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HAWKSベースボールパーク筑後「筑後産選手でレギュラーが埋まった時にホークス新時代が訪れる」

HAWKSベースボールパーク筑後(以下筑後)はNPBだけでなく、世界に誇れる球団施設と言われる。

チーム強化、選手育成のために2016年から稼働している施設はどこが優れているのか?

筑後でプロ野球人生をスタートさせたカーター・スチュワート・ジュニアと数多くのマイナー球団を渡り歩いたジョー・ガンケル。そして筑後以前から熟知する広報・田尻一郎氏と明石健志コーチに話を聞いた。

タマスタ筑後の他、筑後第二球場、室内練習場、若鷹寮などが集まった複合施設だ。

~満足、納得できたので気持ち良く来日できた(カーター・スチュワート・ジュニア)

2019年途中にソフトバンクへ加入したスチュワート・ジュニアは生粋の筑後育ちと言える。19歳での来日から5年、野球選手としてはもちろん人間形成の重要な期間を過ごしている。

「身体と精神の両方での成長が求められました。結果も含め全てを並行してやることを常に考えました。早く一軍で投げたい気持ちもありましたが、やるべきことはたくさんあります。来日前のビジョンからは多少時間もかかりましたが順調な手応えを感じています」

2018年MLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから1巡目(全体8位)指名されるも合意に至らず、東フロリダ州立短大へ進学。翌19年5月25日にソフトバンクと契約合意、来日を果たした。

「契約前に日本へ来てPayPayドームと筑後の両方を見ました。数年はマイナーでプレーすることは理解していたので、自分の目で見てどんな施設、環境なのかを知りたかった。満足、納得できて前向きに気持ち良く日本へ来ることができました」

カーター・スチュワート・ジュニアは来日から5年が経過、順調に成長している。

来日後は福岡市内での一人暮らしが始まった。当初は両親や友人が生活のサポートに来てくれたが、数ヶ月経つと全てを自らで行うようになった。筑後へも地下鉄と新幹線を乗り継ぎ1人で向かう日々だった。

「少しずつ色々なことを覚えて適応できました。電子マネーを使って地下鉄や新幹線で移動しています。一軍遠征時も福岡空港まで地下鉄で行きます(笑)。電車は本当に快適、特に新幹線はクールで大好き。乗っている約30分間はリフレッシュできる時間です」

筑後はプロ野球選手としてのスタート地点となったが「最高の環境だ」と語る。

「室内練習場やウエイトルームも素晴らしい。食事もしっかり摂れて身体のケアもできます。トラックマンなどの最新ソフトも導入しています。野球が上達するために必要なもの全てが揃っています」

室内練習場、ウエイトルームなどの充実ぶりがスチュワート・ジュニアが入団した要因の1つだ。

~福岡市内から筑後への新幹線移動は気にならない(ジョー・ガンケル)

今季からソフトバンクでプレーするジョー・ガンケルは、2013年ドラフト18巡目(全体533位)でレッドソックスに入団。メジャー登板経験はないがマイナー7年間で15球団を経験、数多くの球団施設を見てきた。

「米国マイナーは球場のみで室内練習場や寮が隣接されている場所はほとんどありません。球場内に打撃ケージなどはありますが、日本のようにコンプレックスみたいな施設は春季キャンプ地などに限られます」

「米国時代は球場のすぐ近くに住んでいて歩いて行けたりしました。家族が近郊にいた時は、多少時間がかかっても同居して通っていたこともあります。車で1時間近くかけていたこともありますので、筑後へ新幹線で通うのにも苦労は感じません」

ソフトバンク二軍が所属するウエスタン・リーグには5球団が所属。タマスタ筑後のほか、大阪・舞洲、兵庫・鳴尾浜、名古屋、山口・由宇と新旧様々な球団施設がある。

「各球場で大きさや作り方が全く異なります。また筑後のタマスタは人工芝で、その他は土と芝です。それぞれに対応するのはタフな部分もあります。タマスタ筑後は雨が降っても試合ができますが夏はすごく暑い。でも施設は室内も含めて広く新しいので快適そのものです」

米国マイナー経験が長いジョー・ガンケルは様々な施設でプレーしてきた。

~中百舌鳥球場から大阪球場へ南海電車で用具を運んだ(広報・田尻一郎氏)

筑後以前の球団施設はどんな感じだったのだろうか?

南海時代の施設は大阪市堺市の中百舌鳥球場(なかもず以下中百舌鳥)だった。チーム広報の田尻一郎氏は投手だった現役時代の1980年代後半に中百舌鳥を経験している。

「とにかく暑かった印象があります。球場が住宅地のど真ん中にあって風通しが悪かった。三塁側後方に電車が走っていたのでそこからの風通しが多少あったくらい。1年を通じて常に汗びっしょりの状態でプレーしていました」

「中百舌鳥は練習専門で二軍戦も一軍の大阪球場を使いました。一軍戦がナイターである日は昼前後からの親子ゲーム開催。当時の二軍には用具運搬車がなかったので、ボールやキャッチャーギアなどを若手選手が南海電車で大阪球場まで運んでいました(笑)」

「月1度、夕方から使えなくなる日もありました。少年チーム・ジュニアホークスの練習があるからです。17時頃になると二軍選手たちは寮に隣接する室内へ移って練習をしました。プロ選手が室内、ジュニアホークスが中百舌鳥を使うという今では考えられない状況でした(笑)」

チーム広報の田尻一郎氏は南海での選手時代に中百舌鳥球場でプレーした。

~雁の巣は使用時間に制限があった(二軍打撃コーチ・明石健志)

1989年の福岡移転時からは福岡市雁の巣レクリエーションセンター野球場(以下雁の巣)を使った。全施設が完成する1991年に先立っての部分開業時からタマスタ移転まで使用された。

「筑後に移転して一番良かったのは時間を気にする必要がないこと(笑)」と語るのは、今季から二軍打撃コーチとなった明石健志。2003年ドラフト4位でダイエー(当時)入団、雁の巣で徹底的に鍛え上げられチームに欠かせない選手に成長した。

「雁の巣は福岡市の持ち物なので19時半までに退去しないといけなかったが、無理を言って20時くらいまで練習をしました。トレーニングルームは建物の古さ、狭さ、器具の種類など今とは全く違う。でもシミュレーションみたいな最先端の映像機械もありました」

「球場内は直射日光がキツくて風も強かった。夏場は日焼けと黒土のせいで顔と両腕が真っ黒でした。タマスタ筑後はPayPayドーム仕様で人工芝になったので、照り返しや湿気をすごく感じて雁の巣とはまた違った暑さです」

雁の巣は使用時間に制約はあったものの、生活拠点である西戸崎寮からは車で約10分の好立地でもあった。

「高速道路も使えるので夏場の海水浴渋滞を除けば寮からスムーズに行けました。またPayPayドームまでも約20分の距離です。寮には室内練習場も隣接していましたが、住宅地にあったので使用できる時間が決まっていました」

二軍打撃コーチ・明石健志は雁の巣で泥にまみれて一軍選手に成長を果たした。

~筑後へ通うのが大変ならば一軍に定着すれば良い

中百舌鳥や雁の巣の話を聞くと筑後は相当恵まれている。また米国のマイナー施設と比べても充実度は桁違いだ。しかしながら「福岡市内から筑後市までは距離が遠い」という声を耳にすることもある。

「筑後はあくまでファーム施設なので、厳しい言い方ですが『大変なら上(=一軍)へ定着しろ』ということです。一軍の先発投手等も調整で来ますが、そういう声は聞いたことがありません。一軍選手として福岡市内に住めば、PayPayドームとの往復だけになりますから」(田尻氏)

主に三軍が使用する筑後第二球場は内野が土のグラウンドになっており、人工芝のタマスタ筑後と差別化も図られている。

毎年のようにニューフェースが一軍出場を果たすがレギュラー定着にまでは至っていない。中心選手の年齢が上がる中、すぐ近くにあるチャンスを掴めるかどうかは選手自身にかかっている。

「施設環境が良くなり過ぎて逆効果になる危険性もあります。隣接する寮で生活をしていれば最高の施設を活用してどんどん上達できる。しかし成長曲線が我々の期待より緩やかなのは、個々の気持ちの問題にもあるはず。ハングリー精神を強く持って欲しいです」(明石コーチ)

ファーム日本一になった次の目標は一軍に定着してPayPayドームでプレーすることだ(写真は9月29日のウエスタン・リーグ優勝時)。

オフの大型補強もあり優勝候補筆頭と言われた今季だが、シーズン最終盤までクライマックスシリーズ進出を争う厳しい戦いが続いた。苦戦要因の1つには若手選手の伸び率が、想定まで達していなかったこともあったようだ。

筑後移転後の最初のハードルに差し掛かっているのかもしれない。しかし最高峰の施設を的確に使用し続ければ、効果が出始めるのも時間の問題だろう。筑後産の選手たちがレギュラーを奪い取った時こそホークス新時代の到来、そして球団がビジョンとして掲げるMLB球団を倒しての「世界一」への道筋が明確に見えてくるはずだ。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・福岡ソフトバンクホークス)

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