アビスパ福岡 佐川諒氏ーサッカークラブの枠を超えて、福岡に暮らす人のためにー
2023年のルヴァン杯で日本一に輝いたアビスパ福岡。そのアビスパ福岡は、この夏「街を紺色に染めよう」と名づけたプロジェクトをスタートさせる。このプロジェクトの概要は、アビスパ福岡のホームであるベスト電器スタジアムの周囲をはじめとして、福岡の一部地域をアビスパ福岡のチームカラーであるネイビーのフラッグを掲げるというものである。
しかし、このプロジェクトの土台には、福岡において、アビスパ福岡というクラブの活動をサッカークラブの枠を超えたものに発展させようというクラブの強い思いがある。
今回の記事では、アビスパ福岡のマーケット開発部の佐川諒氏に、「街を紺色に染めよう」プロジェクトに託した、クラブの思いを聞いた。
ルヴァン杯で目撃した「紺色の壁」
佐川様が、アビスパ福岡でお仕事をされるようになった経緯をお聞かせください。
佐川諒氏(以下、敬称略)「2022年からアビスパ福岡で働き始めました。以前は東京ヴェルディで働いていたのですが、自分が中間管理職になったときに、もっとクラブ経営に近いところで働く力を付けないといけないと思ったことと、自分が経済圏と言いますか、一つの事業を作る力や経験が必要だと考えたんです。そう考えていたところ、アビスパ福岡から一緒に働きませんか、というお話を頂きました。福岡に知り合いは全くいなかったのですが、そのような場所で新しい事業を起こしたり、クラブの経営に深くかかわることができたら自分の中でも大きな自信になると考えて、福岡で働くことを決断しました。」
2020年にアビスパ福岡は、クラブのメインカラーをネイビーブルーからネイビーに正式に変更しました(クラブのメインカラーについて | アビスパ福岡公式サイト | AVISPA FUKUOKA Official Website )。この時から、すでに4年ほど経過していますが、このネイビーがアビスパのサポーターやファンに根付いているという感覚は佐川様にありますか。
佐川「はい、あります。特に昨年のルヴァン杯の決勝戦で、そのことを非常に強く感じました。
ルヴァン杯の決勝戦は東京の国立競技場で行われたのですが、福岡から遠く離れていたにも関わらず、本当に多くの紺色のユニフォームを身に着けたサポーターの方が駆けつけ、声援を送ってくれました。
私はその試合をクラブスタッフとしてピッチから見ていましたが、アビスパサポーターのいるスタンドを見上げたとき、まるで紺色の大きな壁がそびえたっているような感じがしたのをよく憶えています。その時、アビスパ福岡が福岡の文化、あるいは福岡の魂とでもいうべき存在になっているのだな、と感じました。」
真の意味で福岡に定着するクラブに
今回アビスパ福岡は『街を紺色に染めよう』と銘打って、スタジアム周辺にアビスパの選手の姿を入れたフラッグを掲げることになりました。このような試みは、アビスパの歴史で初めてなのでしょうか。また、この時期にこのようなプロジェクトを発足させた目的を伺えますか。
佐川「私がアビスパ福岡で働くようになったこの2年間だけですが、私が入社してからはこのようなプロジェクトは初めてだと思います。
今回『街を紺色に染めよう』というテーマで、福岡の街をアビスパのフラッグで埋めつくそうというプロジェクトを始めましたが、実はベスト電器スタジアム周辺だけではなく、博多駅周辺でも複数のスポンサー企業様と共創する同様のプロジェクトを進めています。私自身はその博多駅周辺のプロジェクトの方に多く関わっている状況です。
そのような立ち位置にいる、私の口から説明させていただくことになりますが、このようなプロジェクトを発足した目的の一つは、アビスパ福岡がおかれている現状を変えたいという思いがあります。
福岡という街は昔から野球王国で、福岡ソフトバンクホークスの存在感が非常に強い地域です。TVのスポーツ番組でも90%ぐらいが福岡ソフトバンクホークスの関連の情報で、アビスパ福岡の情報は約10%くらいの時間を占めるにすぎません。また、昨年アビスパはルヴァン杯で優勝したにもかかわらず、日々の営業の中で福岡の企業さんとお話しすると、未だにアビスパがJ1のチームなのかJ2のチームなのかよく知らない方も少なくないですし、『アビスパのホームスタジアムはどこにあるの?』と質問されることもあったりします。
今の福岡でもアビスパの存在感はそのような状態なので、今回のプロジェクトで、アビスパのフラッグを普段生活している福岡市内の風景の中で目にしていただきたい。このプロジェクトを通じて、アビスパを福岡の方に身近に感じていただける存在にしたいということが今回の目的の一つになります。
でも、実はもう一つ、今回のプロジェクトでアビスパ福岡が目指している目的があります。それは、『アビスパ福岡が福岡にあって良かった、と福岡に暮らす皆さんに感じていただけるような存在になる』ということです。
アビスパ福岡は、間もなく創立30周年を迎えますが、その30年間、絶えず福岡の皆さんに支えていただいたクラブです。4年前までアビスパは5年ごとのジンクスと言われているように、J1とJ2の間を行ったり来たりすることを繰り返していました。またクラブが経営危機に陥り、存続が危ぶまれたことも決して昔の話ではありません。
残念ながら、私自身は福岡出身ではありません。でも、2年前にアビスパ福岡で働くことを決め、今までクラブがたどってきた歴史を知ったとき、『これだけ福岡に支えられているクラブが福岡に恩返しをしないままで存在し続けるなんて、絶対に許されることではないだろう』と思いました。」
福岡の街へ恩返しをするクラブ、ということでしょうか。
佐川「別の表現をするなら社会連携の中心にあるクラブでありたい、ということでしょうか。福岡に存在する問題に対し、クラブがさまざまな働きかけを行うことで、福岡に住んでいる方々の生活に貢献できるようなクラブになりたい、と考えています。
アビスパ福岡を支えてくださる方、注目してくださる方というのは、幸いにも少なくありません。そうした想いが重なる方々と社会課題に対して強みを活かして協力することで、コミュニティで福岡に住む方々の幸せに貢献することができると思います。また、近い将来には、福岡で何か困っている人がいたら、『アビスパ福岡に相談してみようか』と思っていただけるような存在になれたらいいと思っています。
そうした身近な存在になるためには、福岡で私たちが社会連携のアクションをし続けると同時に、皆様にアビスパ福岡の存在を知っていただくことも必要かと思います。
アビスパ福岡がこの街に生まれて20年以上の月日が経ちました。今までこのクラブは自分たちのこと、つまりゲームに勝ってJ1に昇格するということに集中していましたし、その結果として、この4年間はJ1に定着して戦い続けることができています。その一方でアビスパ福岡というクラブは、今まで自分たちのことだけを考えて、自分たちのためだけに行動せざるを得ない状況だったと言えるのかもしれません。
もうそろそろ、アビスパ福岡は勝つという形以外でも、福岡の町のお役に立つことができるのではないかと思います。このクラブが福岡の皆さんに認められたり頼りにされたりすることで、本当の意味で福岡の街に定着するクラブになりたいという私たちの思いを今回のプロジェクトに込めています。」
今回の『街を紺色に染めよう』というプロジェクトは、アビスパ福岡のチームカラーのフラッグを福岡の街に掲げるだけのイベントではない。むしろ、アビスパ福岡による「自分たちは街のサッカークラブから、福岡の人々の生活に必要とされる存在になりたい」という意思表明の場であるといってもよいだろう。
福岡の街と人に愛されるクラブとして発展するための次の30年が、間もなく始まろうとしている。
(インタビュー・文 對馬由佳理) (写真提供 アビスパ福岡)