サッカー×農業!? 異業種の連携で目指すスポーツの理想形(後編)
現役Jリーガーながら、様々な気付きを元に一般社団法人F-connectを設立した小池純輝選手(東京ヴェルディ)。そして「スポーツがあって良かった、社会を創る」を理念に掲げ、2014年に株式会社I.D.D.WORKSを立ち上げた三橋亮太氏。多角的な選手のサポートはもちろん、地方創生――中でも農業に力を入れ、活動している。
同じ1987年生まれの同学年でもある2人が今回タッグを組み、長野県飯綱町で農業でまちおこしをしていく「エフコネファーム」の活動をスタートさせる。そんな2人に設立のきっかけやサッカーと農業のような異業種がもたらす可能性について話を伺った。
■ 選手自身がスポーツの価値を高めていく
子どもたちと同じ時間を過ごすことがF-connectの活動の根幹にある
――今ではデュアルキャリアという言葉がよく出てきますが、お二人が出会った当時は浸透していなかったと思います。外からサッカーを見られてきた三橋さんはJリーグの選手たちがデュアルキャリアについて考えているという感触はありましたか?
三橋:みんな考えているとは思います。でも自分事と捉えていない選手が多い印象です。今でもJリーグのトライアウトのお仕事をさせてもらっていて、選手たちが現役を続けるか否かというシーンに向き合っているのですが、いつまでも他人事というのが正直なところ。
逆に小池選手の話はすごくリアリティがあって、「ぼんやり思う人」と「動いてみる人」で分かれていると感じています。
――こうした意見を受けて、小池選手はキャリア形成をしっかり描けていますが、こうした考えに至るまでにきっかけはあったのでしょうか?
小池:25歳くらいのときから考え始めました。今年で34歳なのですが、どこのクラブも35歳を超えてプレーしている選手は1、2人いるかいないかの世界。当時、漠然と「35歳までかな…」と仮にリミットを設定したときに、プロ1、2年目のときは年数を増やしながら数えていたのですが、35歳という数字が見えたときに急に「あと何年」というカウントダウンになったんです。
ユースなどで一緒にプレーをしていて今は一般企業で働いている仲間が35歳になると社会でそれなりの経験をしていると思うんです。僕も社会人ではありますがプロスポーツは特殊な世界なので、35歳で社会に出たときの自分を想像したときにすごく不安になりました。
また、サッカークラブを円にすると選手は必ず中心にいるので、コーチもフロントスタッフもみんな選手の方を向いてくれるんです。
選手がプレーに専念できる環境を作ってくれるので、サッカーだけをしていれば成り立ってしまう世界なんです。練習に行って、いつものチームメイト、コーチングスタッフに会って、練習が終わって、家に帰ってご飯を食べて次の日の練習に行く。このサイクルですと会う人も限られますし、本当に狭い世界だなと。自ら身の回りの円から飛び出していかないと、発見や気付きを得られないと感じるようになりました。
若いときから漠然とは考えていましたが、それが明確なものではなかった。25歳くらいから円から飛び出そうといろんな人に会っていく中、F-connectの活動もスタートしました。
――そうした円から出ていく最初の行動はすごく勇気が必要だったと思います。周りの反応はいかがだったのでしょうか?
小池:活動をしていることに対する周りからの声はありました。当時は試合に負けると「そういう活動をしているからだよ」と言われることがありましたが、今はかなり減りましたね。本田圭佑選手(ネフチ・バクー)や長友佑都選手(リーグ・アン・オリンピック・マルセイユ)が活動を始められていたことが大きいと思いますが、自身のキャリアについて考えている選手は多くなっています。
――逆に三橋さんから見て、選手たちの意識が変わっていくことに感じた部分はありましたか?
三橋:創業してからアスリートの進路に関わるところはずっと携わっていますが、選手が何か活動することに対して周りの方々のイメージが緩和されてきている気はします。市民権を得始めているというか。
スポーツだけではなくそれ以外の価値、社会的な価値を上げるために何ができるかという視野の広さを持ち合わせている選手が増えてきているのではないでしょうか?
■ まちづくりを担うことができるスポーツの無限の可能性
実際に利用していく畑を見つめる
――一般的な方はスポーツといえば、その競技を極めることですが、お二人のお話を聞いていると、こうした活動や地域との関わりを通してスポーツの価値、選手の価値を高めていくということも重要だと思いました。その中で、長野県飯綱町で取り組まれる今回の事業について今後描いているビジョンはありますか?
三橋:飯綱町が町として取り組んでいるのは、廃校を起点とした事業活動。スポーツや運動を通した町内外の人々の生きがいづくりをテーマにして様々な挑戦をされています。 私が町民だった数年前から廃校のグラウンドを人工芝に変えたり、スポーツジムなど新しく始まる場所を作って、住んでいる人はもちろん、来られる人の生きがいづくりの場として町民である僕も携わらせてもらっている、という経緯です。
元々私たちの農業事業部の拠点はお隣の上田市なのですが、今回F-connectさんと一緒に運営するとなったときに街のコンセプトである新しく始める場所、生きがいと出会える場所とすごくマッチする思ったからです。
もちろんおいしい作物を作ることが大前提ですが、何でも挑戦できる場所としてこの場所で始めていきたいという想いがありました。その考え方が一致し、小池選手も長野にルーツがあって共感をしていただいた。
実際に畑を見てもらい、風土も感じていただいて、「ここでなら挑戦をしたい」という言葉をいただいたときに考えが一致したと感じた時に「このプロジェクトを飯綱町で進めたい」という確信に変わりました。
小池:飯綱町で始めることについては、僕の場合は気持ちの方が大きくて、長野の景色や食べ物など子供の頃から馴染みのあるものが多く、飯綱町には先日初めて行ったのですがどこか懐かしさがありました。自分のルーツがある場所に足を運べる機会があるということはすごくうれしくて、きっと親戚やいとこもすごく喜んでくれると思います。それが長野で始める理由の一つです。もちろん食べ物がおいしくて、また足を運びたいと思える場所だったことも大きいです。
――飯綱町のように町の盛り上げを、スポーツを通じてできるということは今後の地方創生で非常に大きなことだと思います。こうしてスポーツが持つ可能性はどのように感じられていますか?
小池:これまでの僕たちの活動で言えば、初めて神奈川県の施設に行ったときに、子どもたちと校庭でサッカーをしようと呼びかけたのですが、最初はサッカー好きで積極的な2、3人しか参加してくれませんでした。他の子たちは周りで見ていて、すこし恥ずかしそうで入ってきませんでした。でもボールを蹴っているうちに1人、2人と入ってくるようになって、帰る頃にはほとんど子どもたちが一緒にボールを追いかけてくれました。
帰る前に施設の職員の方と話をしたのですが、いつもであれば誰かがサッカーをしていてもやらないような男の子が一緒になってボールを追いかけていて「驚きました」と。僕がサッカー選手だったから参加してくれたのか、楽しそうだったからなのかは分かりませんが、そういう瞬間にスポーツやアスリートとしての価値を感じて、特に現役というところに僕は価値を感じています。現役選手のうちにそういった価値を伝えていけるような存在になりたいと思います。これからもっとスポーツの可能性を見付けていきたいという期待はあります。
三橋:スポーツ自体の価値って何だろうと考えることは多いのですが、正解はないと思います。その中で僕は「かっこいい近所のお兄ちゃんお姉ちゃん」としてアスリートが輝いてくれたら嬉しいなと思っています。
プロ選手はもちろんですが、働きながら活動する選手でも子どもたちにとってはカッコいいローカルヒーローであって、身近にいて憧れられるような選手たちが増えて、その前向きに挑戦する姿勢で地域の人たちの心に火を灯してくれるような、僕たちはそういった人を増やしていけるかな、と。トップを引き上げる活動は小池選手を含めた選手たちに頑張ってもらって、プロではないけど立派なアスリートが輝ける機会を作っていくことで、スポーツの価値を認識してもらいたいと思います。
社会の中でスポーツが潤滑油のような存在になれると日本はもっと素敵な豊かな国になるのではないかと思っています。 そして余談なのですが…こういう活動をやっていて良かったという話があります。
僕たちはスポーツ選手と農家の方と一緒に、スポーツ教室と食育の事業、そして最後にバーベキューをするというイベントを毎年開催しています。そこで毎年起こるのが、子どもたちが農家の方々にサインを求めに行くこと。2回目になると農家さんがサインを作ってくるんですよね(笑)。
小池:求められるからね(笑)。
三橋:気付くとすごい列になっていて、農家さんが自分から握手を求めるんです。スポーツ選手のような振る舞いになっているのですが、それは身近にスポーツがあったから。
スポーツが農業に携われている方々のかっこよさに気づいてもらう機会を作れた、それは本当に嬉しかったです。もちろん農家さんがカッコイイというのは大前提にあったのですが、それを伝えるハブに僕たちがなれたことが、この活動をやっていきたいと思えた実体験です。スポーツという存在があるからこそあらゆる産業の価値を見直していく存在になれることが、スポーツの価値の理想だと感じています。