『四国アイランドリーグplus 事務局長の想い』 Part 1

「このシリーズでは、スポチュニティ編集部を通じて、四国アイランドリーグplus 坂口事務局長の熱い想いをお伝えしていきます」

少し前になりますが、とても嬉しいことがありました。

阪神タイガースの福永や読売ジャイアンツの増田など、狭き門を突破してキャンプで躍動する姿を記事などで目にすることが嬉しいのは言うまでもありません。
しかし、親心として、いつまでも心にあるのは、夢破れて次の人生に進んだ残り90%の選手たちの”その後”なわけで。

そんな中、徳島新聞の小さな記事に、徳島インディゴソックスの卒業生の”その後”の一場面が取り上げられていました。

ごみ袋を使い救助 徳島市助任川【徳島ニュース】- 徳島新聞社
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/02/2017_14863443288944.html

卒業生の名前は宍戸勇希。
素晴らしい素質を持った本格派の左腕でしたが、ドラフト指名を受けることはできませんでした。
在籍中は、当時の島田直也監督(現・横浜DeNAベイスターズ投手コーチ)に最も叱られた選手の1人であり、僕も、何度、個人面談で呼び出して日頃の生活態度に対する説教をしたかわからないほど手のかかる選手でした(笑)
もちろん、これは期待の裏返しではあったのですが。

四国アイランドリーグ時代の宍戸選手四国アイランドリーグ時代の宍戸選手

宍戸は大阪出身の選手ですが、卒業する際は、いつも球団にご支援頂いている徳島の地元企業シティ・ハウジング株式会社でお世話になることを勧めました。
根は優しい子であり、向上心もある宍戸の良さを在籍中からご理解頂いており、”その後”の人生をしっかりと歩んでいけるよう、厳しく社員教育もして頂けるだろうという思いからでした。

ユニフォームをスーツに替え、新米社会人として働く笑顔の宍戸を見て安心はしていましたが、この記事を目にして、あらためて、1人の責任感ある社会人として立派に歩み始めてくれたんだな、と嬉しくなりました。

四国アイランドリーグ時代は本格左腕として活躍していた

地域のスポーツチームが、地域と一体になって、若者を育てていく。
そして、育った若者が、地域にささやかな恩返しをしていく。

話題性のある華やかな成功事例やちょっとした失敗事例は、これでもかと報道されて世に広まっていくわけですが、地域のスポーツチームのこうした本質的役割、あるいは、地域のスポーツチームが果たしている、こうした地道な成果は、ほとんど報道されず、理解が深まっていかないのは残念な限り。
でも、そんな状況を打破しなければ、とやる気を奮い起させてくれる卒業生たちの活躍。
嬉しいなぁ。僕も彼らを見習って頑張ろう。


坂口裕昭さん
1973年、神奈川県横須賀市生まれ。四国アイランドリーグplus・理事・事務局長、徳島インディゴソックス前球団代表、日本独立リーグ野球機構・事務局長、徳島県教育委員会・教育委員、弁護士。

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