「野球がやりたい!」広島県の特別支援学校生徒の「夢」がかないつつある。
広尾晃のBaseball Diversity
近年、独立支援学校で野球をする生徒が、高校野球の公式戦に出場する動きが加速している。
「甲子園夢プロジェクト」
これを主導したのは、東京都立青鳥特別支援学校の久保田浩司主任教諭だ。久保田教諭は2021年、「甲子園夢プロジェクト」というプロジェクトを立ち上げ、野球がしたい支援学校の生徒に呼び掛けて、練習会を行った。また慶應義塾高校との合同練習会も行った。

翌2022年には「甲子園夢プロジェクト」に参加していた愛知県立豊川特別支援学校の林龍之介君が、愛知県選手権大会への出場を志した。豊川特別支援学校は、その要望を受け入れて「野球部」を設立、愛知県高野連に加盟した。
部員は林君一人だったので、一色、加茂丘、衣台、御津の4校の連合チームに、豊川特別支援学校が加わり、7月15日、愛知県立一宮西高との歴史的な試合に出場、林君は最終回に打席に立ち、三振に終わった。
2024年の夏には、青鳥特別支援学校が単独で選手権西東京大会に出場、東村山西高に0-66で敗れたが、翌年の大会では、上水高戦で1-22と初得点を挙げた。
こういう形で、特別支援学校に通う選手の「高校野球への参加」は着実な歩みを進めている。
南昊雅君の挑戦
広島県にも、野球への情熱を燃やす支援学校生がいる。
広島県東広島市の県立黒瀬特別支援学校高等部に通う南昊雅君だ。
昊雅君「最初はスイミングスクールに入っていたのですが、小学校3年の時に、友達に野球をやってみない?と言われました。最初は障害があるし、と断っていたのですが友達が『障害なんて関係ない』と誘ってくれてて、軟式野球チームの黒瀬ジュニアに入団して野球を始めました」
母親の南沙織さんは
「軽度知的障害で、小学校三年生から支援学級に移ったんです。保育所の頃は問題なかったのですが、小学生になってから勉強面でついていけなくなりました。
小さいころから広島カープの大ファンで、水泳をしていたころから家でもキャッチボールをしてくれとせがまれていました。黒瀬ジュニアの体験会で、水を得た魚のように生き生きしていたので、これは絶対に入れなくては、と思いました」
と語る。
昊雅君「黒瀬ジュニアは選手数が少なかったので、試合の時はライト守りました。試合でも時々ヒットを打ちました」

中学でも野球続ける
中学に進学しても野球を続けた
昊雅君「中学では絶対野球部に入るって決めていて。硬式野球チームに入りたいと思っていたのですが、母の送り迎えが大変なので難しいとなって、中学の軟式野球部に入れてもらいました。投手にチャレンジしたこともありましたが、コントロールが定まらなくて、外野に転向しました。
外野でもボールを捕れない時がありましたが、友達ががんばれよと励ましてくれたので、すごくうれしかったです」
沙織さん「中学生になると町内の五つの小学校が集まります。小学校の時は支援学級に移っても、まだ一、二年生の時に同じクラスだった子もいたのですが、中学に入ると誰が誰かもわからないし、輪にも入れなくなって、人と話すのがちょっと難しくなった時期がありました。野球部も、公式戦の当日の朝に休むと言い出すなど、何回もやめたいと言う時期がありましたが、中三ぐらいからちょっとボキャブラリーが増えて。高校から黒瀬特別支援学校の高等部に入ったのですが、ここからずいぶん落ち着きました」と語る。

野球部を作る
黒瀬特別支援学校には野球部はなかった。
昊雅君「去年の黒瀬の夏祭りで、僕は和太鼓をたたいていたんですが、特別支援学校の校長先生がたまたま見に来てくださって、そこで野球部を作ってくださいとお願いしました」
沙織さん「実は、中学卒業くらいの時に『甲子園夢プロジェクト』について本や記事で知っていて、特別支援学校でも野球ができるんだと聞いて連絡を取って、関西で行われた練習会にも参加しました。
たまたま校長先生と直談判する機会もあったので、息子が校長先生に野球部を作ってほしいと言う手紙を書いたんです。校長先生も高校野球の経験があったので、前向きに進みそうだったのですが」
野球部を作っても広島県高野連に加盟しなければ公式戦には出場できない。
沙織さん「当初、難しそうだったのですが、校長先生によると、今の広島県高野連の会長は、特別支援学校の校長もされたことがあったとのことで、もしかしたら希望があるかもしれない」とのことでした。
広島県高野連の折田裕之会長(広島商業高校校長)は、令和3年に広島県立呉南特別支援学校の校長を歴任している。
野球をする仲間づくりも
沙織さん「校長先生は『3人になったら野球部を作る』とおっしゃってくださったのですが、2人しか集まらなくて。それでも待っていても仕方がないから、と、夏休み明けから練習を始めました」
昊雅君「1年生の頃は、甲子園夢プロジェクトの練習会に行ったり、母校の小学校に自転車で行って、ユニフォームに着替えて一人で練習したりしてました。また廿日市サンブレイズと言う女子野球のチームがあって、野球教室をしていたので、そこにも参加しました。
高校野球になって硬式ボールになりましたが、最初は軽く投げるようにしたので、普通に投げられるようになりました」
沙織さん「今年度に入ってからは祇園北高の野球部も土日に練習に参加させてくださるようになりました。広島県高野連には祇園北高校の 篠原凡監督が、練習受け入れについて確認をとってくださり、参加できるようになりました。息子も『高校野球をやっているんだ』と実感できたと言っています」

連合チーム、できるか?
黒瀬特別支援学校の高等部は、今年から広島県立黒瀬高校の敷地に移転し「のみのお分校」となった。
沙織さん「黒瀬高校の野球部は今年になって一度廃部になっていたのですが、4月に入部希望者が出てまた高野連に加盟しました。この黒瀬高校と、のみのお分校で、まず連合チームの仲間ができました。他の学校も含めて連合チームを組むことができれば、公式戦に出場できるようになります」
野球選手としての能力向上にも意欲的だ。
昊雅君「バッターとしては、バットを振るときに遠回りになるので、もうちょっと中に中に入れるように直していきたいと思います。ピッチャーとしてはコントロールをよくしていきたいと思います」
沙織「校長先生も『来年は連合チームを組んで入場行進できればいいですね』と言ってくださいます。できることは何でもしてやりたいです」

「自信をつける」ことで始まるもの
筆者は特別支援学校で野球をしている若者を何人か見てきたが、仲間と野球をするうちにみるみる成長する選手が多かった。
重要なのは「自信」をつけることではないか?これまでは、何をするにも気おくれしていた支援学校の生徒が、野球のプレーを通じて仲間と普通にボールまわしをして、声を掛け合い、勝利のために集中する。
「甲子園夢プロジェクト」で、特別支援学校の選手と一緒に練習をした慶應義塾高校の野球部員は「一緒に野球をするうちに、同じ仲間だと思えるようになった」と言ったが、野球にはいろいろな垣根を乗り越えて、人を成長させる力があるのだ。
来年夏へ向けて、南昊雅君の奮闘を見守りたい。

