• HOME
  • コラム
  • その他
  • 大鵬三世・納谷幸男の想い「あえて言葉は不要、リング上の俺の姿をみろ!!」

大鵬三世・納谷幸男の想い「あえて言葉は不要、リング上の俺の姿をみろ!!」

DDTプロレス所属・納谷幸男(なや ゆきお)。今年3月21日、DDT最高峰のタイトル・KO-D無差別級王座のベルトに挑戦した。あと一歩でベルトには手が届かなかったが、火野裕士と真正面からぶつかり合った納谷を誰もが認めた。「DDTプロレスを引っ張る」と奮起した矢先にケガで欠場、約4か月の休養期間を経て、7.23両国大会で復帰が決まった。その復帰戦を前に、生い立ちからデビュー、DDT移籍後の奮闘、今後の目標などを交え、現在の心境について話を聞いた。

子どものころは親に反発。相撲が嫌いだった

1994年8月17日生まれの28歳。東京都江東区出身。身長201cm体重130Kg。幼いころから身長が高く、学生時代、背の順は常に一番後ろだった。

納谷は、第48代横綱・大鵬の孫であり、元関脇・貴闘力の長男。父親は、納谷に相撲をやらせたい思いが強かったが、その反動で小さい頃は相撲が嫌いだったという。

子どものころ、一時、地元のサッカーチームに所属していたが、幼少期から「将来は力士に」という父親の期待が大きく、友達が好きなスポーツをしている中で相撲以外を選択する余地はほぼなかった。小学時代、嫌々相撲の稽古をさせられ、中学に入ってもそれは続いた。

我慢も限界の納谷は、中学1年の5月に「相撲は無理」と祖父の大鵬に伝え、強制的な相撲からは離れることができた。その後、高校に入学するも何もしていない自分に苛立ちを感じて、キックボクシングジムに通い始めた。

リング上で激闘を繰り返す姿からは想像できないほど穏やかで優しい印象の納谷

デビュー戦までは道遠く。入団から4年半後

2013年3月、佐山サトル(初代タイガーマスク)が設立したリアルジャパンプロレスに入団。リアルジャパンプロレスとは、プロレス、総合格闘技、掣圏真陰流武道の団体。「もともとは、格闘技をやりたくて入門したが、格闘技よりもプロレスに接するほうが多かった」と振り返る。

当時、納谷が団体唯一の若手で、年齢の一番近い先輩でも7年離れているためキャリアも全く比にならない。格闘技志望だったため、入団当初はプロレスに興味がなく、一流レスラーの名前すら知らなかった。

そんな納谷を待ち受けていたのは、プロレス興行の設営準備や雑用など、練習生が担う仕事だった。はじめは分からないことだらけで戸惑うことも多かった。プロレスの「いろは」から勉強し、さまざまな試合を観て少しずつ自分のものにしようと努力した。

2015年、プロレスに意欲を燃やし始めた矢先、内臓疾患が発覚し1年の療養期間を余儀なくされた。その間、体重が10Kg以上も落ち、トレーニングが出来ない不安を抱えた。しかも、膝の故障もあり治療に専念。そんな苦悩と困難を乗り越え、入団から4年半後の2017年9月14日、雷神矢口戦でデビューを果たし、勝利を収めた。

DDTに移籍して、プロレスの魅力に取りつかれた

2019年5月1日、納谷はリアルジャパンプロレスからDDTプロレスリングへの移籍を発表。

「リアルジャパンではリング練習を一切やらせてもらえず、プロレスらしい練習もほとんどできなかった。試合数も3か月に1回とかなので、自分としては試合をもっとしたいというのが根本にあり、『このままじゃいけない』というフラストレーションがずっと溜まっていたんです。そんな時にDDTに参戦して、試合をさせていただいたのが移籍のきっかけの1つです」

DDTプロレスの特徴として、本格的なプロレスだけに留まらず、路上プロレスや個性派レスラーの試合など、一味違ったスタイルが上げられる。

そんなDDTに納谷は「プロレスをほとんど知らない状態からのスタートだったけど、『プロレスってすごく魅力があるものだな』って感じて、しまいにはその魅力に取りつかれてしまいました。もともと笑いのあるプロレスや路上プロレスなど独特なプロレスに興味があった。DDTは様々なスタイルのプロレスがあって、いろんなことができる人が集まっている。それも含めて『プロレスだな』とつくづく思います」と語った。

納谷自身が望んで移籍したDDTでの約3年間。この時期の納谷はプロレスを心底楽しんでいた。だが納谷幸男本来の能力が発揮されていない「覚醒前」の姿でもあった。

プロレスラーとしての頭角が現れたのは火野裕士との出会いが影響

火野(右)の影響を受け、覚醒した納谷(左)

納谷のプロレススタイルが変化したのは、2022年に開催されたタッグリーグ戦「Ultimate Tag League(アルティメット タッグ リーグ)」。火野裕士とタッグを組んでからだ。火野は、DDT最高峰のタイトルKO-D無差別級王座をはじめ、様々なタイトル戴冠経験を持つ猛者である。火野から何か手ほどきや指南はあったのだろうか?

「動きを真似して勉強するのもあるし、試合後に『あそこはこうした方がいいよ、ここはこうやった方がいいよ』と些細なことでもパッとアドバイスをしていただいたので、自分の中で『じゃあ、次はこうしよう』と次の試合をイメージして練習しました。ちょっとしたことで助言してもらえたのは自分にとってプラスになりました」

このころ、納谷の意識の変化が観客にも伝わりだした。納谷はスーパーヘビー級の選手と対戦しても引けを取らず、「プロレスラー」として頭角を現すようになった。

「自分で危機感があったのが一番ですね。ベルトも戴冠できず、『このままだと選手としての自分の居場所を見つけられないまま終わってしまう』という危機感がありました。DDTは若い選手がすぐ出てくるので『自分いらないんじゃないか?選手の中でいらない選手の一番手にいるな』と思っちゃったんです。だから『このままじゃいけない』と考えて、それからは意識が変わりました。火野さんから影響受けたことも含めて、変わったと思う」と当時の心境を打ち明けてくれた。

肉弾戦で激しくぶつかり合う火野(左)と納谷(右)

危機感とともに意識をチェンジ。納谷幸男の変化と成長

DDTに移籍して3年、「それまでは自分の好きなものを淡々とこなしていたが、自分で考えて行動するようになった」と過去を振り返る。それが形として現れたのが、2022年11月開催のシングルマッチリーグ戦「D王 GRAND PRIX 2022」。初出場ながらKO-D無差別級王座保持者の樋口和貞を破りBブロック1位通過。優勝決定戦ではAブロック代表の上野勇希に敗れたものの、ファイナルの舞台まで勝ち上がった。

「シングルマッチに対しての自信はつきましたね。1対1なので、自分の本質が試されるじゃないですか。結果を出すと、自信が確信に変わってくるんだと思います」と誇りを持って話した。

今年2月26日、後楽園大会にて、「絶対勝たなきゃならない」という強い信念で挑んだKO-D無差別級王座次期挑戦者決定戦。DDT旗揚げ26周年記念大会のメインイベントである「KO-D無差別級選手権試合」に繋がる大きな試合だ。「『これを逃したら、次はいつチャンスが巡ってくるのかわからない』という緊張感を持って挑みました」と話す納谷は、DDTの絶対的エース・HARASHIMAを倒し挑戦権を獲得した。

7.23の復帰戦。これは言葉にしたくない、リング上での姿をみてほしい

納谷が突如6.25後楽園大会のリングに登場し、7.23両国国技館大会での復帰を宣言!

3月21日後楽園大会で火野裕士が持つKO-D無差別級王座に挑戦。スーパーヘビー級同士の迫力ある肉弾戦となった。納谷は惜しくも敗れ、初戴冠にはあと一歩が届かなかった。しかし、火野相手に厳しい攻撃を連発して同等に対峙できる納谷は、もう昔の納谷幸男ではなく、強靭な肉体と強い精神力を持つ納谷幸男だった。

「この悔しさをバネにもっと頑張ります」と、決意を新たに動き出した矢先、3月26日東京ビッグサイトでの試合中に右足首を負傷。しばらくの間、欠場となった。

そして、約4か月の休養期間を経て、待ち望むリングに復帰が決まった。7月23日、両国国技館大会「WRESTLE PETER PAN 2023」で“納谷幸男復帰戦”と題してスペシャルタッグマッチ、HARASHIMA&納谷幸男vs秋山準&入江茂弘 が行われる。肉弾戦になることが予想されるが、「秋山さんと入江さんに負けてるとは、一切思っていない」と力強い言葉が返ってきた。

復帰戦を迎えるにあたって心境を聞いてみると、「言葉で説明するよりも、リングに上がっている姿を見てもらいたい。自分が欠場していた約4か月、努力してきた姿を試合で見てもらいたい」と、この戦いにかける納谷の強い意気がひしひしと伝わってくる。

『ベルトに挑戦できる位置まで、最短距離で到達する』という目標を念頭に、KO-D無差別級王座への挑戦を視野に入れてシングルのベルト戴冠を目指す納谷。
向かう先が明確である納谷は、何があっても諦めず乗り越えていき、必ずや大成してくれるだろう。

「確実に強くなってリングに戻るので、ぜひその姿をみてもらいたい」と短い言葉で復帰への想いをアピールした。あの4か月前のように、闘志を燃やし立ち向かっていく納谷幸男の戦いに期待が膨らむ。
(おわり)

取材・文/黒澤 浩美
写真提供/DDTプロレスリング

関連記事