【レーシングドライバー 伊藤 慎之典】地元いわきでモータースポーツを広めたい
国内モータースポーツ最高峰のカテゴリーが「スーパーフォーミュラ」と「スーパーGT」。スーパーフォーミュラはF1に代表される「タイヤが剥き出しの車両」のこと。スーパーGTは「市販車をベースにレーシングカーに改造した車両」。その両方の頂点を目指し自らと向き合うレーシングドライバー伊藤慎之典選手。今年からGTカーの「スーパー耐久レース」に参戦。伊藤のレースに賭ける人生を振り返る。(取材/文:大楽聡詞、写真:本人提供)
故郷いわきは温暖な地域。高校でレーサーデビュー
伊藤慎之典の出身は福島県の東南端に位置する「いわき市」。南端は茨城県、東は太平洋に面している。東北なのに雪が降ることもほとんどない温暖なエリア。実家は「国元屋」という一軒宿の旅館。幼少期はサッカーに熱中した。
モーターレースに目覚めたのは中学2年、テレビでレースを観たのがキッカケだ。その後、宮城スポーツランドSUGOで国内最高峰のレース「スーパーGT」を観戦。サーキット場で聴こえるエンジン音や迫力に魅了され、レーサーを志す。
だが、福島県いわき市はサーキットで練習をするには難しいエリア。北は宮城の「スポーツランドSUGO」、南は栃木の「ツインリンクもてぎ」まで行かなければコースがなかった。そこで「東北に比べてチーム数が多い」という理由で、ツインリンクもてぎを練習場所に選択した。
サーキット場での練習は週末限定。平日は部活動でサッカー、そしてジムに通いレーサーとして必要な身体作りに励んだ。
この頃、伊藤が参戦していたのは「SLカートミーティング」。国内で最も普及しているカートレース。
「カートレースは、幼い頃アイルトン・セナやミハエル・シューマッハも経験しています。コースにもよりますが、スピードは約135キロ。体感スピードで200キロ前後です。カートに乗り始めた高校1年の頃は、少しだけ『怖い』と感じました。ただ半年も乗ると『楽しい』が上回りましたね(笑)」
本格的なレース参戦。父と二人三脚。デビューは苦い思い出
高校1年、2015年11月にもてぎカートレース場で行われたレースに出場。これが本格的なレースデビュー戦。それまでは各チーム主催のアマチュアレースでの走行だった。
「一般的にアマチュアレースを『草レース』と言います。この草レースに練習を開始して3回目に出場しました。これはあくまでも『レース勘』を養うためのもので、誤解を恐れずに言えば『ゆるいレース』です。当時チームに所属していましたが、実質メカニックは父1人。11月に参戦した本格的なレースはドライバーのレベルも高いし、何をしていたのか記憶がない。あたふたして気がついたらレースが終わっていました。苦い思い出です(苦笑)」
伊藤は父と話し合い、2016年シーズンはレースに継続出場すると決めた。
結果はすぐに出る。2016年6月、宮城のスポーツランドSUGOで開催された「SLカートミーティング」でコースレコードを取り3位入賞。その数ヶ月後、上位カテゴリーにスイッチした。100ccのエンジンが125ccに上がり、パワーも7馬力から約30馬力まで一気にパワーアップ。半年間、みっちり練習し国内最高峰のレーシングカートレース「全日本カート選手権」に出場した。
フォーミュラからGTの世界へ
伊藤が昨年まで参戦していたのは「FIA-F4選手権」、若手が腕を磨けるフォーミュラレースで「モータースポーツ界の甲子園」と言われる。F1に代表される「タイヤが剥き出しの車両」でレースをおこなう。
今年から参戦しているのは「スーパー耐久」。スーパー耐久とは、市販車をベースにレーシングカーに改造したGTカーでサーキット最速を競うモータースポーツだ。
「実は昨年11月のスーパー耐久レースの最終戦。最後の最後にスポット参戦しました。最初はフォーミュラの知識や技術しかない状態で乗ったので、フォーミュラの乗り方でGTカーに乗っていました。そしたら思うように動かせないところがあって。でもフォーミュラの知識で応用が効くこともあり、完璧じゃないけど6、7割は操れるようになりました。ただ突き詰めていくと、まだまだ足りないですね」
ボディー以外、フォーミュラとGTの大きな違いはなんだろう。
「GTカーの車体はすごく重いんです。単純にフォーミュラカーの約2倍あります。フォーミュラカーは人間1人の体重を入れて600キロとか650キロくらい。今年出場しているスーパー耐久で、僕はトヨタのGR86に乗っています。車体重量が約1100キロ、1トン以上あるんです。重さはブレーキに影響がでやすい。軽い車は止まりやすいけど、重い車は止まりにくい。あとはエンジンの搭載位置が違います。フォーミュラカーは人の後ろにエンジンがありますが、僕が乗っているGR86は前。ですから運転の仕方が変わってきますね」
伊藤が慣れ親しんだフォーミュラから、車体や運転方法など大きな違いがあるGTにシフト変更したのはなぜか?
「国内でもやっぱり一番観客動員数が多いのはスーパーGT。一般的に名前が一番響き渡っている。だからそこに挑戦したい。そこに出場して最終的にはチャンピオンを取りたいです」
2023年シリーズからスーパー耐久レースに本格参戦
今年3月、鈴鹿サーキットでスーパー耐久シリーズが開幕した。伊藤は「浅野レーシングサービス」に所属、これまで3レース経験。5月の第2戦 NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レースでは3位入賞。
「スーパー耐久は速さの違うカテゴリーが9つあり、それらが一緒にレースしています。仮に1カテゴリーに10台いなかったとしても、約50台がいっぺんに走ります。実際、別のカテゴリー同士で、車がぶつかりクラッシュしたのは、何回かありましたね。僕が出場しているクラスは『ST−4』で下から2番目。ですから比較的に抜かれることが多い。でも、一応その下にもカテゴリーがあるので、それを抜かしつつ、後ろから追い抜こうとするカテゴリーの上の車両を『なるべくロスしないように』抜かさせてレースをおこないます」
これまでドライバー1人だったフォーミュラと違い、スーパー耐久レースはドライバーが複数。チームとしての団結力が勝利を左右する。
「ドライバーが1人の時は、『今回のレースはこういう作戦で行こう』と自分で決めればいい。でもチームの場合、3人ドライバーがいると…言い方が悪いのですが1/3に過ぎません。仮に自分がノーミスで終わっても、チームメイトがクラッシュに巻き込まれることもある。逆も然りです。ですから『自分ができることは最大限100%コース上で出し切ろう!』という気持ちで毎回レースをしています」
だが伊藤は新たな発見もあると言う。
「フォーミュラカーは僕1人で乗っていました。でも耐久レースでは同じ車に乗るので数字で比べることができる。同じコースを全く同じタイムで走っても、走行データを確認すると全く違うんです。『僕は最初のコーナーが速いのに、別のドライバーは2番目のコーナーが速い』とか。ですからお互いの良い部分を学びスキルアップにつながります。今年一緒に組ませてもらっている浅野さんは国内最高峰カテゴリーへの出場経験もある。レースに対する向き合い方や考え方とか、学ぶべきところは沢山あります。本当に日々吸収させてもらっています」
物事にはメリットもあればデメリットもある。フォーミュラカーは自分の乗り方に合わせたセッティングをするが、スーパー耐久は1台の車を複数のドライバーで乗るため、自分に合ったセッティングではない。例えば6時間の耐久レースなら、6時間走ったあと、一番速くゴールできるセッティングが正解になる。
「これが結構メンタルに響きます(苦笑)。他のドライバーも同じ心境だと思いますが、例えば各ドライバーの目標が『速さをアピールしたい』だとします。3人の中でトップタイムを獲得したいし、ライバルチームより速く走りたい。そのために『自分的には車をこういう風にセッティングして欲しい』と要望をだします。でも他の2人も同じように要望がある。それをチームのエンジニアがパソコンで分析し、各レーサーと話し合い、最終的に『こういうセッティングで行こう』と判断する。これまで個人プレーだったのが、チームプレーに変わった。慣れるのに、もう少し時間が必要ですね(苦笑)。ただドライバーとして、いろいろな引き出しを多く持ってる方が、車をさらに速く走らせることができます」
多くのドライバーやスタッフと考えを共有し一つの目標に向かう。だからこそ表彰台に上がれた喜びもチームで共有する。
「僕は昔サッカーをやっていました。そのイメージに近いですね。実際運転しているタイミングはドライバー1人ですが、交代するドライバーがいて、燃料補給してくれる人、タイヤを交換してくれる人、ドライバーのチェンジを手伝ってくれる人。いろんな人たちがいてレースは成立しています。とにかくチーム感がものすごく強いですね」
レーシングドライバー 伊藤 慎之典、今後の目標
今年から参戦した「スーパー耐久レース」。2023年は残り4レース。伊藤に目標を聞いた。
「5月の24時間耐久レースで表彰台に上がれたのは、運が大きかった。今年の24時間レースは52台が一緒に走りました。色々なトラブルが起きて、それこそ他のカテゴリーと接触して止まった車も。そういう中、僕たちのチームの作戦は、「多少ゆっくりでもいいから、燃費を稼いで、なるべく車に負担をかけないように24時間を走り切る」でした。結果的に生き残り3位。作戦勝ちです。ただ24時間耐久レースはシーズンで一度きり、もう今年はありません。ですからスピード勝負、速さで表彰台を狙いたいですね」
日本のモータースポーツ最高峰のカテゴリーは「スーパーフォーミュラ」と「スーパーGT」が存在する。レーサーとしての最終目標はどちらなのか?
「目標はスーパーGTです。スーパーGTも上位の『GT500クラス』と下位の『GT300クラス』の2カテゴリーあります。これも違うカテゴリーの車両が一緒にレースをおこなう混走。GT以外のレースで混走を経験できるのはスーパー耐久のみ。ここで結果を出して、近い将来スーパーGTに上がれれば最高ですね」
そして伊藤には、もう一つ大きな夢がある。
「『地元いわきでモータースポーツを広めたい』と考えています。僕がモータースポーツを知ったのは中学2年生の時、テレビで観たレースがキッカケでした。もし中学生の時からモータースポーツを始めていたら、高校で始めるより3年間早くドライバーとしてスタートできていた。この3年がものすごく大きい。レースを始めたばかりの高校1年の時、「始めるのが遅かった」と痛感しました(苦笑)。いわきにはモータースポーツができる環境がないんですよ。大きい4輪が走れるコースとなると規模が大きくなってしまうのでカートコースがあれば十分。また最近では手ぶらで利用できる「レンタルカート」もあります。このような施設があればモータースポーツに興味を持つ人も増えるし、いわきの知名度も上がるのではないかと。そして将来的にいわき出身のドライバーが増えます。ただ夢を形にするには僕の全国的な知名度があってのこと。まずは日本でトップを獲るために頑張りたいと思います」
日本国内最高峰のレース「スーパーフォーミュラ」「スーパーGT」でチャンピオンになる目標を持つ伊藤慎之典。その根底にあるのは、地元いわきを愛する想い。12歳で東日本大震災を体験、彼の住む小名浜地区は甚大な被害を受けた。
「自分の夢を叶えることで、地元いわきが注目される」「自分がチャンピオンになることで笑顔になる人がいる」。そんな強い想いを胸に、伊藤は今日もハンドルを握る。
(おわり)