地域密着の小菅不動産・三代目社長が目指す道

コロナ禍で苦しむ学生アスリートのため、三代目社長が一肌脱いだ。神奈川県大和市で不動産業を営む株式会社小菅不動産の代表取締役・小菅貴春さんは、自身が神奈川大学時代に所属していた男子ラクロス部“SEAGULLS”を支援した。

「少しでも足しになるのであれば」と控えめに話すが、その裏には強い思いがあった。ビジネスの第一線で活躍する小菅社長の礎となったのは、大学時代のラクロスだったのだ。

好奇心に従ってラクロス部に入部。「1本の軸ができた」

好奇心に突き動かされて、小菅社長は新たな道に進んだ。「もともと大学ではアメフトなどの団体競技をやりたいと思っていました。でも新歓で話を聞いていくなかで、格闘技の要素もあるし、日本に来てから15年くらいの新しいスポーツなので面白そうだと思った」とラクロス部入部を決めた。

新興スポーツの難しさもあった。グラウンドはアメフトなど伝統ある部が優先的に使えるようになっており、ラクロス部が使えるのは朝のみ。練習は毎朝7時15分からだった。

さらに当時はまだ体育会に認められておらず、競技にかかる費用は全て自費。練習場を追い求めて学外のグラウンドを有料で借りたり、練習試合の遠征に行ったり、防具を買ったり。費用を工面するため、授業が終わるとアルバイトに精を出した。

1年時にチームは2部から1部に昇格。2年時から、1部で戦っていくためにチームに守備的MFのロングミディー(LMF)が必要に。走力が評価され、LMFとしてレギュラー入りを果たした。4年まで主力として活躍し「大学でこれをやったぞという1本の軸ができた。他大学との交流もできて、ラクロスを通じてたくさんの人とつながれた」と振り返る。

神奈川大4年時、第9回関東学生リーグ1部・法政大戦で活躍する小菅さん(背番号6)

「やり遂げた経験は社会人生活に生きる」と神奈川大ラクロス部の支援を決断

当時、ラクロス部にはヘッドコーチがいなかったため、学生主体で練習メニューやチーム運営を考えた。「チームとしてのあり方を学びました。言いたいことはしっかりと言い合っていました」。10人ほどの同期や後輩たちと積極的にコミュニケーションを取り、時には厳しいことも言い合える環境をつくった。

4年間、1つの目標に向かって仲間と汗を流すことの価値は誰よりも分かっている。生涯にわたって付き合っていく仲間ができた。不動産会社の社長として80人超のチームの先頭に立つ今、学生時代に学んだチーム運営術が生かされている。だからこそ、後輩たちの苦境を見過ごすことはできなかった。

コロナ禍で神奈川大学男子ラクロス部は部活動継続の危機に追い込まれた。学内のグラウンドが利用できなくなったため、外部グラウンドの利用料や交通費など金銭的負担が増えた。さらにアルバイトも困難な状況に。「私はラクロスをやって本当に良かったと思っています。自分に大きくプラスになるような機会を金銭面の理由で失ってほしくない」とラクロス部の支援を決断した。

小菅社長は現役大学生たちへの熱い思いを明かしてくれた。

「考えて取り組めば自ずと結果も付いてくると思う。自由度の高い学生最後の期間に、自分たちで考えて何かをやり遂げた経験は社会人になって生きてくる。コロナに負けないで、悔いのないように頑張ってほしいです」

モットーは公平・公正と正面主義

神奈川大学卒業後、空間ディスプレイやイベントの企画、設計、施工などを行う株式会社ムラヤマに就職。2000年の九州・沖縄サミットではG8議長記者会見が行われた国際メディアセンターのデザイン・施工チームの一員として、2002年のサッカー・日韓W杯ではメインスポンサーイベントのブース設営などに携わった。平日は働きながら、土日は社会人チームでラクロスを続けた。

ムラヤマでの仕事は楽しく充実していたが、28歳で大きな選択を下した。祖父・三郎さんが創業し、父・兼三郎さんが社長を務める株式会社小菅不動産に入社。小さい頃から父の仕事ぶりを見ていて、当時は不動産業に良いイメージがなく「絶対やりたくないと思っていた」。それでも「40歳になった時に仕事で一人前になっていたい。それを考えると、30歳前後で入らないと」と決断。「不動産はやってみたら面白かった」と仕事に奔走した。

37歳でまたひとつ重要な決断を下す。二代目社長に「代わってくれ」と直訴し、代表取締役に就任。「やると決めた時点で、プレッシャーは考えないようにしました。年上の部下もいっぱいいましたが、気を遣っていたらやっていられないので、吹っ切れました」と覚悟を決めて、父から譲り受けた。

三代目社長になって10年。公平・公正と正面主義をモットーに掲げる。「公平・公正は仕事をするうえでの基本。この人にはきつく叱るけど、他の人には叱らないというのは絶対にやらない。みんなに対して同じように言う」。同じルールや条件のもとで全社員を評価する。

不動産業では「隣の部屋の人がうるさい」「ゴミの出し方が悪い」など他の入居者へのクレームが飛んでくることもしばしば。「どんなに大変なクレーム対応でも正面でドンと受け止める。絶対に逃げない。そうすれば必ず解決する」。経営計画書にも「正面主義」という言葉を入れている。

ラクロスで培ってきた人間力が生きている。大学時代、相手に敬意を払い、正々堂々と戦ってきた。どんな強敵にも真正面からぶつかった。4年間で学んだ公平・公正と正面主義が社長業に取り組むうえでの軸となった。

小菅不動産の代表取締役社長・小菅さん

地域密着で街の活性化に貢献!目指すは「五方よし」

小菅不動産は神奈川県大和市を中心に地域密着型の事業を展開している。「大和は横浜や鎌倉、湘南に比べてブランドはないが、車でも電車でも交通の便がいい。利便性があり、いい地域です」と地元への愛着を口にした。

小菅不動産は今年で創業53年目。小菅社長はどんな未来を描くのだろうか。

夢は神奈川県で最も質の高い会社にすること。会社の規模ではなく、社員の質、サービスの質、労働条件の質で勝負する。「『小菅さんのところで働いている社員は質が良くて、生き生きと働いていて、いい会社だね』と言われるのが一番のご褒美」と語る。そのためにデジタルテクノロジーを駆使するDX化を推進し、事務作業の生産性を向上させていくという。

さらに、会社として「三方よし」ならぬ「五方よし」を目指していく。しっかりと管理が行き届いていて、入居が満室な住宅が地域に増えれば、人口が増える。人口が増えれば街が活性化する。居住者がいれば街に入る税収も増える。税収が増えれば行政サービスが良くなる。不動産会社を起点に、好循環が生まれるのだ。

「街に良い物件が増えれば入居者よし、大家さんよし、地域よし、行政よし、最後に自分たちもよし、で『五方よし』となる。地域密着の管理会社として街を活性化する一助となることが目標」。三代目社長の道はまだまだ続く。

(取材・文/ 岡村幸治)



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