「独立リーグ」の「独立」って何?意外に長いその歴史

広尾晃のBaseball Diversity:01

このコラムでは「野球のダイバーシティ」について書き続けたいと思う。甲子園やプロ野球だけでなく、日本には様々な形で野球が息づいている。その多様性についてレポートしていきたい。まずは「独立リーグ」について。

筆者は2005年、日本初の本格的な独立リーグ「四国アイランドリーグ」の発足時から独立リーグを見てきた。その歴史を「ビジネスモデル」の観点から俯瞰しよう。

独立リーグは何から「独立」しているのか?

そもそもの話として「独立リーグ」とは、何か?何から「独立」しているのか?

ひとことで言えば、野球の「独立リーグ」とは、その国の「トップリーグ」から独立しているリーグ、プロ野球のトップリーグの傘下にないチームによるリーグだ。

アメリカの東部でプロの野球チームが生まれ、そのうちの強豪チームが集まって初めてのメジャーリーグであるナショナル・リーグを結成したのは1876年。ナショナル・リーグに加わらなかったチームもあり、いくつかはリーグを結成した。これらはメジャーリーグから見れば「独立したリーグ」になるので「独立(インディペンデント)リーグ」と呼ばれるようになる。1901年にもう一つのメジャーリーグであるアメリカン・リーグができてMLB(メジャーリーグベースボール)が成立。この時点でも多くの独立リーグが存在した。

MLB球団は独立リーグのチームから有望選手をスカウトして契約した。ベーブ・ルースも独立リーグの一つ、インターナショナル・リーグのボルチモア・オリオールズ(現在のチームとは別)から引き抜かれMLBアメリカン・リーグのボストン・レッドソックスに移籍した。レッドソックスからオリオールズには「移籍金」が支払われた。

その後、ナショナル・リーグのセントルイス・カージナルスのGMブランチ・リッキーが独立リーグのチームを傘下に入れて選手の育成システムを作る。独立リーグチームに移籍金を払って選手を獲得するより安上がりで確実だ、と言うことで、以後、MLB球団は独立リーグのチームを傘下に入れる。こうして独立リーグの多くのチームは、メジャー傘下のマイナー球団になり、これらの球団によるマイナー・リーグが数多くできた。

しかしそれでも独立リーグはまだ存続した。

MLBは1950年代まで西海岸には進出していなかった。ロサンゼルスやサンフランシスコなど西海岸では独立リーグ球団が人気を博していたが、1957年、ニューヨークを本拠とするブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツが西海岸に移転しロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツになった。以後、西海岸の独立リーグ球団も次々とMLB傘下に入り、1980年代にはアメリカの独立リーグはいったん消滅した。

しかし1990年代に入り、MLBが球団拡張に乗り出すとともに、選手の絶対数が不足したこともあり、独立リーグが復活し、現在に至っている。

今年、巨人で大活躍の元独立リーガー

現在、アメリカ、カナダには6つの独立リーグが存在している。このうち4つはMLB球団のパートナーリーグでスカウトや巡回コーチが定期的に見回るような関係にある。

またメキシコのプロリーグであるメキシカン・リーグは2020年までMLB傘下の「マイナー・リーグ」という格付けだったが、2021年からはMLBとの関係では「独立リーグ」と言うことになっている。

アメリカの独立リーグはMLBに比べて経済基盤が弱く、選手も実力的に劣るが、長い歴史を有するチームもあり、地域に密着して1万人以上の観客を集めるチームもある。

また、MLB球団を戦力外となり、独立リーグに移籍してから実力を蓄えて再びMLBと契約する選手も少数ながらいる。

今季、巨人の新戦力として大活躍しているアダム・ウォーカーは2012年ドラフト3巡目でツインズに入団、移籍を繰り返したがマイナー・リーグの壁を破ることができず2018年、独立リーグの一つアメリカン・アソシエーションのカンザスシティ・Tボーンズに移籍。翌年同じリーグのミルウォーキー・ミルクメンに移籍、この2チームで大活躍、リーグMVPを2年連続で獲得し、巨人にやってきた。メジャーリーガーではないので、年俸は巨人の外国人選手としては格安の3400万円だったが、守備に難はあるものの殊勲打を連発して大注目される選手になっている。

アメリカの「独立リーグ」はMLB、マイナー・リーグの階層には属さず、すそ野の一番下にあるが、それでも選手には出世のチャンスは残っている。また地域ではコミュニティの中心として、人々に親しまれている。

日本プロ野球草創期からあった「独立リーグ設立」の動き

日本でも「独立リーグ」は、日本のトッププロリーグである「NPB」に属しないリーグと言うことになる。

その歴史は、日本プロ野球が誕生した1936年までさかのぼる。この年、讀賣新聞社長の正力松太郎は「日本職業野球連盟」を設立した。今のNPBの始まりだが、ライバルの國民新聞社は同じタイミングで「大日本野球連盟」という別のリーグの設立を構想、國民新聞が親会社の大東京軍、新愛知新聞が親会社の名古屋軍の2チームを設立したが、リーグ構想はとん挫し、大東京軍、名古屋軍は正力が作った「日本職業野球連盟」に合流した。もしこのリーグができていたら、日本初の独立リーグになったはずだ。

戦後、プロ野球が再開し、人気がうなぎ上りに高まると、新規参入したい企業が増加。その一部が1948年に「国民リーグ」を設立した。結城ブレーブス 、大塚アスレチックス 、宇高レッドソックス 、唐崎クラウンの4球団からなる新リーグはペナントレースを開始したが、プロ野球側が球場を貸さないなどしたこともあり、資金不足のためリーグは1年で崩壊した。この「国民リーグ」が実際に稼働した日本初の独立リーグと言うことになる。

1969年には日本、アメリカ、ドミニカ共和国、ベネズエラ、プエルトリコを舞台にした「グローバルリーグ」が誕生した。これもNPBやMLBいずれにも属さない「独立リーグ」ということになる。日本では東京ドラゴンズが設立され、中日の本塁打王だった森徹がプレイングマネージャーになるが資金不足のため、1年で休止した。

ここまで日本で誕生した独立リーグはいずれも、「第3のリーグに」という目標を掲げ、先行するトップリーグである「NPB」セ・パ両リーグのシェアを奪い、対抗する目的で設立された。NPB球団は、当然、ライバル視し、非協力の姿勢をとるようになる。

しかし国民の圧倒的な支持を得る巨大スポーツ産業になっていた「NPB」と競合するリーグの設立、存続するのは、非常に厳しい道だったと言えるだろう。

石毛宏典氏が打ち出した新しい独立リーグ構想

2004年に元西武、ダイエーのスター選手でオリックスの監督を務めた石毛宏典氏が打ち出した「独立リーグ構想」は従来のものとは全く異なるものだった。

石毛氏はアメリカの野球を視察し、MLBと独立リーグが協力関係にあり、共存していることを知った。そこで日本にもNPBと共存できる新しいリーグの設立を思い立ち、オリックスの監督を辞した2004年に構想を発表。四国アイランドリーグを設立し、リーグの運営会社IBLJの社長に就任した。2007年にはBC(ベースボールチャレンジングリーグ)の設立にも関与、さらに2009年には関西独立リーグを設立した。

石毛氏自身はその後、各リーグを離れたが、3つのリーグ共に経営難に見舞われるなど紆余曲折はあったものの存続している(関西独立リーグは一度解散し、新たな組織として発足)。これは「NPBと共存し、地方に野球のすそ野を広げる」という石毛氏の理念が正しかったことを意味している。経営手腕などは別にして、石毛宏典氏は日本の独立リーグのファウンダー(創業者)ということになろう。

2005年9月、創設年の四国アイランドリーグ試合

これらのリーグからは毎年、NPBにドラフトで選手を送り込んでいる。NPB球団のファームとの交流戦も実施、また監督やコーチの多くはNPBで選手経験のある野球人が務めている。さらに審判員も交流している。

2014年には独立リーグの統括団体として日本独立リーグ野球機構(IPBL)が設立され、NPBやJABA(社会人野球)の交渉窓口になった。

2020年には北海道ベースボールリーグ、2021年には九州アジア野球リーグが誕生。2022年にはルートインBCリーグから日本海オセアンリーグが分離独立、北海道ベースボールリーグから北海道フロンティアリーグが独立、今年の段階で独立リーグは7リーグ30球団に拡大している。

2021年9月オセアン日本海リーグ発足記者会見
2021年9月、日本海オセアンリーグの発足記者会見

各リーグ、球団のビジネスモデルは様々だが、設立から17年で日本の独立リーグは地域社会にすっかり定着したと言えるだろう。

ただ既存の独立リーグには「低値安定」の印象が強い。今後、各リーグごとに紹介するが、変質するスポーツ界にあって、独立リーグは「新たなビジネスモデルの創出」を志向すべき時に来ている。

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