大学軟式JAPAN、バッテリーは投手歴1年未満の最優秀選手と2年連続選出の捕手
初陣の先発を任されたのは西野隼輝投手(京都文教大3年)。その球を受けるのは小坂泰斗捕手(大阪体育大3年)だ。
以前、関西選抜で一度バッテリーを組んだことのあるふたりだが、「全日本大学軟式野球連盟 国際親善大会 全日本代表チーム」(通称:大学軟式JAPAN)として一緒に戦うのはこの日が初めてだった。
社会人軟式野球クラブチーム「東京ヴェルディ・バンバータ」を相手に、3回無失点としっかり役割を果たした西野は、試合後にこう言った。
「小坂と組めて良かったです。本当に」
2年連続選出された選手の役割とは
2020年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、多くのスポーツ事業が中止に追い込まれた。大学軟式JAPANも例外ではない。毎年行っている海外での事業は諦めざるを得なかった。日の丸を背負う。それを目標に頑張ってきた学生のために、できることはないだろうか。協議を重ねた結果、なんとか国内での活動を実現させた。
選抜されたのは、22人の選手と2人の主務。例年は6月頃にメンバー選考、12月には活動終了となる大学軟式JAPANだが、今回は12月に選考し年が明けた2月の活動となったため、メンバーに4年生はひとり。前年の大学軟式JAPANも経験しているのは、当時2年生でメンバー入りした小坂泰斗捕手(大阪体育大3年)と岩本一摩外野手(大阪体育大3年)だけだった。
小坂は、前年の大学軟式JAPANで学んだことについてこう話した。「4回生が主体のチームでした。4回生それぞれの大学の練習方法だったり、トレーナーさんのストレッチだったり、(今回とは)別のコーチがいらっしゃったのでその方のリードのやり方、守備の心構えや、どうしたら自分の力が発揮できるのかの話し合いの仕方も学ばせてもらいました」
そして「自分たちができることは、経験したことを伝えること。また2年連続で選ばれる選手もいるかもしれないので、その人たちのためにもと思って意見を言っています」と、今年の自身の役割について口にした。
そんな小坂のことを西野隼輝投手(京都文教大3年)は「知識量は、小坂が頭ひとつ抜けています」と評価する。
「的がでかいんですよ、とにかく。めちゃめちゃ投げやすい。体がでかいというわけではなく、存在感がすごいんです。小野(昌彦監督)さんも信頼していると思います。(今日の試合で)最初はストレートがちょっと浮いたり、変化球もちょっと抜け気味やったんですけど、回の間に修正するように言ってくれたり、小坂がうまいことリードしてくれました。(投げるのは)3回までと決まっていたんですけど、9回投げ抜くつもりでの配球をしてくれて、そういうのも勉強になりました。去年吸収した意見も今年のバッテリーに下ろしていて、それがまた全国に広がれば大学軟式野球全体がレベルアップすると思います」
西野に対し、いろいろとレベルの高いことを要求してくるという小坂だが、それも西野ならできると思っているからだろう。大学軟式JAPANのように全国から選抜された選手が集うチームは、長い時間練習を共にすることができない。特に今回は4日間という短い日程だ。1日目の午後に初めて全員が顔を合わせ、1日半の合同練習でお互いを知って、3日目の東京ヴェルディ・バンバータとの交流試合2試合、最終日のクーニンズとの交流試合2試合に臨まなければならなかった。捕手という大事なポジションである小坂は、この短い時間でどうやって投手を理解したのだろうか。
「自分が持ってきた紙に、ピッチャー全員の名前と変化球とどういう配球をしているのかを1日目に書いてもらって、それをキャッチャーで共有しました。全員の球を捕る時間がなかったので、こういうセオリーでやっているというのを見て、試合でそのピッチャーと組んだらそういう攻め方をしようとか、ブルペンで受けたキャッチャーと意見交換をしたりして試合に臨みました」
その下準備の結果、試合ではサインミスもバッテリーの意見の食い違いもなかったという。
試合中も「初めて会ったピッチャーでどういう球筋がくるのかわかっていないので、しっかり止めてあげることでピッチャーの信頼も深まってくるのかなと思っています。あと、ボール球をストライクにするような技術なんてこの世界にないと思うんで、ストライクをストライクでしっかり捕ってあげるだけです」と、基礎的だが大切なことをしっかりやることでピッチャーの信頼を得た。
投手だけではなく他のチームメイトにも積極的に声をかけたり、ミーティングで意見を述べたりとチームに欠かせない役割を担っていた小坂に、投手リーダーである西野が投手としても同士としても心からの信頼を寄せていたのは明らかだった。
外野手から投手へ、突然の転向
小坂から見れば、西野も「チームを引っ張ってくれる存在」だ。事前に監督、コーチを交えてZOOMでのチームミーティングが行われたが、西野の一声でメンバーだけの交流の時間が作られたこともあった。その結果、実際に顔を合わせたときも簡単に打ち解けられたという。
実は、西野は大学2年まで外野手だった。投手経験のない西野に、突然転機が訪れた。今回西野と一緒に大学軟式JAPANに選ばれた1学年下の左腕・森勇貴投手が故障をし、2020年京滋大学軟式野球春季リーグ戦での登板が難しくなったのだ。当時のチーム事情で、森の代わりに主戦投手を任せられるのは誰かを考えたところ、西野に白羽の矢が立った。
西野は誰よりも練習する選手だった。バッティングピッチャーを務めたこともあった。そんな西野主将に副主将のふたりが言った。「おまえが投げろ」。
一度監督に相談し、練習で投げてみた。思ったより打たれなかった。監督やチームメイトは「おまえで負けたら仕方ない。おまえが一番練習してんねんから」と言ってくれた。キャッチャーも、1年生のときから一緒にやってきた仲間だ。余裕を持ってリードをしてくれる。野手のみんなもうしろで守ってくれている。西野は「みんなのためにやったろう」と自信を持ってマウンドに上がった。
春季リーグ戦で投手デビューした西野は、なんと最優秀選手と最優秀防御率(0.31)のタイトルを手にした。秋季リーグ戦は中止となったが代替大会が行われ、西野は再び最優秀選手となった。そして、冬には大学軟式JAPANに選出。投手に転向してから1年もたたないうちに、頂点までのぼりつめた。
全日本大学軟式野球連盟指名理事で大学軟式JAPANのコーチでもある福島慎一氏は「彼の人間性や努力が結果にも表れているのだと思います」と言う。
「今回の大学軟式JAPANは外野手を少なくしたのですが、いざとなれば西野君を外野に回せると考えたからです。投手陣の柱となったので実現はしませんでしたが。打者西野も魅力的だったんですよ。(投手として出場した)関西選抜でのホームランも生で観ましたが、素晴らしい一発でした」
福島コーチは、西野が投手としても野手としても人間性も、大学軟式JAPANのレベルにあることを教えてくれた。
本当のゴールとは
西野が大学軟式JAPAN入りを目指したのは、投手に転向する遥か前だった。西野には、目標とする5つ年上の先輩がいた。西野の兄と中学の野球部で一緒にプレーしていた先輩で、西野の同級生の兄でもあった東猛さんだ。ほとんど言葉を交わしたことはなかったが、周りから聞く東さんの話に憧れが増していった。東さんと同じ中学で野球を始めた西野は、東さんと同じ城陽高校に進み、硬式野球部に入った。その頃、東さんは京都文教大学で軟式野球をやっていた。京都文教大学は軟式野球に力を入れている大学だ。
「東さんが文教に行って、日本一にもなって、3回生からJAPANに2年連続選ばれて4番打ってはって。そのときくらいから自分も日本代表になりたいなって思うようになりました。硬式の誘いもあったんですけど、軟式の日本代表になりたいなと思って、東さんを追いかけて文教のスポーツ推薦を受けました」
東さんは、そんな西野の憧れに対し「嬉しく思います。なぜ目標にされているのかなど、全然知らないことばかりなので聞いてみたいですね。(西野の)名前が載っていると注目して見てしまいますね(笑)」と、活躍を見守っている。
東さんと同じ道を歩んできた西野にとって、大学軟式JAPAN入りはゴールのはずだった。そう「ゴールのはずだった」が、違った。
「昨日、ストレッチしながらふと思ったんですよね。僕、JAPANに選ばれることに必死で、レベルが低かったなって。JAPANに選ばれることがゴールじゃないじゃないですか。そこでエースになって活躍してチームを勝たすことが一番の目的やと思うんで、それをしっかり思ってマウンドに立たなあかんなと。JAPANがゴールと思っていた自分があかんなと思ったんです」
スタートは誰かへの憧れでも、ゴールは自分で見つけるもの。
東さんは社会人になった今、大学軟式野球での経験についてこう話す。
「会社員として働く中で、組織の一員であること。そしてその組織で目的を達成するために、どんなプロセスを踏むのか。仕事の中での物事の考え方に関しては、大学時代の経験はとても活きていると感じています」
中学から積み重ねてきた野球経験と、劇的に変化したこの1年。そして大学軟式JAPANとして活動した4日間で、新しく見えたもの。西野自身は、この先の人生でどう活かしていくのだろうか。西野のゴールはまだまだ先だ。
大学軟式JAPAN公式Instagram
https://instagram.com/daigaku_nanshiki_japan?igshid=8xvfhvb6c6cr