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浦和レッズで活躍したエスクデロ競飛王の従兄弟・ホルヘが市川SCで新たなキャリアを歩む

サッカーJリーグ・浦和レッズで活躍したエスクデロ競飛王(以下:競飛王)選手の従兄弟が日本で新たなキャリアを歩もうとしている。競飛王選手は2005年から2012年までの8年間、浦和レッズでプレー。その後は京都サンガ、栃木FCをはじめ、韓国リーグなど多くの国を渡り歩き、現在はオーストラリアのリーグで活躍している。父のセルヒオ・エスクデロも浦和レッズでプレーした経験を持っており、記憶に残っているファンも多いだろう。

その競飛王選手の従兄弟にあたるホルヘ・エスクデロ(以下:ホルヘ)選手が2024年5月、母国・アルゼンチンからはるばる来日。現在千葉県社会人サッカー1部リーグに所属する市川サッカークラブ(以下:市川SC)に入団し、日本での挑戦を始めている。今回の記事では、どのような経緯で来日に至ったのか、ホルヘ選手、競飛王選手、市川SCでゼネラルマネージャーを務める幸野健一氏それぞれから話を伺った。

トップチームへの昇格直前に襲ったコロナウイルス

今回来日したホルヘ選手は、1999年9月27日生まれの現在24歳。幼少期からモロン(現在アルゼンチン2部リーグ)のユースチームに所属し、フォワード、主に左ウィングとして活躍していた。ホルヘ選手は1対1に強さを誇り、ドリブル突破やゴールアシストなどで得点に絡むのが特長のプレイヤーだ。

モロンには10年近く在籍し、20歳を迎えたところで、トップチームへ昇格が嘱望されていたが、そのタイミングでコロナウイルスが蔓延。コロナ禍という厳しい情勢の中、トップチームへの昇格が見送られるだけでなく、モロンとの契約もなくなり、一時は無所属となった。アルゼンチンではコロナ禍に加えて、消費者物価が前年比の200%以上になるハイパーインフレーションで苦しい経済状況にあった。こうした社会情勢により、一度はプロへの道が途絶えてしまった。

アルゼンチン時代のホルヘ選手

それでも、その後アマチュアチームに加入し、プレーしていた中で再びオファーを受け、アルゼンチン5部リーグのSOCIAL ATLÉTICO TELEVISIONへの入団を勝ち取った。アルゼンチンでは苦しい経済状況は続いていたが、同チームで2年間プレー。そして、今回チャンスを得て、日本で新たなキャリアを築くことになった。

市川SCからグローバルな風を吹かせる

入団に至った背景には市川SCとアルゼンチンに深い繋がりも関係していた。

市川SCは千葉県市川市をホームタウンとし、1962年に市川第一中学校のOB達により結成された歴史のあるクラブチームだ。2020年に幼稚園から高校生年代までを対象とするサッカークラブを運営するFC市川ガナーズと業務提携を締結し、ガナーズで代表を務めていた幸野氏が市川SCのGMに就任した。就任当初、チームの課題に挙がっていたのが、選手の流動性だ。これはほとんどの社会人サッカーチーム共通の課題だが、選手の入れ替わりが少ないと、所属選手の年齢が上がるに連れて、チーム力が年々低下していく。

その一環として幸野氏の就任以降、市川SCは海外にルーツを持つ選手を多く受け入れてきた。2022年にはウクライナ国籍のコブザール・ダニール選手が入団。ダニール選手は家族の都合でアメリカに渡ってしまったが、現在も海外にルーツを持つ選手が多く在籍している。こうしたチーム状況から日本語が話せなくても、あらゆる方法でコミュニケーションを取ろうとする日本人選手がほとんどでホルヘ選手を受け入れやすい土壌があった。

社会人サッカーリーグでこれだけ海外にルーツを持つ選手や関係者が在籍しているのは、非常に珍しいという。なぜここまで多く在籍しているのか、これには幸野氏のキャリアが影響している。幸野氏は17歳の時にイングランドに渡り、プレミアムリーグの下部組織でプレー。キャリアの大半を海外で過ごし、現役引退後も指導者として世界各国を渡り歩くなど、インターナショナルが当たり前の環境で生きてきた。

「日本の将来を考えても、もっとインターナショナルになるべきなので、市川SC自身が先導して、そういう風を吹かせたい」と強い思いがある。

市川SCは幸野氏がGMに就任した当初からJリーグへの参入を目標に掲げている。その一方で、勝利して昇格することだけが目的ではなく、その地域で愛されるクラブになることも重要視している。そういった意味でも、市川SCが率先して、新しい風を吹かせていきたいと考えている。

長年の夢であった日本でのプレーが実現

競飛王選手がシーズンオフに市川SCの練習に参加している縁もあり、ホルヘ選手の存在を同チームでGMを務める幸野健一氏に進言。

「才能はあるのに、アルゼンチンでは悔しいキャリアを送っていた。市川SCへの入団は良いチャンスだと思った」と競飛王選手は進言した理由を明かした。

市川SCに在籍するアルゼンチンコーチからアルゼンチンの経済状況を聞いていた幸野氏は、「まずは個人的な夢を叶える手伝いをしてあげたいという気持ちがあった。ただ、受け入れるからには市川SCで活躍してくれる選手でなければ難しいという思いもあった」と語る。

主に左ウィングとして活躍するホルヘ選手

幸野氏は映像などでホルヘ選手のプレーを確認。映像から技術力の高さを感じと共に、

「市川SCの実力をよく知っている競飛王選手が活躍できると言うなら間違いないと思った」と、ホルヘ選手の入団が決まった。

ホルヘ選手は、市川SCへ入団の話が持ち上がると、すぐに日本での挑戦を決断した。ホルヘ選手にとって、日本は特別な国であり、前々から日本でのプレーを夢見ていた。エスクデロ家は競飛王選手をはじめ、日本に縁のある家族だ。しかしながら、ホルヘ選手は家族から日本の話を聞くだけで、一度も来日の経験がなく、「日本は近いようで遠い国だった」と感じていた。

「まずは日本に来られたことに感謝している。ずっと来日したいと思っていて、今は日本の文化が新鮮であり、毎日が驚きの連続」とホルヘ選手自身も、来日してわずかの日数だが、日本での新たなキャリアに希望を抱いている。

市川SCの目標を自分が中心となって叶える

こうした経緯もあり、ホルヘ選手は5月中旬に来日。練習への参加を得て、6月2日には早くも試合デビューを飾った。出場は前半45分のみで、得点に絡むことはできなかったが、攻撃面ではドリブルなど技術力の高さを示した。日本のサッカーは縦への展開が速く、守備面ではまだまだ慣れが必要であるが、今後の活躍を予感させた。

市川SCでのデビュー戦※後列一番左がホルヘ選手

ホルヘ選手は今後の目標について、「試合にたくさん出ることが第一の目標。そして、自分のベストなパフォーマンスを発揮し、市川SCの目標を自分が中心となって叶える」としている。

市川SCは現在千葉県社会人サッカー1部リーグに所属するが、2024年は一つ上のカテゴリーである関東2部リーグへの昇格を目指している。2023年は千葉県社会人1部リーグで優勝し、関東リーグへの昇格決定戦に進んだが、惜しくも敗れ、昇格は叶わなかった。昇格決定戦は各県を勝ち上がった16チームでトーナメントを行い、昇格を勝ち取れるのは上位2チームのみという熾烈さを極める。

今季もここまでリーグで良い位置につけており、順当にいけば昇格決定戦に出場できるが、険しい戦いが待っている。昨年の雪辱を果たし、昇格を勝ち取るには、やはりホルヘ選手の活躍が不可欠と言える。市川SCとホルヘ・エスクデロ選手の挑戦は続く。

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