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ハナマウイ・大友潤、自身のプロ入りよりチームを優先させた男の覚悟

プロという目標を捨てた時に何を求めて野球をするのか。

ハナマウイ硬式野球部・大友潤は重大な決断を下して新シーズンに挑んでいる。野球界最高峰を目指すことを封印、チームの都市対抗出場のためにプレーする覚悟を固めた。

「インパクトから先で手首を返すのではなくて真っ直ぐ伸ばすイメージを持つ。スイングを作るために意識的にやっています」

1月終わり、千葉県富里市のハナマウイ・ボールパーク。日差しは強いものの肌寒いグラウンド、1スイングずつ手首の使い方、バットヘッドの動き方など細かいメカニクスを確認していた。「ジュンさん、こんな感じで良いんですかね?」と質問されると身振り手振りでアドバイス。25歳はチームでは上の部類で大卒入部した選手たちからすると頼れる兄貴分だ。

打力を活かしての内野コンバートなど、攻守でチームを牽引する存在。

2月になればアマチュア球界もオープン戦が始まる。コロナ禍で試合日程が決まらないなど今年も苦労しながらのシーズンインになりそうだが時間は待ってくれない。自身のコンディションを仕上げなければ試合出場の機会を得ることも難しくなる。

「中堅手でしたが今年はポジションも変わります。打撃が良い外野手が複数加入したのでチーム全体の底上げのため本西厚博監督からショート転向を打診されました。肩とフットワークには多少自信があるので納得して取り組んでいます。重要なポジションなので簡単に行かないことはわかっています。ミスも出るでしょうから打撃でカバーしないといけない」

長打力と確実性を兼ね備えた打撃はプロからの評価も高い。

~個人として2年連続で都市対抗野球出場は果たしたが

2年ぶりの都市対抗出場を目指す今季、チームは14名の新入団選手を迎え競争は一段と激しくなった。コンバートなど大友にとって挑戦の年になるがオフ期間は引退も視野に入れ悩んでいたという。入団時に描いていた『2年間でのプロ入り』というプランが崩れてしまったからだ。

「昨年9-12月は悪い状態が続きました。南関東二次予選では完敗し本戦出場を逃しました。チーム、個人共に自信を持って挑んだ予選だったのでショックがありました。直後のドラフトは『指名されるかも』という期待もありました。スカウトからの評価が良かった球団もありましたから。でも指名されず気持ちが切れてしまいました」

「ドラフトが終わって何をすれば良いのかわからなかった。そのうちに日本製鉄かずさマジック(千葉県君津市)から補強選手として声がかかりました。個人としては2年連続出場できて光栄なのですが前向きになれない。チーム合流、合宿、大会出場しても頭の中では今後のことを考えていました。失礼な話ですけど切り替えができませんでした」

ハナマウイはオールフロンティア(9月28日、スコア3-4)、日本製鉄かずさマジック(9月30日、同2-9)と連敗し二次予選敗退に終わった。直後の10月11日、ドラフト会議に望みを託したが指名を得られず混迷した気持ちのままで都市対抗出場。セガサミー戦(2回戦、12月3日)の8回に代打出場するも三振に倒れた。

「ドラフトに賭けていました。プロを本気で目指したのは大学3年から。浪人していて年齢もあるので大卒2年、25歳までにドラフトされなければ諦めようと決めました。その間は野球だけを考え生活の全てを捧げました。アルバイトも辞め親にお願いして仕送りを増やしてもらった。手応えもつかみハナマウイ1年目で都市対抗出場もできたので期待していました」

ハナマウイ1年目から都市対抗野球出場を果たす(20年11月26日の四国銀行戦)。

~大学時代にプランニングしたプロ入りへの道

北海道札幌市出身、市立柏中の軟式野球部でキャリアがスタート。札幌第一高での3年間は公式戦でのベンチ入りすらなかった。将来を見据えて一浪で公立の高崎経済大へ進学。野球を続ける気はなかったが、たまたま見かけた同大硬式野球部の練習に興味が湧き入部を決意した。

「考えて納得してから動くタイプなので高校時代は結果や周囲を気にして萎縮する時もありました。大学の連中は本当に楽しそうに野球をやっていたので入部することにした。谷口弘典監督はポジティブな方で自らの経験を通じ多くのことを教えてくれました。試合にも早くから使ってくれましたから」

谷口監督は米国独立リーグでプレー、ロッテなどでブルペン捕手を務めた経歴を持つ。大友の身体能力に目をつけ1年次から試合に起用、的確な指導も加わり実力が開花した。同大学が所属していた関甲新学生野球3部ではずば抜けた存在で特に4年秋季リーグ戦では7試合22打数12安打1本塁打、打率.545を記録した。

「3年秋のリーグ戦、今でも覚えている完璧な本塁打をバックスクリーンに叩き込みました。他の選手を見にきていたスカウトの目に僕も止まったみたいです。そこから卒業まで打撃は好調を維持できました。どんな投手に対しても自分の打撃ができる自信がありました。プロを目指す気持ちが強くなりました」

常に打撃のメカニクスを追求するなど物事を論理的に考え行動するタイプだ。

学生時代が谷口監督だとすれば卒業後の恩師は本西監督だ。大学卒業にあたり企業のトライアウトを受けたが思うような結果が出なかった。視察に足を運んだ本西監督の目に留まりハナマウイへ入団した。オリックス黄金期を支えNPBで15年間プレーした百戦錬磨の目は確かだった。1年目からチームの中心として活躍、都市対抗出場の原動力となった。

「声をかけていただいてありがたかったです。本西監督は現役時代の実績がすごい方ですから。練習中など気付かされることが多い。たくさんのアドバイス、選択肢をくれてその中から自分に合ったものを取り入れています。ハナマウイでどんどん上達している感じがあります」

~プロ入りを諦めた先に見つけた新たな役割

大学時代から急成長を重ねプロからも注目される選手になった。パフォーマンス、結果と比例して自信もついた。プロの舞台を意識できるようになっていたがドラフトにはかからなかった。落ち込み悩んだ末、多少の時間もかかったが方向性が見つかった。

「チームに残って勝利に貢献したい。ハナマウイには恩があるし本当に感謝しています。1年目で都市対抗に出られたことでプロ入りを現実的に考えることもできました。今後プロは無理でもチーム内で自分にできることはあるし戦力にもなれるはず。チームが勝つために全力を注ぐことに決めました」

プロという目標は諦め今後はチームのために戦う決意を固めた。

野球をやっている者ならプロになりたいのは当然だ。現実的に叶わなくても想いを持ち続ける権利だけは誰にでもある。しかし自らそれを断ち切り次に何をすべきかを探した。見つけた答えはハナマウイのために全身全霊を捧げること。どんな役割でもこなし結果を出すことでチームに貢献する。腹を括った人間は強い。ここから先、大友はとてつもないことをやってくれそうだ。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・ハナマウイ・ベースボールクラブ)

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