第3回「東日本身体障害者野球大会」世界の盗塁王の名を冠し、杜の都から新たな風を吹き込む大会に

6月7日〜8日の2日間、仙台市内で「福本豊杯争奪 東日本身体障害者野球大会」が開催された。
“世界の盗塁王”の名を初めて冠し、杜の都で熱戦と絆を深める2日間となった。
(取材 / 文:白石怜平)
東日本の身体障がい者野球9チームが杜の都に募る
本大会は「NPO法人 日本身体障害者野球連盟」に所属する東日本のチームが「シェルコムせんだい」に集まり、開催された。
2023年に第1回が始まり、今回で3回目を迎えたのだが、実は第一歩を踏み出すまでに数年の歳月をかけていた。大会を主幹する仙台福祉メイツの相澤誠悦 選手兼監督は大会のスタートについて明かしてくれた。
「全国大会では関西のチームなどが強く、我々も思うような結果が出せずにいました。やはりグラウンドでプレーする以上は、全国で戦えるチームにしたい。
そのためには実戦経験をさらに増やしたいと当時の北海道・東北連盟の理事長に相談したことが始まりでした」

相澤監督の奔走により実現へと近づいていたが、20年に思わぬ足止めを受けることになった。
新型コロナウイルスの感染拡大により、全国大会はおろか活動自体が自粛へと追い込まれることに。そのため数年は思うように動けなかったが、コロナ禍も明けた23年にようやく実現へとこぎつけた。
今回も過去2大会に続き9チームが参加(※)。お互い切磋琢磨しながら親睦を深め、東日本の身体障がい者野球を盛り上げたい想いが一致し、仙台に集結した。
(※)仙台福祉メイツ・福島アクロス・新潟シリアス・信濃レッドスターズ・ 群馬アトム・千葉ドリームスター・東京ブルーサンダース・東京ジャイアンツ ・静岡ドリームス 以上順不同
40人以上の選手が参加した東日本大会であるが、ここでは独自の取り組みが行われている。それが「連合チーム」の結成。
所属チームでは出場機会に恵まれない選手に向けた実戦機会を創出することや、チーム同士の親睦を深める目的に合致することから、昨年より開始している。
「選手はチームとしては9人行けないけれども、行きたい選手もいるので叶えてあげたい」
「我々は大人数になりそうなので、普段出ていない選手に数多く打席に立たせたい」
といった各チームの意向や状況をヒアリングしながら知恵を出し合って導入された。

3回目からは初めて世界の盗塁王の名を冠する
今年からは大会の重みがさらに増す勲章が加わった。日本プロ野球名球会協力のもと、大会名に”福本豊杯”の冠がつけられた。
通算2543安打、そして通算1065盗塁という大記録をマークした『世界の盗塁王』こと福本豊氏(元阪急ブレーブス)。
身体障がい者野球誕生のきっかけとなった名選手でもある。
福本氏は現役時代、神戸市西区にあった肢体不自由者医療施設「のじぎく園」にルーキー時代から毎年訪問を重ねていた。以前、福本氏が当時のことをこう語っている。
「僕は(身体障がい者野球の)立ち上げの時からいてるんですけども、阪急での1年目の時から(のじぎく園と)お付き合いがあってね。
野球一緒にやろうという話になって『野球は外でするもんや!』って、”無理矢理”連れて行ったんですよ。
そしたらそこからみんなハマってくれてね。『やっぱり野球面白いなぁ』・『やっぱり野球外でやるもんやね』ってなったんですよ」
そこで出会った一人が、のじぎく園に入社していた岩崎廣司氏(19年逝去)だった。
かねてから野球が好きだった岩崎氏は、福本氏との交流から野球熱が再燃し、1981年に初の身体障がい者野球チーム「神戸コスモス」を創設。
以降チーム結成の流れは全国へと広がっていき、現在は30都道府県・39チーム、競技人口は1000人を超えている。

選手・審判団が「今後も続けてほしい」と語った新たな取り組み
相澤監督は「変化やチャレンジを恐れず、誰もが楽しめ面白みのある大会を目指したい」とも述べており、今回新施策がグラウンド内外で行われた。
グラウンド外では、YouTubeの配信が行われてリアルタイムで試合を中継。参加した選手が解説することで、身体障がい者野球の理解促進を図った。
もう一つがダブルベースの導入。これはソフトボールで既に導入しているもので、一塁に色の違うベースを2つ設置するもの。
送球が逸れてしまうと、一塁手と打者走者が交錯するリスクも上がり、実際にその交錯による故障事例はカテゴリー問わず多く挙がっている。
それは身体障がい者野球でも例外ではなく、故障防止の観点から今回試験的に導入されることになった。白はフェアゾーンに置き守備側が使用し、オレンジ色はファールゾーンに置いて打者走者が利用する。

ただし、長打などで二塁へ向かう際は白を踏む必要があり、あくまでオレンジは打者走者が一塁を駆け抜ける時にのみ使用される。
その効果は早速表れた。大会を通じて怪我人は一人も出なかった。
特に決勝戦では低めの送球を捕球しようとした一塁手が白ベース側に倒れ込んだ際、打者走者がほぼ同時に駆け抜けたシーンもあり、Wベースだったからこそ怪我を防止できた場面だった。
大会後、選手たちに使用してみての感触を聞いた。仙台福祉メイツでは、一塁を守っていた選手がダブルベースの恩恵を受けたと語る。
「試合中は捕球することだけを考えていましたが、後で画像を見ると数十センチの距離ですが、実際にはダブルベースに守られていたと感じました」

千葉ドリームスターの選手からは、故障防止について賛成したことに加えてプレーにおけるオプションが広がる可能性も示された。
「ダブルベースのおかげで交錯プレーを心配することなく試合ができました。自分は人工股関節なので接触プレーを懸念してファーストを避けてますが、ダブルベースが導入される大会ならファーストもありだなと思えました」
最も近い位置で見ていた審判団からも「ぜひ続けてください!ゆくゆくは世界基準にしてほしいです」絶賛の声があった。本大会では、宮城県野球連盟 仙台泉支部 審判部に協力し、試合が裁かれていた。
「我々もたびたび衝突を見掛けますが、一塁手と打者走者両方にダメージが大きいんですよ。しばらく起き上がれないこともあるので」と絶賛の意図を述べた。
毎年、独自の取り組みを柔軟に取り入れている東日本大会。今後も慣習にとらわれない姿勢で、全国の身体障がい者野球に新たな風を吹かせようとしている。
(おわり)