子供たちの「肘」を守るために、ようやく全国に広がりつつある「野球肘検診」
広尾晃のBaseball Diversity
日本では戦前から、高等小学校(現在の中学1,2年生に相当)以下の少年層に野球が人気スポーツとして広く普及した。このコラムで紹介した通り、軟式球と言う日本独自のボールの開発が、これに大きく貢献した。
戦後、野球ブームが起こり、少年世代の野球ブームはさらに広がった。
多くは空き地などで「野球ごっこ」をするレベルだったが、中には小学生で「スポーツ少年団」の野球チームに入ったり、中学の部活で野球部に入るなどして、ユニフォームを着て本格的な野球をする少年もいた。
こうした野球少年の中から、高校に進んで甲子園に出場するような本格的な野球選手が出るようになる。
中学生以下の野球では軟式球を使うのが一般的だったが、1970年代になるとボーイズリーグ、リトルシニアなど中学生以下で硬式球を使用するさらに本格的な野球リーグが生まれた。こうした中学以下の硬式野球チームからは、プロ野球に進むような有望選手が数多く輩出した。
子供たちの「野球障害」が明らかに
こういう形で、少年世代の野球人口は急増し、これに伴いプロ野球人気も高まって、野球は日本の「ナショナルパスタイム」と呼ばれるまでになったのだが、それとともに、中学生以下の野球に関する障害も見られるようになった。
少年の野球障害に最初に気が付いたのはスポーツドクター(整形外科医)だった。2018年に刊行された『野球肘検診ガイドブック』(文光堂)によると、1979年には徳島大学整形外科が県下の少年野球チームの調査を開始した。これによって少年野球をする子どものかなりの数が、何らかの「野球障害」を負っていることが分かった。
それ以降、医学界は警鐘を鳴らし続けてきたが、野球界は長い間無頓着だった。
重い障害につながるOCD
「野球肘」には、「内側型」と「外側型」がある。「内側型」は、内側靱帯・筋腱付着部の傷害や尺骨神経の麻痺などだが、例外はあるにせよ、長期的には経過は良好でケアをしながらであれば投球しながらの治療も可能だ。これに対して「外側型」は、小中学校ではOCD(離断性骨軟骨炎)が中心となる。OCDは、投球によって肘の外側の骨軟骨が損傷したり剥がれたりする障害だ。初期の段階であれば短期的な投球動作の中止(ノースロー)で治すことができるが、重症になれば長期間の投球動作の中止、さらに重症になれば手術をしたうえで長期的なリハビリが必要になる。中にはこのまま野球を断念せざるを得ない子供も出てくる。OCDを放置したために、肘が十分に曲がらなくなり、成人してからも障害が残るケースさえある。
OCDの初期の段階では、本人に自覚症状がない場合も多い。
「野球肘検診」で、エコー検査を受けて初めて初期のOCDが見つかることも多いのだ。初期であれば一定期間の投球動作の禁止と適切なリハビリテーションで野球に復帰することができる。しかし、本人が患部の痛みを訴えるような中期以降になれば、治療はさらに長期化し、手術などの可能性も高まる。整形外科には、こうした段階になって来院するケースが多い。
OCDをはじめとする野球肘を発症するのは、大部分が「投手」だ。試合で多くの球数を投げるだけでなく、練習でも球威、コントロールをつけるために投げ込みをしたりする。チームのエースが野球肘になる可能性が一番高い。
これに次いで捕手だ。捕手は身体全体を使わずに上体、腕の力だけでボールを投げ込むことが多いので、肘に負担がかかるのだ。
少年野球では「投手と捕手を掛け持ちする」選手も多いが、そういうケースが一番障害が多い。端的に言って「野球がうまい子、チームの主力の子」が野球障害のリスクが高い。
「うちのチームにも高校、プロに入って活躍するだろうと思う子が何人もいたのですが、多くが中学から高校時代に試合や練習で肩肘を酷使して潰れてしまいました」
とは少し前までの少年野球でよく聞かれた言葉だ。
「野球肘検診」が行われる
野球競技人口が激減し、特に少年野球のレベルでチーム、リーグ運営が成り立たないような事態になってようやく各地で「野球肘検診」が行われるようになった。
「野球肘検診」は小中学校で硬式、軟式野球をする男女の野球選手が対象だ。原則として高校生以上の野球選手は対象外となる。それは小中学校までと高校以上では、野球による障害の内容が大きく異なるからだ。「野球肘検診」は、主として小中学校の野球少年に特有の「肘関節の障害=野球肘」を発見するために実施される。
多くは、地域の整形外科医やPT(理学療法士)が、自身のクリニックにあまりにも多くの野球肘を抱えた子供がやってくることに危機感を抱いて始める。
医師やPT仲間を語らって会場を設置し、エコー検査機などの機器も手配し、近隣の少年野球チームなどに声をかけて始める。
多くの場合、医師、PTは「ボランティア」で、様々な経費も持ち出しになる。スポンサーを募ったりして、何とかイベントを維持している。
本来なら野球少年の健康維持のために行っているのだから、子どもの親や野球チームが負担するべきではないかと思うが、今、野球少年たちは無料で受診し、医療側が一方的に負担している場合が多い。
「野球肘検診」が始まった当初、多くの親や指導者はこの検診の目的を十分に理解しなかった。また「肘の障害がわかったら野球ができなくなる」と思う指導者も多く、中々受検者が集まらなかった。そんなこともあって、医療側がボランティアで行うスタイルが一般的になったのだ。
「検診に来ない指導者」が問題
今では新潟県、栃木県、神奈川県、兵庫県、京都府、奈良県などで大規模な「野球肘検診」が行われている。
こうした検診でOCDなど異状が明らかになった選手は、医師の紹介でクリニックなどに通って通院することになる。
またこうした「野球肘検診」では、参加率を上げることを目的として、管理栄養士による「栄養指導セミナー」や、各種の「トレーニング講座」なども行われている。
「野球肘検診」は、少年野球の指導者、子ども、親が一堂に集まる数少ない機会だから、単に「野球肘」の早期発見だけでなく、子どもたちを「野球障害」から守るためには親、指導者はどんなことをすべきなのか、さらには、子供たちの将来を考えた「野球指導」とは何なのかを考える機会になっている。
しかしある「野球肘検診」の主催者は言う
「声をかけて来る指導者は、数年経つとだいたい顔ぶれが決まってしまいます。そういう指導者は、自分たちで勉強もするし、十分にケアもしています。でも、何度呼び掛けても参加しないチーム、指導者もいるんですね。
検診でOCDが見つかったら、軽症でも半年は投げられなくなりますから、他の子供はみんな検診に連れてくるのに、エースだけ連れてこない指導者もいたんですね。
『野球肘検診』では、少年野球の段階で、どんな指導をすべきか、著名な指導者や専門家を招いてセミナーを行ったりするのですが、話を聞いているのは『意識の高い指導者』ばかりです。本当は、この場にいない指導者に聞いてほしいんですけどね」
安心して野球ができる環境を
アメリカでは、野球少年の長期的な、広範な調査、検診に基づいて、年齢別に1試合に投げることができる球数、登板間隔などを定めた「ピッチスマート」を設定している。
日本の少年硬式野球でもこれに準ずるルールを導入するところがでてきているが、一方で「勝利至上主義」的な指導も存在している。
子どもが安心して野球をすることができ、そして将来にわたって野球選手であり続けるためにも「野球肘検診」が、さらに広がることを期待したい。
また、医療関係者のボランティアではなく、野球界がこれを主体的に運営すべきだと思う。