プロテニスプレーヤー・山口藍、グランドスラムの先に見る最終ゴールは「世界の子どもたちに希望を」(前編)
「私の夢は、世界中の子どもたちに希望を与えることです」
そう語るのは、プロテニスプレーヤーの山口藍さん(20)。テニスの選手であれば、夢はグランドスラムと呼ばれる4大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウインブルドン、全米オープン)ではないかと思っていた。もちろん、ひとりのプレーヤーとしてトップを目指していることに変わりはない。しかし、彼女にとってのゴールはそこではなく、もっと先にある。
フリーでプロ活動をする理由
テニスにはゴルフのようなプロテストはない。野球やサッカーのようなプロチームがあるわけでもない。ではプロの基準は何なのか。
「日本テニス協会に申請する必要はありますが、それが認められれば誰でもプロになれます。ただし、結果を出さないと収入には結びつかないので、プロであり続けるのはとても厳しい道だとも思っています」
2022年11月20日時点で、山口選手のJTA(日本テニス協会)女子シングルスのランキングは62位。上位100人を見てみると、68名もの選手がどこかの企業か団体に所属している(一部例外あり)。残りの32名中14名は大学生で、あとの18名がフリー。山口選手はフリーで活動する選手の一人だ。
「実業団に入るには、ある程度の実績を残している必要がありますが、所属すれば金銭面の援助が受けられるなどのメリットがあります。一方で、その企業での就業など、社員として果たさなければならない義務も生じる。私はテニスの世界でプロとして上を目指すために、他の縛りがあるところではなく、フリーの立場を選びました」
考え方は人それぞれで、どちらが正しいということはない。山口選手はフリーの厳しさも理解した上で、テニスを最優先できる環境を選択したのだ。
ピアノよりテニス
「初めてラケットを握ったのは幼稚園のとき。テニスをしていた両親の影響で、自然と興味を持ちました。といっても最初からテニス一本だったわけではなく、小さい頃はピアノを本格的にやっていたんです」
ところが小学生になるとピアノが遊び感覚ではいられなくなり、急に怖くなったのだそう。
「それまで好きなように弾いていたのに、コンクールのプレッシャーに耐えられず、嫌になってしまって。これなら体を動かしている方がいいと思い、テニスの方に力を入れるようになりました」
学校が終わるとテニススクールで練習、帰宅後も母親を相手に練習に取り組む日々だった。
「中学に入っても、学校の部活動ではなくテニススクールで練習をしていました。そして中学卒業後は本格的に上を目指せる環境を求め、地元を離れようと思っていたんです。有り難いことに、全国の高校から何校か声をかけていただいたのですが、私の中には高校以外の選択肢もあり、進路を決めかねていました」
そんなとき、運命の出会いが訪れる。
コーチとの出会い
「今のコーチと知り合ったのは、ジュニア時代の海外遠征。進路に迷っていることや、プロになりたい気持ちなどを相談したところ『一度うちに練習においで』と。そしてコーチの拠点である群馬のクラブを尋ねたとき『私はこの場所でプロを目指したい』と思ったんです」
具体的に何が決め手になったのかは、本人もよくわからないという。だが、実際その場に立ってみて「あ、私はここでやっていくんだ」と思った直感を信じたのだ。
しかし、それに待ったをかけたのが父親だった。
「父は厳しい人なので、きっと反対されるだろうと覚悟はしていました。『単身で九州(熊本)から関東(群馬)に行かせるのはお金がかかり過ぎる。そこまでする価値があるのか』と。私が本気なことを証明するには、何か大きな結果を残すしかないと思いました」
そうして迎えた最後の全中(全国中学校体育大会)、初めて大会を見に来てくれた父親の前で、シングルス準優勝という好成績をおさめる。
「試合後、一緒に食事をしているときに父が『(群馬へ)行ってもいいよ』と言ってくれたんです。プロになるという決意が揺るぎないものになったのも、このときでした」
群馬のテニスクラブに通い始めたのは中学3年の11月。最初はホテルに泊まっていたが、金銭面での負担、母親の助言もあってアパートで一人暮らしをすることに。15歳で親元を離れ、一人でやっていくのは相当な覚悟が必要だったはずだ。それでも、プロになりたい気持ちの方が勝っていたそう。
「プロになるためには、それぐらいのことは当然だと思っていました。甘えが許されない環境に身を置くことで、精神面も鍛えられたと思います。中学卒業後は、テニスに打ち込む時間を少しでも長くとりたくて、通信制の高校で勉強しながら、テニスクラブに通っていました」
最終目標へのこだわり
「世界の子どもたちに希望を」という目標にこだわるのには理由がある。山口選手自身が子どもだった頃、ある選手のプレーを見て具体的な挑戦が始まったからだ。
「小学校3年生のとき、4歳年上の選手のプレーを母と一緒に目の前で見ていました。地元熊本出身の有名な女子選手で『私もこの人みたいになりたい』と。テニスを本気で頑張ろうと思ったのはこのときです。今度は私が希望を与える側になり、テニスに触れたことのない世界の子どもたちに、テニスの楽しさを伝えたいです」
愚問だとは思ったが、子どもが好きかどうか尋ねてみたところ「はい! 大好きです!」と笑顔で即答してくれた。原動力となっているのは、希望を与えたいと思っている世界中の子どもたちに他ならない。
プロとなり、目標へ向かって突き進む速度を早めたい山口選手。しかし、自分の力ではどうにもできない状況に直面することになる。
(取材/文 三葉紗代)