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【ガンバレ☆プロレス 翔太】憧れの地・アメリカへ「人生を賭けた大勝負。力尽きるまでやりたい」

翔太(しょうた)、1988年8月10日、東京都三鷹市出身。アメリカンプロレスに影響を受け、2008年4月デビュー。STYLE-E、HEAT-UPを経てガッツワールド解散後、2018年5月よりガンバレ☆プロレス所属に。身長160㎝と小柄ながら玄人好みのテクニックで技を操り、ファンを沸かせる魅力的なレスラー。選手以外にも外国人レスラーの通訳、レフェリー、実況・解説を器用にこなすオールラウンダー。「人生を賭けた大勝負。力尽きるまでやりたい」と意を決し2022年9月に渡米。4か月間の海外遠征を経て12月に帰国。2023年も短期間ではあるが米国遠征を重ねている。

現在ガンプロに所属する翔太は、DDTプロレスのKO-Dタッグ王座を保持する

アメリカンプロレスへの憧れ。現地で「俺のやりたいプロレスはここにある」と確信

子どものころからWWEファンだった翔太は、アメリカでプロレスがやりたいという願望をずっと抱いていた。

高校時代は野球部に所属。大学進学時に「UWF関東学生プロレス連盟」で学生プロレスを開始。2008年4月19日、大学2年の時にプロレスラーデビューを果たす。ガッツワールド解散後、2018年5月よりガンバレ☆プロレス(以下、ガンプロ)所属で活動している。

常にアメリカへの憧れは抱いていたものの、実際に行動に移すところまでは考えてはいなかった。その当時、日本のインディーレスラーがアメリカに行くことは稀だった。

2019年、縛りや障害の無いオープンソースなリングを掲げている米国のプロレス団体・AEWが旗揚げ。日本人レスラーが 当たり前のようにアメリカに呼ばれる環境になったのは、ここ数年の話。

翔太が初めてアメリカに渡ったのは、ガッツワールド解散後ガンプロに入団する前の2018年。10日間の短期渡米だった。

その当時、アメリカ在住の菊タローのアテンドで2、3試合を組んでもらうことができた。

「その10日間で、自分が目指したいプロレスはアメリカにあると明確に気づいたんです。2、3試合で、『憧れていたものが、ここアメリカにある』って実感した」と、翔太はその時の胸中を話した。

インディーといえども、お客さんの雰囲気はテレビで観ていたWWEのような空気感を感じた。

しかし、それとは別に確信を持った理由を翔太は次のように語った。

「渡米して初日に参加した2時間程度のセミナーで、元WCWのグレイシアが行うレスリングセミナーを受けました。座学でひたすらプロレス理論。戦い方や心構えなどプロレスのベースとなるものを教わって、今までの謎が解けました」

「僕のやっているプロレスは、WWEや昔のWWF、WCWと何が違うんだろう?なんで同じようにできないんだろう?と思っていたら、答えがそこにありました。目から鱗でしたね」

そして「この人の言っている通りにやれば確かにできる。僕が憧れたのは、やっぱりアメリカのプロレスなんだ」と確信した。

帰国後はガンプロやDDTグループ内での仕事が決まっていたため、すぐに再渡航することができなかった。さらに、コロナ禍に入り海外遠征が出来ない状況が2年ほど続いた。

2018年、初めてアメリカでプロレスを体験。目指すものはアメリカにあると確信

コロナ過を経て、待望の2度目の渡米

アメリカでは毎年4月前後、世界最大のプロレス団体「WWE」がプロレスイベント「WrestleMania(レッスルマニア)」を開催する。経済効果も大きく、「レッスルマニア」招致合戦も行われるほど、自治体も巻き込んだ都市ぐるみのビッグイベント。この期間は「レッスルマニア・ウィーク」と呼ばれ、世界各地から様々なプロレス団体やプロレスファンが集う。

DDTグループは海外にシェアを拡げたい意図があり、2023年の「レッスルマニア」期間中にDDTプロレスと東京女子も現地での興行を考えていた。

「その情報収集や海外コネクションを作るために、『誰かアメリカに行かせるか』と雑談レベルの話がありました。僕が『自分行きたいです!』と手を上げたらトントン拍子で渡米が決まりました」

何もツテがない状態での渡航は不安なため、9月の長期遠征の前に1週間程度コネクション作りに渡米。その時、テキサスで一試合出場することができた。それがきっかけで、一気に人脈を増やすことに成功。

9月から12月の4か月間は、テキサスからスタートして、インディーサーキット(海外ではプロレスラー自身が各地のインディー団体を転戦する形式)を経験した翔太。

「とにかく、向こうってほとんど平日の試合はない、週末だけなんです。むしろ土曜の夜に集中しています。日曜日は仕事しない感覚なのでほとんど試合がない。日本みたいにダブルヘッダーとか、3連戦とかできない。基本的に東京から5時間かかる名古屋が隣町みたいな感覚。そのぐらいの感覚でいないと遠すぎてしんどいです(苦笑)」

滞在中の生活は、試合のある土曜日以外は、スクールやジムで練習や体力作りに明け暮れた。

「ほんとにやることはなかったですね。車がないとどこにも行けないので、どこか行くには、友達の車に乗せてもらうしかなかったです」

9月に渡航して12月帰国までの4か月間、「無理やり意地でも毎週末試合を入れました」とストイックにプロレス浸けの生活を送った。

各ソーシャルメディアに「アメリカ行きます。ブッキング受け付けています」と英文で書き込み「試合に出してください」とアタック。だが興味本位な返事やメッセージが多く、大概はうまくいかなかった。

海外遠征も終盤になると、飛行機での移動で体調を崩してしまう。気圧の変化とアメリカ国内線の狭い機内での乾燥とストレス。加えて、飛行機に乗るまでの搭乗手続きなどの手間も負担になった。

そんな苦労を味わった4か月のアメリカ遠征で翔太が感じたことは、「ある程度日本で名前をあげなければアメリカでは通用しない」ということだった。

女子レスラーの場合、プロレス技術が高い日本人をアメリカのプロモーターは喉から手が出るほど欲しがる。しかし男子レスラーは、アメリカのレベルも高く、人数も圧倒的に多い。

日本から男子レスラーがアメリカに行っても、声をかけられるのは簡単なことではない。日本で知名度があり、名があるレスラーのほうが 使ってもらえる可能性が高い。

「アメリカからみて、僕のような全く無名のレスラーが行くと、本当に0から積み上げていくしかない」

2022年12月に帰国した翔太は、米国遠征での経験を糧に自分を奮い立たせた。「日本でのランクをあげなければならない。また渡米しても、自分の立ち位置が変わらず僕のバリュー(価値)が上がっていないと、誰も僕に興味を持ってくれない。だから、日本で積み上げて勝ち上ろう」と翔太は心に誓った。

高尾蒼馬(左)とのタッグ「ROMANCE DAWN」で、KO-Dタッグ王座に

KO-Dタッグ王座戴冠。そして、自分を見つめなおす機会となった3度目の渡米

2023年10月4日DDTプロレス新宿大会でKO-Dタッグ王座を獲得。新たな実績が追加された。

「自分のモチベーションをあげるために道筋を描いているということではない。あくまで、自分のモチベーションを高く保って、自分のバリューを上げる目標に、結果が後からついてくると考えています。『ベルトを狙わなきゃ』とか『今より大きい団体に出なきゃ』という目標を立ててやっているわけではなく『全ては自分のバリューを上げるため』。感覚としては、結果に向かっていくより『とにかく何かやらなきゃ、もっと何かをやろう、挑戦しよう』と行動している過程でDDT参戦とか、KO-Dタッグ王座戴冠という実績がついてくる感じです。特に2023年はそう感じました」

2023年12月に2週間ほど渡米をした翔太。米国レスラーのキッド・バンディットがプロデュースしている米インディー団体「パンデモニウムプロ」に参戦が決まったためだ。

パンデモニウムプロはプロモーターが運営し興行が行われる団体。主催側が選手の渡航費など経費を負担し、各地から名だたる選手を呼びファンの興味をそそるカードを組む。言わずとも観客が集まるようなインディー団体。そのトップに君臨するのがGCWだ。

一方、ローカル団体は各地に存在。スクールが母体で学生たちの成長の場として成り立っている団体がほとんど。スクール運営が基盤のため、入学金、授業料という収益があり、集客や参戦選手にはそれほど重点を置いていない。リングに上がるのは比較的容易い団体だ。

翔太は前回の長期遠征の時、プロモーターが運営する団体に出場することが、知名度や経費の問題も含めて大切だと感じていた。

「そこにはワンランク上のインディーの強者達がいる。彼らは売れっ子で、プロモーターが交通費を出してまで呼びたい選手たち。そこに入れないのを前回の渡米で実感したんです」

しかし、2022年の長期遠征の繋がりから「次、来てほしい」と声が掛かった。交渉や計画を練りつつ、パンデモニウムプロ参戦をベースにスケジュール調整を始めた。その矢先、2023年12月14日カルフォルニア州で東京女子とprestigeの合同興行『CombatPrincessUSA』の開催が決定。「アメリカに滞在しているなら東京女子の興行もサポート出来る」と渡米に至った。

だが2023年12月の遠征は、前回2022年9月の遠征以上に「アメリカの厳しさ」を感じた。

今回の遠征は、西海岸のロサンゼルスとサンディエゴに滞在。参戦できたのはスクール主催のファミリーショー の興行がほとんど。パンデモニウムプロのインディーショーに出場したのは一試合だけ。

そのファミリーショーでは、耐え難い精神的なキツさを味わった。

「僕、毎回絶対手を抜かないんです。誰かが見ているかもしれないと思ってやるんですけど、もう誰にも響かないというか…」

日本では、どんなインディー団体でも、試合終わった瞬間に観戦したファンがSNSで写真やコメントをあげている。

だが、アメリカのスクール主催の団体ではリアクションが何もない。誰からも反応がなく、主催者が公式の写真すら撮影しない。「あー、ここで試合をして何になるんだろう」とモチベーションが落ちてしまった翔太。

「今回そういう小さい団体での試合が最初続いたんですよ。試合をしても、誰もSNSに感想も写真を投稿してない。後日YouTubeがあがったりするんですけど、「ここ止まりか」みたいな 感じ。逆にパンデモニウムプロに出た時は、SNSを見ると『あ、インディーファンなんだ』って一目瞭然。みんな動画や画像をたくさんアップしています。インディーファンじゃないところは何も起こらないです。感想も何もない」と予想外の厳しさにがっくり肩を落とした。

しかし、「やるしかない、みんなそこからスタートしてる」と気持ちを切り替えた。

「次回、渡米するときは、名前を売るためにもインディーショーをベースとしたスケジューリングにしようと思いました。ただローカルショーもマイナス面だけでなく、自分自身のスキルの確認はできる。ローカルでの試合を経験したことによって、場所や対戦相手に関係なく、どこで誰と対戦しても自分のプロレスができるという自信はつきました」

2024年はシングルベルト獲得も視野に入れる翔太

いつまでも粘っていられない。野心をもって目標に向かえるのも、あと数年

今後、国内での活動を翔太はどのように考えているのだろうか。

「DDTやガンプロが所属するサイバーファイトには世界に発信できる動画配信レッスルユニバースがあります。これを活用していこうと。DDTはガンプロより視聴者数も集客が多い。KO-Dタッグ王者としてDDTに参戦しているのは知名度を上げるのにプラスになります。とにかく常にランクアップを目指しています。日本での自分の立場を一つでも上げていきたい」

さまざまなツールを活用し、常に自分のバリューをあげることを念頭に置く。だがキャリア16年目、レスラーとしてベテランの領域に入る翔太は目標の期限も定めているようだ。

「今年36歳、プロレスラーの平均年齢が上がっているから若い方かもしれませんが、ベテランにさしかかりつつある。やっぱり20代とか将来がある若い人達にどんどんチャンスが回っていくし、回っていってほしいと思っています。いつまでも粘っていられない。だか

ら野心をもって目標に向かっていけるのも、あと数年だと思うんです。自分のような野心ギラギラな大人が40歳越えてまでいたら邪魔じゃないですか(笑)。なんかそう思っちゃうので。僕が日本にいる間、とにかく行けるところまで行って、上がれるところまで上がるという気持ちは常に持っていますね。そこは変わらないです」

翔太がこれまで戴冠したタイトルは、KO-Dタッグ王座をはじめ、KO-D6人タッグ王座、IJ(インターナショナルジュニア)タッグ王座など、タッグのベルトが多い。シングルは2020年12月26日に第32代王者として戴冠し2度防衛したインディペンデントワールド世界ジュニアヘビー級王座以来、記録に名前を残していない。

今年は、所属するガンバレ☆プロレスのシングル「スピリット・オブ・ガンバレ世界無差別級王座」に狙いを定めている。また、「スピリット・オブ・ガンバレ世界タッグ王座」のベルトを高尾とのROMANCE DAWNで獲り、2団体でのタッグ2冠になることも視野に入れている。

ハングリー精神旺盛な翔太は、「海外のシングルのベルトも挑戦したい。団体規模の大小はあれ、シングルベルトを獲れるくらいの挑戦はしてみたい。このグローバル化の中、海外をみれば選択肢はいくらでもある」と、国内外問わず、幅広い活動を考えている。またベルト挑戦以外にも、翔太の野心は尽きない。

「自分自身のステータスをあげるっていう部分では、ガンバレ☆プロレスとかDDT以外の大きな団体、新日本プロレスや全日本プロレス、目の前に扉が現れたら、すかさずノックしたいです。開けてくれるかわかんないですけど。大日本プロレスやフリーダムズとか、他の団体だってある。チャンスがあるのなら僕はいつでも行きたい。やっぱりDDTとガンプロだけでやっていると、観る人は変わらない。もちろんファンの数は増えています。それでも全く別ジャンルの人が観る団体で参戦するというのは、自分の価値を上げ、認知度を上げるためにやってみたい」

日々プロレスと向き合いアメリカを夢見る翔太。彼の頭の中はプロレスのことで埋め尽くされている。最後にプロレス以外で息抜きすることはないのか聞いてみた。

「僕は旅をするのが好きなので、プロレスに関係なく知らない国に行くのは、 それだけで人生豊かになる感じがして好きなんですよ」
(おわり)

取材・文/大楽聡詞
写真提供/DDTプロレスリング

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