現役選手ながら学びの大切さを証明 世代別代表を経験した現役Jリーガー・鈴木惇選手の信念と見据える未来
ここ近年、プロスポーツ選手の引退後、セカンドキャリアについて取り上げられることが多い。選手としての寿命は非常に短く、平均寿命が80歳前後ということ考えれば、引退後の人生の方がはるかに長い。生活が保証されているわけではなく、いつ引退が訪れるか分からないプロスポーツ選手にとってセカンドキャリアを見据えながら活動することは必須だ。
サッカー世代別の代表に選ばれ、J1でもプレーしながら現在はJ3の藤枝MYFCに所属している鈴木惇選手もその一人だ。現役選手中にMBA(経営学修士)を取得し、その過程で多くの経験や学びを得てきた。
“自分色”のキャリアを歩む鈴木選手だが、幼少期から好奇心が強く、引退後も定まってはいないものの様々なビジョンを持っている。「自分が楽しめることをしたい」と幅広い視野を持ちながら、自身の道を探っている。
大きな環境の変化を意識改革で克服
鈴木選手は脳神経外科医の父親の影響で3歳から5歳までをアメリカで過ごした。アメリカでは様々な競技に触れる機会があり、アメリカンフットボールや野球、フリスビーなどを経験したが、日本にいた1歳の頃からボールを蹴っていたこともあり、最もサッカーの印象が残っているという。1994年にアメリカでワールドカップが開催されたこともサッカーに熱中する後押しとなり、「幼少期はサッカーが楽しかった記憶しかありません」と振り返る。
帰国後はさらにサッカーに勤しみ、地元のアビスパ福岡にU-12から所属。2007年にはU-18に所属する高校生ながらトップチーム登録され、そのまま福岡でプレーした。
その間、U16~20に渡って日本代表に選出され、将来を嘱望される選手として日の丸を背負った。清武弘嗣(セレッソ大阪)、柿谷曜一朗(名古屋グランパス)とチームメイトで、「彼らに出会えて自分の実力に満足することはありませんでした。向上心を持ち続けられるきっかけになりました」と日本代表での活動が今に生きている。
華々しいキャリアを歩んできたが、2021年からはJ3の藤枝に所属している。J1クラブと比較すると環境が決して恵まれているとはいえず、こうしたことが影響してかコンディションを崩して小さなケガを頻発。メンタルも満足できるような状態ではなく、試合のメンバーに入れない時期もあり苦しさを感じたと同時に、「自分が何か変わらなければいけない」と考えを変える契機になった。
「J3はハード面で足りないことが多く、選手のレベルも下がってしまうので言い訳をしようと思えばいくらでもできる、自分以外にベクトルが向きやすい環境です」と鈴木選手は言う。人は結果が出ないことを環境のせいにしてしまいがちで、鈴木選手自身も良くないと思いながらその環境に染まっていきそうだった。
そこで直面している課題を見つめ直したとき、置かれた環境を理解し、自身にベクトルを向けることを意識した。「自分が成長することに力を注ぎながら勝ちにつながるように行動して、『自分の器が大きくなれば』と考えながら練習に取り組むようになりました」
結果が出ないことを周りのせいにするのではなく、自身の成長を結果につなげられると意識することで困難を乗り越えることができた。
成長や学びのきっかけになった人との出会いは大きな財産に
こうした考えをスムーズに転換できたのは、鈴木選手にある“こだわり”があったから。高校卒業後、Jリーガーとして結果を追い求めながら、「もっと勉強がしたい」と早稲田大学のeスクールに通学。そしてさらなる学びを求め、2018年にJリーグキャリアサポートセンターの紹介でグロービス経営大学院に入学した。現役のプロサッカー選手でグロービス経営大学院に入学したのは鈴木選手が初めてである。
大学院での学びは、アルバイトや会社員を経験したことがない鈴木選手にとっては新鮮だった。おぼろげでしかなかった経営の知識を学ぶことができ、加えて様々な業種の人に会い、経験談や考えを聞くことが自身の成長につながった。「どの先生もどのクラスメイトもポジティブで、経験がない僕は突拍子もない意見を言っていたと思うんです。それでも面白いと言ってもらえ、前向きにとらえてくれて、そういう人たちとつながれたのは意味があったと思います」と振り返る。こうした人たちの経験を、「サッカーに活かせるものはないか」と考え、困難を乗り越えるための活力とした。
この過程は現役選手にこだわったからこそ生まれたものである。鈴木選手はMBAの取得を現役中に実現した。それは引退後を見据えていたわけではなく、むしろ鈴木選手は「引退後のことは全く考えていません」と言い切る。
「日本の風潮として、スポーツ選手が本業以外のことをやり出したとき、選手として下り坂になっているときに次に向けた準備という捉え方をされてしまう。それを変えたくて、スポーツ以外に目を向けることで自分の競技のクォリティーが上がるということを示したかったんです」とスポーツ選手の価値を高めるため、また自身の成長のためにも新しい挑戦をしたのだ。
加えて、大学院での学びによって「論理的に考えられるようになりました」と語る。これまではチームメイトと意見が違ったとき、「サッカー観が合わないな」と一蹴していたが、今は多くの考えを学んだことで自分と相手がどういう視点で意見が違っているのかを考えるようになれたという。様々な視点があると理解し、選手によってアプローチの方法を変えられるようになり、チームメイトのコミュニケーションとの部分でも学びが活きた。
こうした成長は鈴木選手自身も入学時に想定していたことではなく、現役中に学んだからこその副産物と言える。鈴木選手は大学院での出会いも含めて、出会えた人々を“財産”と口にしており、サッカー選手を続ける活力にしている。
「出会えた方々にたくさん力を与えてもらいましたし、成長するきっかけになりました。この縁を大切にして、鈴木惇という人間に出会えたことに喜んでもらえるように、恩返しができるようにサッカーをしています」。
感謝の気持ちを胸に、「自身で経営をする」という信念
これまで独特のキャリアを歩んでいる鈴木選手。現役中の学びにこだわったことで、様々な気付きが生まれサッカー選手としての成長に生かすことができた。
一方で、引退後の未来像はまだ曖昧だ。サッカーのクラブ運営はもちろん、バスケットボールやラグビーなどのプロスポーツ、幼児教育などスポーツ以外の分野にも興味を持っている。さらに海外での活動も視野に入れている。ただしどんな業種でもゆくゆくは自身で経営をしたいという信念がある。
その中で理想としているのが、今年3月にJリーグのチェアマンに就任した野々村芳和氏だ。野々村氏はJリーグで活躍し、引退後に所属していたコンサドーレ札幌の代表取締役社長に就任した。現在は選手経験者がクラブの代表になるケースが多くなっているが、その先駆けが野々村氏。元Jリーガーとして、初のチェアマンである。
鈴木選手は「おそらく現役中からサッカー界の外の世界にもアンテナを張っていたと思います」と推測しながら、一緒に働いてみたい人物として挙げる。自身と同じように現役中から学びを実践した人物として、畏敬の念を抱いている。
こうした選択肢の中、明確なゴールと見据えているのは母校・グロービス経営大学院に教員として戻ること。「グロービスで勉強をして、いろんな人に会ったということは本当に大きな出来事で感謝をしています。スポーツとビジネスに関することを教えたい。恩返しがしたいです」と目を輝かせる。
そこで必要になるのが経験である。元日本代表の肩書だけで教壇に立てるわけではない。スポーツとビジネスを自身の言葉で語るためには、どんな形であれ経営に携わらなければならない。
そのため、この先は「明確ではない」と口にしながらも、鈴木選手には「必ず経営者になる」という大きな志がある。その道はまだ半ばであるが、感謝の気持ちを胸にこれからも鈴木選手独自の“デュアルキャリア”を突き進む。