まだ体が出来上がらない小学生の時期の健康障害だ。これを放置したり、十分な治療を行わないと、中学、高校でのプレーに支障が出るだけでなく、成人してからの日常生活にまで影響することがある。

深刻なのは、最も気を付けるべき小学生段階の指導者のレベルが最も低いことだ。この時期に適切な治療、ケアを受けることができなかったために野球を断念する子供も相当数いると思われる。

中学に入ると少年硬式野球が本格化する。練習や試合もさらにハードになり、深刻な障害を負うケースも見られる。

高校野球に進む選手は、特に有力校の場合、こうした小中学時代のハードな練習に耐えたサバイバーだということができる。甲子園大会前のメディカルチェックではほとんどの選手に、小中学校時代の故障の跡が見つかる。甲子園ドクターは、炎症などがない限りこれらの既往症は問題にはしない。そこまで問題視すれば大会が運営できなくなるからだ。

端的に言えば、日本の野球界の未来を担う球児たちは、まだ十代の段階で「満身創痍」になっているのだ。

もちろん過酷な鍛錬によって、肉体や精神は鍛えられてはいるだろうが、鍛えることができない軟骨やじん帯、関節などは酷使によってボロボロになっていることも多いのだ。

そうした状況の背景には「甲子園」がある。100年以上の歴史があるこの大会に、選手生活のピークをもってくるために、野球少年たちはかくも無理をし、生き急ぐのだ。

そして、その後の野球人生で、伸びしろがなくなったり、燃え尽きたりしてしまう。

一方でたまたま早い時期に「甲子園」を目指す道から脱落し、それほどハードではない練習や試合をしてきた「二番手」の中から、野球界を担う人材が数多く誕生しているのだ。

こういう医療と野球の不幸な関係は、かつては韓国でも見られたが、日本に先駆けて厳格な「球数制限」を導入したことで、ほとんど見られなくなった。

「球数制限」の導入以降、事態は好転しつつあるのは間違いない。しかし、それでも問題の根は深い。

野球指導者には、青少年野球の現状に対して、重大な責任がある。今こそ、野球医学に正対して、正しい医療知識を身に着けるべきだろう。

少年野球の段階から医療のケアを

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