「地方都市・長野にある日本有数のスタジアム」長野Uスタジアム

長野Uスタジアムは日本有数の球技専用スタジアム。

サッカーJ3・AC長野パルセイロ(以下パルセイロ)の本拠地は、使いやすさと見やすさがワールドクラスと言われる。

ピッチと近く、スタンドにも適度な傾斜がある見やすい構造。

南長野運動公園総合球技場、通称「長野Uスタジアム」(以下Uスタ)。

収容人員15,491人の球技専用スタジアムはピッチとスタンドの距離が極端に近く、どこからでも見やすい素晴らしい箱だ。

同施設を知り尽くす長野五輪スタジアム(以下五輪S)マネージャー・高橋京一氏が、長所はもちろん課題点まで語ってくれた。

「ピッチはスタンドから見やすく、競技の邪魔にならないギリギリの近さにあります。スタンドの傾斜もあるので、どの席からでもプレーをしっかり見ることができる。地方都市・長野にこんな箱がある、という自慢のスタジアムです」

メイン、バック、ホーム側席は二層式となっており、抜群の見やすさを誇る。

~変わることのない芝生へのこだわり

J1基準を満たした同施設は2015年に開場した。メイン、バック、ホーム側席が2層、アウェー側席を1層とした独特のU字型が大きな個性となっている。ピッチ上の芝生の育成のため、最も重要視された部分だ。

「選手が最高のパフォーマンスを発揮するため、ピッチ上の芝生が年間を通じてベストに近い状態を維持する必要があります。年間の日照時間を考えU字型の形状になった。結果的にアウェー側席が1層になり、会場全体のホーム感を高めることにも繋がった」

「芝生育成には光、水、風の3大要素が必要です。ピッチレベルには気候によって空気を入れ替えることができる可動通風口を設置してあります。もちろん芝生全域への散水可能なスプリンクラーにもこだわっています」

Uスタは南長野運動公園総合球技場としては2代目となる。初代は2002年に同公園内施設として同所に誕生、AC長野パルセイロ(現J3 所属、以下パルセイロ)のJリーグ加盟申請のために取り壊された。

「初代は1998年長野五輪メイン会場となった同公園内の施設の1つとして造られた。メイン、バック席がコンクリート、ゴール裏が芝生席だった。収容人員6,000人と言いながら3,000人も入るとパンパンでした」

「当時から芝生へのこだわりは徹底しており、長野県内では見たことのないようなもの。松本市には長野県松本平広域公園総合球技場(サンプロアルウィン)という、素晴らしいサッカー場があります。同球技場の関係者が長野まで芝生を視察に来たほどです」

初代は設備不足ではあるものの競技施設としては十分なものだった。素晴らしい芝生には誰もが誇りを感じていたという。

芝生育成のための日照を考えアウェー側席が一層式のため、上空からはU字型に見える。

~紆余曲折の末のUスタ建設とパルセイロのJリーグ入り

「2010年頃からJリーグ入りへの機運が高まり、スタジアム問題が出てきます。初代は建設から10年程度しか経過していませんでした。パルセイロには期待していましたが、先行きはわからない状況だったので応急処置的な改修がされました」

パルセイロは2011年からJFL参入、差し当たり必要最低限な設備が用意された。メインスタンド上段部分にプレハブで運営関係者室等が作られた。

「とりあえず、という感じだった。しかしそのプレハブも当時としては最新のものだったので数千万円かかりました。その後すぐに『Jリーグを目指すための箱が必要』となりました」

「初代はJリーグ加盟申請の基準は満たしてなかったので『造り直そう』となった。そこには長期的ビジョンが感じられず、行き当たりばったり感があったのも否定できません。プレハブ設置のための費用がもったいなく感じたのも事実です」

パルセイロはJFLで順調に結果を残した。2011-12年は2年連続リーグ2位に入る健闘。12年にはJ2準加盟クラブ承認されたものの、スタジアム問題もありJ2ライセンス申請をしなかった。しかし初代を取り壊してのUスタ建設が決定、JFL優勝を果たした13年シーズン後にJ3入りを果たした。

「紆余曲折はありましたが、市民が一体となってJリーグ入りへの機運が高まることにもつながった。素晴らしいスタジアムができたことは良かった。柿落としの満員のスタンドを見た時のことは忘れません」

2013年8月からは初代の解体工事が始まった。翌14年1月から着工した建設工事は急ピッチで進み、15年3月に竣工。同3月22日のJ3リーグ、パルセイロ対SC相模原戦が記念すべき初戦となった(Uスタ建設期間は代替本拠地として、佐久総合運動公園陸上競技場等を使用)。

長野五輪スタジアムマネージャー・高橋京一氏はUスタの歴史、長所、課題を語ってくれた。

~アクセスと宿泊の問題解決が必要

今季のパルセイロはJ3首位争いをする好調を維持、J2昇格も視野に入り始めた。チームは順調に前進しているが、同時に開場から8年が経過したUスタには課題があることも確かだ。

「長野駅からのアクセスは車とバスになりますが、現状では駐車場が少な過ぎる。バスも本数が少なく、今後増便するにしても限られています。長野駅周辺はホテル数も多くないのでイベントが重なったら移動や宿泊が難しい」

「他競技との関わり合いも重要です。パルセイロがJ2やJ1になった時、高校野球やプロ野球と共存できるのか?例えば日中はサッカー、夜はプロ野球のような時間差で協力する。チケット割引などもできて集客にもつながる。1日、南長野運動公園で遊んで欲しい。いわゆる二刀流ができれば一番良い」

将来的な夢もあるが、まずは地に足をつけて現状に対応しなければならない。問題は認識しており可能なことから変えて行く。2028年に長野開催が決定している第82回国民スポーツ大会、第27回全国障害者スポーツ大会を1つのきっかけにしたいと語る。

「公園横、今は畑の場所に天然芝1面、人工芝2面のグラウンドを建設する予定です。Uスタ、五輪Sを中心とした大スポーツコンプレックス化計画です。敷地面積が2倍近くになり駐車場も約600台分増えます。もちろん十分には程遠いですが、少しずつ前進します」

隣接する長野五輪スタジアム(野球場)との共存が大事になる。

~1998年の長野五輪時から続くサスティナビリティへのこだわり

課題もあるものの素晴らしい箱であることは間違いない。今後Uスタに足を運ぶ人たちに向け、ぜひ注目して欲しい点を聞いてみた。

「お客さんにとって最も重要なトイレは五輪Sを反面教師にしました。五輪Sはデザインから入っているので、部屋全体や便器の形状まで、要所で丸型を採用している。出入り口は1つなので渋滞が絶対に起こります。出入り口を複数作って一方通行を徹底しました」

「SDGsを念頭に入れていました。ピッチやUスタ周辺も含め散水、トイレ、噴水の全てが地下水利用です。噴水では子供達が遊んだりするので、仮に飲んでも大丈夫なように塩素を入れて対応しています。持続性と安全性の両方を備えている。これは長野五輪時から取り組んでいる、長野の文化です」

選手とお客さんの両方から考えられた造りになっている。

~パルセイロと共にブランド力を高めたい

建築から約10年が経過、当初の話題性も少なくなってきた感は否めない。ここから先は新しいことにも挑戦しつつ、ブランド力を高めることも求められる。

「コンサート等、球技以外のイベントも行ないたい。以前、五輪Sでコンサートをやった際には、騒音が問題になった。Uスタは周囲を壁で囲まれているので、防音設備をしてステージ、スピーカーの場所を工夫すれば対応可能です」

五輪Sでは2001年8月22日にDA PUMPのコンサートが行われた。しかし周辺住民から騒音などの苦情が相次いでしまったが、Uスタならば開催可能だと考えている。

「パルセイロが強くなること。サッカー女子日本代表は度々使用して聖地になりつつあるが、本拠地チームが強いとスタジアムもブランド力が高まる。『長野にこんなに素晴らしいスタジアムがあるんだ』と広く認知される。国内や国際大会もどんどん開催できます」

AC長野パルセイロと共に、ブランド力を高めていく。

何よりも大事なのはパルセイロが強くなることで、共に認知度とブランド力を高めて行くことが重要になる。

「ブランド力を高められればお金も生まれます。ネーミングライツ(命名権)が付いたりする可能性もあります。そういったお金を利用者に還元できる。トイレを改修する、階段にエスカレーターを付ける。誰もが幸せになれるようにしたいです」

「J1の舞台で松本山雅との信州ダービーをここでやってくれれば最高です」

高橋氏は最後に究極の夢を語ってくれた。今は両チームともJ3に在籍しており、情報も多くは伝わってこない。

しかしいつか長野の2チームがJ1の舞台で戦う日が来たならば、Uスタの置かれた状況は大きく変わっているはずだ。

「長野には日本を代表する球技専用スタジアムがある」と言われる日を待ちたい。

(取材/文・山岡則夫、取材協力/写真提供・南長野スポーツマネージメント共同事業体)

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