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2005年、日本初の本格的独立リーグ、四国アイランドリーグが“船出”するまで

広尾晃のBaseball Diversity:02

2005年9月23日、筆者は香川県高松市にいた。この年から発足した独立リーグ、四国アイランドリーグの公式戦を観に来たのだ。

香川県営野球場の照明はNPBの本拠地と比べても暗く、入場者は少なかった。筆者は、昭和の時代、良く観戦に行ったパ・リーグの公式戦を思い出した。当時のパは、巨人を中心としたセ・リーグに比べて人気がなく、観客席は閑古鳥が鳴いていたが、始まったばかりの独立リーグの試合にはよく似た空気が流れていたのだ。

石毛宏典氏の決断

四国アイランドリーグは元西武、ダイエーの名選手で、オリックスの監督を務めた石毛宏典氏が創設した。石毛氏の著書「石毛宏典の『独立リーグ』奮闘記」(アトラス社刊)によれば、石毛氏は現役引退後の1997年に1年間アメリカに野球留学をして、MLB傘下のマイナーリーグについて具に実態を学んだ。オリックスの監督を辞した2003年、石毛氏は野球選手の受け皿が非常に少ない日本の現状を問題視し「若者がプロ野球を目指す夢のチャレンジの場を作り、元野球人が指導者として職場を得るにはどうしたらいいだろう」と考えて、独立リーグ創設を思い立ち、大学の同級生など数人の仲間と協議を始めたという。

石毛氏は千葉県の出身で、所属したチームも関東、九州、関西であり、四国には縁がなかったが、仲間と独立リーグ創設の話し合いを続けるうちに「四国がいいんじゃないか」と言う声が上がった。野球人気が高いうえに、高速道路が通っているから遠征もやりやすい、そして高校野球でも4県はライバル関係にあるから盛り上がるに違いない。

石毛氏と仲間は、事業計画を立てた。年間90試合を行い、監督、コーチには5~600万円、選手には月20万円程度の給料を支払う。年間のコストは1億~1.5億円。リーグ全体の運営コストは6億円、入場者は平均800人、スポンサー収入は全体で2.4億円程度。

この計画は、17年後の現在からみればかなり甘い部分もあるが、健全な経営をしている独立リーグ球団の中には、この事業規模に近い運営をしている球団もある。事業のサイズとしてはほぼ妥当なものだったと言えよう。

しかし石毛氏のプロジェクトに決定的に欠けていたのは、球団、リーグを実際に運営する「実務家」だった。

開幕前から躓いた経営

前年8月には四国コカ・コーラがメインスポンサーに決まるなど、事業は順調に進んでいるように思えた。9月30日には愛媛県で記者会見が行われたが、記者団に「球場の確保はできているのか」と質問されて、石毛氏は返答することができなかった。四国アイランドリーグは土日はデーゲーム、平日はナイターでの試合開催を中心に想定していたが、土日は高校野球や社会人などの試合で埋まっている。また高知県には照明施設がある野球場がなかった。独立リーグの構想は、肝心の球場の確保の見通しもないままに、ゴーサインが出てしまっていたのだ。

その後、地元との調整がついて球場は何とか確保することができたが、今度は11月に事業資金が底をついた。開幕すればスポンサー収入が入って来るが、それまでは、四国アイランドリーグを運営する株式会社IBLJの資本金1000万円を運転資金にしなければいけない。この手当ができていなかったのだ。石毛氏は奔走し、12月にようやく7000万円を増資することができた。このとき5000万円を出資したのがスポーツデータを手掛ける株式会社データスタジアムだった。この会社はNHK・BSの野球番組「球辞苑」でもおなじみだが、日本初の本格的なスポーツデータアナリスト集団であり、その後、独立リーグの運営に深くかかわるようになる。

2005年当時の試合、外野ではのんびり寝そべって観戦する人も

開幕1か月余りで実質的な経営者交替

紆余曲折を経て4月29日に四国アイランドリーグは開幕したが、開幕から間もない5月下旬に株式会社IBLJの資金が7月にもショートする見込みであることが明らかになった。開幕すれば入金されるはずのスポンサー収入が入金されなかったのだ。多くのスポンサーとは口約束のレベルであり、中には金額の設定もなかった企業もあった。石毛氏は債権支払いの延期を取引先に依頼するとともに、新たな出資先を探した。

その中で、徳島インディゴソックスのスポンサー企業の社長だった鍵山誠氏が支援を申し出た。鍵山氏はここまでの株式会社IBLJの迷走の責任を明らかにするために、石毛氏以外の経営陣の退陣を求めた。

8月に新体制が発足、石毛氏は経営陣に残ったが、鍵山氏やデータスタジアム、さらに四国の広告代理店であるセーラー広告が経営に参画した。

石毛氏は選手、指導者としてはともかく、経営者としては成功したとは言い難いが、自身の著書で四国アイランドリーグ設立から経営交代までの経緯を率直かつ真摯に振り返っている。石毛氏はリーグ運営に「失敗」したものの、素早く善後策を考え、保身にまわることなくリーグ存続のために奔走した。石毛氏のこの決断がなければ、その後の独立リーグの物語は続かなかったことを考えると、石毛宏典氏は「独立リーグのファウンダー」として功績があると考えるべきだろう。

筆者は、鍵山誠氏には10年近く前から何度もインタビューをしてきたが、今回、独立リーグの歴史を書くにあたって、改めて話を聞いた。

「四国アイランドリーグの徳島のスポンサーになったのは、四国コカ・コーラさんのご紹介でした。でも徳島球団も経営実態がなかったので、僕が担当したような形になっていましたIBLJを引き継いだ時には、すでに資金ショートしていたので、資金をこちらから出しました。そもそも会計の方がいなかったので、請求書が来たら払うような感じで、1年目だけでも結構なお金が出ていきました。

セーラー広告さんも広告費の支払いが滞ったので経営に参画し、データスタジアムさんからはのちにIBLJの経営を担う小崎貴紀さんが加わって、経営を担うことになりました」

何とか2005年のシーズンを終えることができ、高知ファイティングドッグスが初代覇者となる。また、この年12月1日 NPBドラフト会議の育成ドラフトで西山道隆(愛媛→ソフトバンク)と中谷翼(愛媛→広島)が初めてNPBからの指名を受けた。育成とは言え、1年目からNPBに選手を輩出できたことは、今から思えば驚くべきことではある。これは四国アイランドリーグの選手のレベルが1年目から相当に高かったことを意味している。また石毛氏のコネクションもあったから、NPBのスカウトが1年目から注目したとは言えるだろう。

2005年の香川オリーブガイナーズの応援風景 1年目から応援団ができていた

1年目からNPBに選手を輩出

1年目は、徳島、愛媛、香川、高知の4球団をIBLJ1社で運営していたが、2年目の2006年に、それぞれを別会社として独立させることにした。当初はIBLJの100%出資だったが、経営を引き継いでくれる会社、個人を地元で探した。8月にIBLJは徳島、愛媛、香川の3球団の経営権を経営を引き継いでくれる新会社に売却したと発表したが、高知だけは引き継ぐ企業が見つからず、引き続きIBLJが直轄で経営することになる。

2006年11月21日 NPBドラフト会議で深沢和帆(香川→巨人)と角中勝也(高知→ロッテ)が指名され、育成ドラフトでも伊藤秀範(香川→ヤクルト)が指名される。

このうち角中はロッテの中心打者に成長し、首位打者2回、1000本安打など輝かしい実績を上げる。角中は、独立リーグのステータスを向上させるうえで、多大な活躍をしている。

以後も、現在に至るまで、四国アイランドリーグからは毎年、ドラフトでNPBに入団する選手が出ている。

2007年には、四国アイランドリーグ創設者の石毛宏典氏は、コミッショナーを退任した。

またこの年には福岡、長崎で球団創設の動きがあり、リーグは四国・九州アイランドリーグと名称を変更することになる。

こうして日本初の本格的な独立リーグである四国アイランドリーグは船出し、港を出ることができた。しかしここからの航路も決して順風満帆ではなかったのだ。

2010年、愛媛と徳島の公式戦

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