舞行龍ジェームズ、37歳の渇望。未踏のシーズンに挑む背番号5の決意。
川崎フロンターレで知った「勝者の基準」と天才の努力
2017年、舞行龍はアルビレックス新潟(以下、アルビレックス)から川崎フロンターレ(以下、フロンターレ)へと完全移籍を決断した。当時のフロンターレは、2016年にJ1で年間3位、2017年と2018年はJリーグ連覇を果たす、屈指の強豪クラブ。そこで彼を待っていたのは、日本サッカーの頂点を極める者たちだけが知る、極限のプロフェッショナリズムだった。「あそこは今までいたチームの中で、一番プロフェッショナルな集団でした。こういうクラブが優勝し、こういうクラブから代表が出るんだというのを、身をもって感じました」
フロンターレの選手たちは、パス一本の質、トラップの数センチの位置、身体の向き、動き出しのタイミングといった細部に対し、異常なまでのこだわりを持っていた。少しでもパスがズレれば、練習が止まる。その張り詰めた空気の中で、舞行龍は「攻撃の距離感が良ければ守備もしやすい」というロジックを叩き込まれた。それは、単なる戦術の理解を超えた「思考の解像度」の劇的な向上だった 。
さらに彼の意識を根底から変えたのは、当時18歳だった田中碧の姿だった。メンバー外で試合に出られない日であっても、早く練習場に現れ、ひたすら「止めて蹴る」の基礎練習を何時間も繰り返していた。「18歳の頃からあれだけの熱量で基礎をやり続けていれば、ああいう選手になるよな、と納得させられました」。天才と呼ばれる選手たちが、誰よりも泥臭く基礎練習に打ち込む。その環境こそが「勝者の基準」なのだと知った 。
身体への向き合い方も劇的に変わった。何を食べるかだけでなく、いつ、どの順番で摂るか。疲労困憊の状態で行う低質なトレーニングよりも、一度しっかりと休んでから高い質のトレーニングを行う「回復」の重要性 。フロンターレでの2年半で得たこの哲学こそが、37歳となった今の彼の現役生活を支える屋台骨となっている 。出場機会は限られたが、そこで得た「勝者の基準」は、後に彼がアルビレックスで最年長として誰よりも早くクラブハウスに現れ、若手の手本として行動で示すという今の振る舞いを生む原動力となったのである 。

相棒・千葉和彦から継承した「声を荒げない」リーダーシップ
チーム最年長となった現在の舞行龍が、リーダーシップの模範として挙げるのが、かつてのパートナー・千葉和彦だ。日本代表経験もあり、同じセンターバックを主戦場とする3歳上の千葉のスタイルを、舞行龍はDFラインの相棒として、一番近くで見ながら数多くのものを感じ取っていた 。
「千葉さんは、練習中に絶対怒らないんですよ。でも終わった後、選手が一人でいる時間にそっと近づいて、冷静に核心を突くアドバイスをくれる。それがすごいなって」 。 千葉の助言は、かつての「怒鳴って教える」時代とは正反対にある、一人ひとりの性格に合わせた対話のタイミングを、驚くほど繊細に探り続けるスタイル。年齢が一周り以上離れた後輩たちも、千葉のところには吸い寄せられるように集まっていき、練習の合間には自然と笑顔の輪ができていた。
舞行龍はその光景を「ベテランの美学」として深く胸に刻んだ。千葉から学んだのは、技術的なアドバイス以上に「話しやすい雰囲気を普段から作っておく」という、心の土壌作りだ。最年長として背中で見せつつ、後輩たちの心にそっと寄り添う。そのバランスの妙を継承することこそが、新潟の長い歴史の中で受け継がれてきた強さの本質なのだ。舞行龍は今、かつての千葉が自分にしてくれたように、若手と対話を重ね、チームを一つの生き物へと束ねようとしている 。

ルヴァンカップ決勝の国立で見えた、新潟の「本気のチカラ」
2024年、ルヴァンカップ準決勝。舞行龍ジェームズにとって、この対戦カードは単なる決勝進出を懸けた戦い以上の意味を持っていた。目の前に立ちはだかったのは、2017年から2年半在籍した古巣、フロンターレ。自分が「勝者の基準」を叩き込まれ、プロとしての脱皮を遂げたあの場所だった。結果は、2試合合計6-1という圧倒的なスコアでの完勝だった 。
「チームとしてコンパクトさを保ち、相手のやりたいことをやらせなかった。中をしっかりと締めて外に追い出すこと、そして特に前半のラインの上げ下げを徹底できたことが勝因」 。
その冷静な分析の裏側には、かつて自分が学んだものを、今のアルビレックスの武器として昇華させ、勝利という最高の形で返礼したという強烈な自負があった。この準決勝での快勝というターニングポイントがあったからこそ、アルビレックスは確信を持って、あの夢の舞台・国立競技場へと辿り着くことができたのだ。11月2日。国立を埋め尽くした6万人超の観衆。その約半分、3万人近いサポーターがオレンジ色のチャントを轟かせる光景に、舞行龍は震えた。「地鳴りのようなチャントがいつも以上に響いて、ここはビッグスワンかと思った」 。しかし、死闘の果ての準優勝。舞行龍の目には、降り注ぐ金銀のテープの中で歓喜する名古屋グランパスの選手たちの姿と、ピッチに崩れ落ちる仲間の涙が焼き付いていた 。
「ルヴァンカップ決勝に行ったとき、本当にいいサッカーをすれば、こんなに人が集まって、こんなに新潟全体が動いてくれるんだと実感した。でも、あの景色をもう一度、今度は歓喜の中で再現したい。そのためには、アルビはもっと強くならないといけない」
あの熱狂の国立を「日常」にするために、そして今度こそ頂点でカップを掲げるために。最年長DFは、敗北の悔しさを強くなるための渇望へと変換し、次なる戦いを見据えている。

法人設立30周年、未踏のシーズンを勝ち抜く覚悟
法人設立30周年という祝祭の裏側で、舞行龍の視線はすでに、Jリーグ史上かつてない「イレギュラーなシーズン」へと向けられている。2026年、カレンダーは2月から約半年間に及ぶ「百年構想リーグ」から始まり、8月にレギュラーシーズンが開幕するという、変則的な移行期を迎える 。
新潟を本拠地とするアルビレックスにとって、他チームと比較して移動距離が長く、雪国特有の気候条件も相まって、コンディション維持の難易度は極めて高い。その中で2027/28シーズンに再びJ1の舞台へと復帰するためには、ピッチ内でのプレーだけでは不十分だと彼は確信している 。 「このイレギュラーなシーズンを勝ち抜くためには、ピッチの外でも若い選手たちを引っ張る役割が求められる。長いシーズンに向けて、どれだけ強固な土台を作れるかが、勝てる集団になれるかどうかの分かれ道になる」 。
自身の身体と対話し、食事や休養に妥協しない背中を見せ続ける。37歳にして今なお「サッカーが楽しい」と笑う男のその渇望こそが、アルビレックスというチームがJ1復帰、そしてその先へと突き進むための羅針盤となる 。
「今季もこのエンブレムを胸に戦えることに感謝している。チームをいい方向へと導けるように、行動で示さなければならない」
舞行龍は今日も冷たい新潟の風を切り裂き、練習場へと一番乗りする。大切な家族、そしてこれからも新潟の誇りのために。オレンジの背番号5が刻むその一歩が、再びJ1へと続く道を作っていく。

(取材/文・真鍋智、取材協力/写真・アルビレックス新潟)

