ジェフへの思いは「恋」から「家族愛」に…スポーツ観戦は人生を豊かにする

 「ジェフユナイテッドライフの実現」

 サッカーJ2のジェフユナイテッド市原・千葉(以下ジェフ)が2010年から掲げているクラブビジョンだ。「ジェフのある生活」は、多くのサポーターの人生に彩りを与えてきた。

 医療法人静和会浅井病院(千葉県東金市)理事長で医師の浅井禎之さん(51)はその一人。今年5月から7月にかけて実施されたイビチャ・オシム元監督のモニュメント製作を目的としたクラウドファンディングでは、個人で多額の支援を行い達成を後押しした。「オシム像の片脚分くらいにはなったかな」と笑う浅井さんの、「ジェフユナイテッドライフ」に迫る。

フクアリの「阿部勇樹コール」に興奮

 浅井さんとジェフとの出会いは、Jリーグ開幕2年目の1994年まで遡る。当時は北海道の大学に在学中で、それまでサッカーやスポーツ観戦とは無縁の生活を送っていたが、たまたま親戚からチケットを譲り受け札幌厚別公園競技場でのホームゲームを観戦した。

 一流選手のプレーやスタジアムの盛り上がりに興奮を覚えたものの、北海道には当時Jリーグのチームがなかったこともあり、すぐにサッカー観戦が趣味になったわけではなかった。次にジェフの試合を観戦したのは、地元の千葉県に戻ってから6年が経過した2006年8月。1万1000人以上の観客が詰めかけたホームスタジアム・フクダ電子アリーナ(フクアリ)の空気と、約2か月前までチームを率いていたオシム監督の影響が色濃く残る攻撃的なサッカーに圧倒された。

フクアリゴール裏スタンドの応援風景

 さらに同年9月のナビスコカップ準決勝では、延長戦の後半終了間際にジェフがPKで勝ち越し決勝進出を決める劇的な瞬間を目撃した。割れんばかりの「阿部勇樹コール」が鳴り響く中でPKを決めた阿部勇樹選手や、うずくまる阿部のもとへ駆け寄り抱きついた巻誠一郎選手の姿に胸を打たれ、「すっかりジェフの沼にハマった」。

 「スタジアムで涙が出るような、胸が震えるような経験は日常生活では得がたい。とにかくものすごい熱量と雰囲気で、それを何度も味わいたいと思った」。この試合がきっかけとなって翌年からはシーズンシートを購入し、毎週のようにスタジアムに通う「ジェフユナイテッドライフ」がスタートした。

ジェフに「恋をしているようだった」

 「ジェフにハマり始めた頃は熱狂していて、恋をしているようだった」。浅井さんは当時の感情をそう表現する。「ジェフが勝てば1週間明るい気持ちで仕事に臨めるし、負ければどんよりした気持ちで月曜日を迎える」。それまで特筆すべき趣味を持たなかった浅井さんにとって、「ジェフのある日常」は刺激的だった。

遠征先でアウェー戦を見守る浅井さん

 東日本大震災が発生した2011年、医療従事者として災害支援のため宮城県気仙沼市に1週間滞在した。現地で目の当たりにした津波の被害に衝撃を受け、千葉に戻ってからもその光景がしばらく頭から離れなかった。Jリーグの再開試合となったFC東京戦を観戦した際には、「サッカーのある日常がなんと幸せなことか、そしてそれがいかに簡単に崩れ去ってしまうのか」を再認識し、胸に刻み込んだ。

 2017年からは職場のサッカー部に所属し、自らもボールを蹴るようになった。元々球技は苦手で、40代を迎えてからサッカーをプレーするとは思ってもいなかったが、「ボールを追いかけて、全力で走る。うまくできなくてもサッカーは楽しいんだ」と、サッカーをより好きになるきっかけとなった。ジェフと出会ったからこそ、年齢を重ねるにつれて知ること、感じることが増えていった。

どんな試合も「家族愛」を持って応援

 「恋をしている」がゆえに、不満を感じ、もどかしい思いをすることもあった。浅井さんはオシム監督が指揮を執っていた時代のジェフを見てはいないものの、オシム監督のサッカーに心酔していた。またジェフに初のタイトルをもたらし、人気クラブに押し上げたオシム監督は「ジェフにとっての恩人」だと考えている。

浅井さんが所属しているサッカー部の活動風景

 だからこそ、「脱オシム宣言」との報道を機に「オシム色」が薄まり、成績が伸び悩んだ時期にはクラブへの不信感を抱いた。ジェフがふがいない試合をした時には、選手にブーイングをしてしまうこともあった。2009年、ジェフはJ2に降格。その後も「どんなサッカーを目指すのか、どんなクラブを目指すのか」がはっきりせず、もどかしさは拭えていない。

 それでも、ジェフのサポーターを辞めようと思ったことは一度もない。浅井さんは「ハマり始めた頃は恋をしているみたいだったのが、その時期を過ぎて、今は『家族愛』になっている。良い時も悪い時も、見捨てずに見守るしかない」と語る。ブーイングも「選手のためにならないし、雰囲気を悪くするだけでプラスにはならない」と気づいた。

「死ぬまで応援」ジェフは一生の楽しみ

 現在は「家族愛」を持って、どんな展開の試合でも全力で応援している。今回のクラウドファンディングで多額の支援をしたり、ジェフのサポーター有志でフクアリに広告看板を掲出するプロジェクトに10年以上参加し続けたりしているのも、「家族愛」が強いからこそだ。

今季のプラチナ会員ユニホームとチーム最年長・米倉恒貴選手のサイン色紙

 「ジェフがどうなるにせよ、自分は死ぬまでシーズンシートを買い続けるし、仕事を辞めてからはスタジアム通いを楽しみに老後を過ごすと思う。歩けなくなったら車いすで観戦できるし、車いすでも観戦できなくなったら中継で応援する。一生の楽しみを見つけました」。スポーツ観戦は人生を豊かにする。そして浅井さんの「ジェフユナイテッドライフ」は、ジェフとともにこれからも続いていく。

(取材・文 川浪康太郎/写真提供 浅井禎之さん)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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