世界のてっぺんで「乾杯」を歌う。そして・・・
お笑い芸人春田和幸、エベレスト登頂への挑戦
標高8848メートルのエベレストは世界で最も高い山だ。1953年にニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが人類初の登頂に成功して以来、世界中から数多くの登山者たちが挑み続けてきた。
現代では登山装備や医療体制、通信技術が飛躍的に進歩し、エベレスト登山は一般にも広がってきている。商業的な登山ツアーまでもが数多く存在するほどだ。頂上直下のルートに渋滞が生じ、数時間も列をなす光景はニュース映像などで見かけることもあるだろう。エベレストの観光地化が進んだことは事実だ。
それでも、富士山の2倍以上の高みに自分の足で登ることは容易ではない。標高8000メートルを超える領域では、酸素濃度は平地の3分の1以下にまで落ち込み、気温は氷点下20度以下に達し、突発的な嵐が吹き荒れる。雪崩や落石、体力の消耗、そして渋滞による滞留も命を奪う要因になる。事実、今でも毎年のように遭難者が出ている。エベレストは決して安全ではないし、誰でも登れる山でもない。
そのエベレストに挑もうとしているのは、お笑い芸人の春田和幸さん、43歳だ。鹿児島県の出身で、18歳で芸人を志し上京。舞台やテレビの仕事を続けながら、並行して登山にも関心を深めてきた。23歳のとき初めて富士山に登って以来、毎年のように山に通い、30代半ばで東京の最高峰・雲取山を登頂。そこから、ますます山の世界に入り込んでいった。そして辿り着いた目標が「世界一の山」だった。
春田さんはこんな計画を立てている。ネパールからエベレストの頂を目指す。登頂に成功したら、山頂で長渕剛の代表曲「乾杯」をギター弾き語りで歌う。そして、それを人生の区切りとして、芸人の世界からは引退する。
なぜエベレスト? なぜ長渕剛? なぜ引退? そんな疑問を春田さんにぶつけてみた。
インタビューの場に現れた春田さんは落ち着いた風貌の紳士だった。お笑い芸人という職業から筆者が勝手に想像していたようなギラギラとした感じはまったくない。芸風のサングラス姿ではなく、実直そうな眼鏡をかけ、終始物静かにゆっくりと話す。大きな声を上げることはなく、大げさな表現もしない。他人に自分を押し付けないかわり、他人に何を言われても自分の考えを貫く。そんな人に見えた。
以下は春田さんが語ってくれた話を可能な限りありのままに文章に置き換えたものだ。「僕」とあるのはすべて春田さんのことである。もし春田さんの人柄がうまく読者に伝わらなければ、その責任はすべて筆者にある。
登山の一歩一歩には確かな達成感があります

僕はこれまでずっと芸人として活動してきました。18歳で鹿児島から出てきて、気づけば20年以上が過ぎています。もちろん、お笑いが好きで始めた仕事でしたし、舞台に立ってお客さんが笑ってくれる瞬間は、今も大切に思っています。けれど、芸人としての生活を続けるうちに、だんだんと「自分はどこに向かっているのだろう」という感覚を抱くようになりました。
たとえば良い番組に出たところで、自分が一歩進んだかどうかはわからないです。もし進んでいたとしても、次にすぐ結果出さないと前に進めません。そのへんが全然わからなくなってしまって。
お笑いの世界には達成感がありませんし、目標がどこにあるのかさえも、もうわからなくなってきたのですね。だけど、山は一歩前に踏み出すと、ほんの少しだけでも山頂に近づいていきます。
最初に富士山に登ってみたのは23歳の誕生日です。それまで登山の経験はなく、せいぜい小学校の遠足くらいだったのですけど。
世間一般的には、大学を卒業して社会に出て行く人たちが多い年齢ですよね。だから僕も自分の中で新たに一つの区切りが欲しかったのだと思います。お笑いのてっぺんを目指すことを自分の目標に定める。それを日本一の山を登ることで自分なりに確かめたかったんです。
初めての富士山は昼間に登ったので、次の年はご来光が見られる時間帯に登りました。その後も毎年のように富士山に行きました。9回くらい登ったと思います。

さすがに違う山にも登ってみたくなって行ったのが雲取山です。雲取山は東京の最高峰で、標高2017メートルです。「2017年に標高2017メートルの雲取山」ってネットで少し話題になっていたのですね。
雲取山に行ってみて、改めて山って面白いなと思いました。木々が生い茂っている樹林帯とかを歩いて、途中から視界が開けてきて、頂上にたどり着くっていう過程が、富士山とはまた違う感じでした。本格的に登山にハマり始めたのはこのときからだと思います。
日本一の山、東京で一番高い山、じゃあ次は世界一じゃんと思ってしまったのですね。エベレストの名前は知っていましたけど、それ以外は何も分からない。とりあえずネパールに行ってみようと、そんな感じです。ネパールにはこれまでに3回行きました。
最初のネパール行きは2019年だったのですが、このときは高山病に苦しみました。トレッキングの目的地だったエベレストのベースキャンプまでたどり着けなかったくらいです。それが悔しくて、また次の年に行こうと思っていたら、新型コロナの影響で計画を中止せざるを得ませんでした。なかなか思い通りにはいきません。でもそのせいで、登山のこととかエベレストのこととかをどんどん調べていって、登りたいなと思う気持ちもますます強くなっていきました。
エベレストには再来年以降の4〜5月に行こうと思っています。ルートは大きく分けて中国側とネパール側がありますが、僕はネパール側の南東稜(South Col)で行きます。自分も含めて、登山の素人がエベレストに登れるのは、その時期とそのルートが最適だと思うんです。
本当は来年(2026年)に行こうと計画を立てていたのですが、少し資金的に苦しくなってきてしまって延期しました。ネパール現地ツアー会社の登山ツアーに参加するわけですが、その費用が約3万9000ドルです。日本円では約600万円なのですが、米ドル建てですので、最近の円安には打撃を受けています。もちろん、来年は無理でも、エベレストは絶対に諦めません。
日本のツアー会社を使うと、キャンプ地で日本食も食べられるらしいです。そっちの方がリラックスできるでしょうね。でもせっかくネパールに行くのだから、現地の会社の方が面白いかな、と。全部向こうの食事の方が映像的にも映えますし。それに日本の会社は費用が約700万円と少し高くなってしまうんです。
ネパール現地会社のツアー参加者は多国籍で、何人くらいになるかは当日になるまで分かりません。共通言語は英語になります。僕はあまり英語が話せない、というかほとんど話せません(笑)。

エベレストに登るためには2か月はかかります。まずはエベレスト街道を歩いてベースキャンプまで行きます、そこも標高約5300mです。ベースキャンプからさらに上へと進み、途中のキャンプを行き来しながら、高地に体を徐々に慣らしていきます。体調に問題が出てきたら、少し高度を下げて、体調が回復するのを待って、また上がる。その繰り返しです。
僕はたぶん体質的に高地に強いタイプではありません。ネパールに3回行って、3回とも高山病になっています。高山病にかかると、頭痛や吐き気はするし、倦怠感に襲われ、食欲もなくなります。二日酔いと風邪がダブルでやってきたみたいに苦しいです。それでも高度を下げると治ってくるので、またそこから登り始めます。
最終的には標高8000メートルのキャンプ4から山頂を目指します。そこまで来ても、天候待ちで足止めされることも多いですし、春のシーズンは登山者が集中するので、渋滞に巻き込まれる危険もあります。何より、そのときに自分自身の体調が悪ければ、山頂を目指すことはできません。
そんなわけで登れると決まったわけではないですし、運良く登れたとしても、山頂でギターを弾いて歌うことに自信があるわけではありません。ギターはガイドさんに持って行ってもらうのですけど、それも天候次第でどうなるかわかりません。ギターがあっても、弾くためには手袋を外さないといけないですし、歌うためには酸素マスクを外さないといけません。普通に考えたら無理ですね(笑)。
ワンフレーズだけをアカペラで歌うってあたりが現実的なラインかもしれません。そうしないと死ぬかもしれませんから。動画はガイドさんとか周りの人に撮影してもらうつもりですけど、それも状況次第でどうなるか。
歌う曲は『乾杯』に決めています。ベタですけど、それしかないですよね。僕にとって長渕剛さんはとても大きな存在です。鹿児島の同郷ですから以前から知っていましたが、2004年の桜島オールナイト・ライブに行ったときの衝撃は忘れられません。本当に凄い人です。それから長渕さんの物真似をするようになりましたし、そのおかげでテレビ出演にもつながりました。

エベレスト登頂と芸人引退は自分の中で自然にリンクしていきました。お笑いのてっぺんには立てなかったけど、世界のてっぺんには立って、それで芸人を辞めますって面白いかなと思い始めたのは昨年くらいからですね。富士山のときもそうでしたが、僕はたぶん人生の区切りを登山で表現したいのでしょうね。
たいていの芸人さんって、辞めるときは、ふわって辞めるんですよ。単独ライブをやるとかそういうこともせずに、静かに辞めちゃうんです。だったら僕はせめて自分の中だけでも盛大に行きたいな、と。
もし登頂できなかったら、ですか? そのときは「まだ芸人やるの? やりたくねーよ!」みたいな動画でも撮ろうかな。だって、登ったら辞めるとは宣言していますけど、登れなかったときのことは考えていないですから。本当に続けるかどうかはまだわからないです、僕にも。
両親にはまだ計画のことは話していません。そもそも僕がネパールで登山をすること自体にも反対されていますから。事前に説得はしないけど、帰国後に報告はちゃんとするつもりです。
芸人を辞めたら、その後は普通に働いて生きていくだけです。ただ、山には登り続けると思います。
(取材/文・角谷剛、取材/写真/協力・春田和幸)
