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苦しんだ初日から金メダルの最終日へ オープンウォーター・ワールドカップ セチュバル大会

 2025年6月14日から15日に、ポルトガルのセチュバルでオープンウォーターのワールドカップ第3戦が開催された。このレースに日本から、辻森魁人(つじもり かいと)・高木陸(たかぎ りく)・蛯名愛梨(えびな あいり)・梶本一花(かじもと いちか)の4選手が出場し、梶本選手が3㎞ノックアウトスプリントで優勝、また蛯名選手が10㎞のレースでスプリント賞を獲得した。

 世界トップレベルのスイマーが集まったレースの雰囲気とはどのようなものなのだろうか。そして、日本選手たちはその中で、どのように戦っていたのだろうか。

セチュバルの海岸通りにある、ジョセ・モウリーニョ通りの看板

オープンウォーター、そしてセチュバルという町

 オープンウォーターとは、海・川・湖といった屋外で泳ぐ水泳競技である。プールでの水泳競技と比べると距離が長いレースが多いこともあり、オープンウォーター独自の種目も存在している。今回のポルトガル・セチュバル大会では、男女ともに10㎞のレースと3㎞ノックアウトスプリントの2種目で選手たちが戦った。

 オープンウォーター競技の3㎞ノックアウトスプリントとは、予選1500m、準決勝1000m、決勝500mのレースを5分ほどのインターバルを取りながら立て続けに泳ぐ競技である。またこのレースは、準決勝と決勝に進めるのは各レースの上位10人だけというサバイバルレースでもある。つまり、最後の500mのレースで泳ぐためには、予選・準決勝ともトップ10以内の順位でゴールする必要がある。

 今回のレースの舞台となったセチュバルは、ポルトガルの首都・リスボンの南にある港町で、毎年のようにオープンウォーターのワールドカップが開催されている。そしてこの町は、かつてレアルマドリードやマンチェスターユナイテッド等のサッカーのビックチームで監督を勤めた、ジョセ・モウリーニョ氏の生まれ育った町でもある。そんなセチュバルにある、海に一番近い大通りには、「アベニーダ・ジョセ・モウリーニョ」と名前付けられている。

女子10㎞でスプリント賞を獲得した蛯名愛梨選手

苦しい1日目となった日本人選手たち

 大会は、男女とも10㎞のレースから幕を開けた。コースは1周1666mの周回コースで、選手たちはここを6周する。この日、会場となったセチュバルの気温は25度以上あるものの、春に寒い日が多かったことも影響してか、水温は18度と低めのコンディションとなった。そして、この水温の低さに最後まで選手たちは苦しむことになった。

男子10㎞のレース中の辻森選手(写真右)と高木選手 (写真左)

 男子の10㎞のレースは午前11時にスタート。日本から、辻森選手と高木選手が出場した。レース前半は2選手とも先頭集団でよいリズムを維持して泳いでいたが、後半を迎えると急にスピードが鈍り始める。最終的に辻森選手が26位でゴールし、高木選手は途中棄権という結果となった。レース後は多くの選手が低体温症に苦しみ、海から上がると車いすで救護室に運ばれる場面も見られた。

 女子の10㎞のレースは午後5時スタート。日差しも強く、気温自体も28度という夏のようなコンディションではあったが、水温は午前中と変わらず18度のままであった。加えて、この時間にセチュバルの港は満潮の時間を迎えていた。セチュバルの海は潮の満ち引きが非常に大きく、男子のレースの時には10m近くの幅があった砂浜が、女子のレースのスタート時にはすべて海に沈む。そのため、女子選手は低い水温と共に強い潮の流れにも対応しながら、レースをすることになった。

10㎞のレースで先頭を泳ぐ蛯名選手


 レースがスタートすると、すぐに蛯名選手が先頭に立って、レースを進める。最初の1周目をトップで通過すると、その後も先頭集団の前の方で、積極的にレースを進める。同時に、梶本選手も第1集団の後方から中盤へと着実にポジションを上げていった。

 しかし、レースの中間地点である3周目を過ぎたころから、蛯名選手のポジションが急激に後方へ下がりはじめる。レース後に蛯名選手自身が「後半は全然だめだった」と語るほど急激に調子を落とし、最終的に21位でゴールした。また、苦しみながらも中盤以降も粘ってレースを続けた梶本選手はこの日19位でのゴールとなった。

 日本人選手にとって厳しい結果に終わった初日のレースについて、チームを率いる太田伸コーチは、「海水温が低くて、どの選手も苦しんでいたようです。日本人選手たちのトレーニングは十分に積めていましたし、通常であれば、ペース自体も先頭集団について行けるものだったと思います。実は今回の女子の優勝者のタイム(1:53:39.60)は、男子の優勝者のタイム(1:53:28.10)とほとんど同じくらいでした。そんな中で蛯名選手がスプリント賞を獲得したのは、高く評価できることだと思います。」と話した。

3kmノックアウトスプリントで優勝した梶本選手が、レース直後に太田コーチと喜びを分かち合う。

梶本選手、金メダル獲得

 前日と比べて気温は若干高いものの、水温は前日とあまり変わらないコンディションの中でのレースとなった大会2日目は、男女とも3㎞ノックアウトスプリントの競技が開催された。

 辻森選手と高木選手が出場した男子のレースは、まず最初の1500mで辻森選手が8位、高木選手が10位と良いスタートを切ったように見えた。しかし、次の1000mでは高木選手が14位、辻森選手が16位でゴールし、ともに決勝の500mへの進出は叶わなかった。

3㎞ノックアウトスプリントでの辻森選手(写真右)と高木選手(写真左)

 女子の3㎞ノックアウトスプリントのスタート時間は午後1時。前日ほどには潮が満ちていない状態でのレーススタートとなった。予選の1500メートルではスタート直後から先頭集団を飛び出した梶本選手がレースを引っ張り、そのままトップでゴールに飛び込んだ。また、蛯名選手も堅実にレースを進め、第4位でゴールする。準決勝の1000mも梶本選手が順調にレースを進めてトップでゴールすると蛯名選手も4位となり、両選手の決勝進出が確定し確定した。

準決勝が終わった直後の梶本選手(写真左)と蛯名選手(写真右)

 決勝でも梶本選手は絶好調で、スタートから一度も先頭を他の選手に譲ることなくトップでゴールし、この種目でのワールドカップ初優勝を達成した。梶本選手は今年の4月のオープンウォーター・ワールドカップのイビザ大会の3㎞ノックアウトスプリントでは第3位であったが、今回のレースでは予選・準決勝・決勝すべてでトップという「完全勝利」の形での優勝となった。

レース後の日本チーム

 1日目は「惨敗」だったと語った太田コーチだったが、4選手全員が2日目には持ち直し、梶本選手が今季ワールドカップで初めての金メダルを獲得することができた。

 今回の大会にはパリオリンピックのメダリストや世界選手権の上位入賞者が集まっており、レースのレベルは非常に高いものであったと考えてもよいだろう。

 そうした中で、集中力を切らすことなく2日間戦い抜いた日本人選手たちの経験は、これからの世界選手権やオリンピックなどの大舞台で大きな糧となるに違いない。

(文・写真 對馬由佳理)

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