『SETAGAYA UNITED』始動!地頭薗雅弥代表が立ち上げへの想いを語る

 2022年1月1日、東京都世田谷区で新たなフットボールクラブが産声をあげた。その名も『SETAGAYA UNITED』。今春から東京都4部リーグに参戦する。レフティーのMFとして国内外でプレーした地頭薗雅弥(じとうぞの・まさや)氏が代表を務める。

 地頭薗代表は、新クラブ立ち上げへの想いをこう語る。
「自分のサッカー観、例えばこういうサッカーをしたいとか、グラウンドでこういった表現をしたいとか、そういうものを大事にしています。しかし、呼ばれたクラブに行って、選手としてそのサッカー観を貫くのはなかなか難しい。監督やスタッフが代わり、チームの体制や方針が変わってしまうというのもよくあること。自分のやりたいことやできることを昨夏ぐらいから考えてて、どうすればそれが表現できるのかなと思ったときに、サッカークラブを作るのが一番かなと。そんな想いにたどり着いて。周りの人に話をしてみたら『ゾノ(地頭薗代表の愛称)がやるんだったら面白いんじゃないか』と言ってくれる人が結構いて、一緒にやってくれる仲間も出てきて、これは自分がやるべきだと思って動き始めました」

関東リーグ、JFL、アジア3カ国でのプロ生活を経たからこそ分かるクラブの在り方とその想い

 4歳からフットボールを始めた地頭薗代表は、小学生時代は柏レイソルU-12、中学・高校時代はジェフ千葉U-15・U-18でプレーした。プロ選手を目指すもジェフのトップチーム昇格はかなわず、青山学院大へ進学。大学では1年から公式戦に出場していたが、3年のときに前十字靭帯断裂の大けがを負ってしまった。4年になって復帰するもプロ選手としての内定を得ることができず、当時まだ関東1部リーグを戦っていたSC相模原へアマチュア契約で入団した。SC相模原は1年目の12年にJFLへ、2年目の13年にはできたばかりのJ3へ昇格を決め、順調に階段を上がっていった。

「相模原でプレーしている間はアマチュア契約でした。サッカーだけで生活できるプロ選手になりたいという思いが自分の中にずっとあったんで、このままじゃそうなれないと思って、海外のチームのテストをいくつか受けました。なかなか決まらなかったんですけど、タイにトライアルに行っているときに、アルビレックス新潟シンガポールの是永大輔社長(当時)が声をかけてくれたんです」

 海外へ飛び出しプロ選手としてのスタートを切った地頭薗代表は、シンガポール、マレーシア、タイのクラブでプレーした。タイのクラブでは年俸交渉で折り合いがつかず、2年の契約を1年で打ち切られる不当解雇にもあう。移籍の期間が過ぎてからの不当解雇だったが、自らクラウドファンディングを立ち上げ、協力者の支えを得て生活資金を確保した。

 20年2月に日本へ帰国し、20年はFIFTY CLUB、21年はSHIBUYA CITY FCでプレーした。30歳を過ぎ、現役引退も考えながらプレーする中で、新しいクラブの立ち上げを考えるようになった。そこには、4歳から続けてきたフットボールへの「恩返しをしたい」という思いもあるという。

「今、32歳、自分はここまでサッカーによって成長させてもらいましたし、人との出会いもみんなサッカーを通してのものでした。サッカーに恩返ししたいという想いが自分の中に強くあるんです」
 実家があり、現在、自身も住んでいる東京都世田谷区を本拠地に新しいクラブ『SETAGAYA UNITED』を立ち上げることを決意した。

ノンブアFC(タイ)でプレーしていたときの地頭薗代表

ダサく勝つくらいなら負けた方がいい。目指すのはグアルディオラの「ゲームコントロールフットボール」

 では、新クラブで地頭薗代表が目指すフットボールとはどんなものなのだろうか。
「ジョゼップ・グアルディオラ(現・マンチェスター・シティFC監督)のサッカーが好きなんです。自分たちがボールを握って、ゲームの主導権を握って、意図的にゲームをコントロールしようっていうサッカーです」

 16年からマンチェスター・シティFCを率いるグアルディオラ監督は、チームを3度プレミアリーグ優勝に導いている。また、地頭薗代表はジェフ千葉U-18時代に対戦した柏レイソルU-18のフットボールからも強い影響を受けている。吉田達磨監督(現・シンガポール代表監督)が指揮を執った柏レイソルU-18には、地頭薗代表の1学年下の代に酒井宏樹(浦和レッズ)、工藤壮人(元柏レイソルほか)、武富孝介(京都サンガ)、指宿洋史(清水エスパルス)らがピッチ上で豊かな才能を発揮していた。

「達磨さんは日本のグアルディオラだなと僕は思っています。ああいう、ポジショニングを意識して、選手の立ち位置でゲームをコントロールしていくサッカーって、その当時どこもやってなかったんです。試合をしたとき衝撃を受けて、あのときのレイソルのアカデミーのサッカーには、憧れと衝撃が自分の中にありました。大学へ行ってからも、柏までよく練習を見に行って、達磨さんのところでサッカーの勉強をさせてもらいました。ああいうサッカーが日本のサッカーを変えるんじゃないかという憧れが自分の中にあったんです」

「自分のサッカー観を貫きたい」という強い気持ちからクラブ立ち上げを決意した

フットボールと仕事の補助線をデザインし、フットボール選手の在り方を拡張したい

 今春から『SETAGAYA UNITED』は東京都4部リーグに参戦する。初年度、選手は17~20人ぐらいを予定している。目指すフットボールを実現させるために、地頭薗代表も自ら選手としてプレーするつもりだ。
「チームの骨格というか、アイデンティティーみたいなものができるまでは自分もプレーしようかなと思っています。『ゾノのプレーを見たい』と言ってくれる人がいるうちにクラブ立ち上げにトライすることに意味があると思うんです」

 自らスカウトしてきた選手たちには、仕事をしながらプレーしてもらうことになる。そこには、資金面とはまた別の理由がある。自身も昨年、SHIBUYA CITY FCでは会社員として仕事をしながらプレーした。

「この経験、大きいと思うんです。若い選手たちが仕事とサッカー両方を頑張って、例えば1年後、3年後、5年後にプロになれたとしたら、『自分はサッカーも仕事もできます』という状態でプロになれる。そうすれば引退後のセカンドキャリアへの心配も少なくなると思うんです。サッカーをプレーする中で、他にやりたい仕事も出てくるかもしれないし。選手たちにはサッカーだけでなくビジネスでも活躍できる人間になってもらいたいですね」

石塚啓次氏がユニフォームをデザイン

『SETAGAYA UNITED』のユニフォームは石塚啓次氏がデザインを担当した。石塚氏は、1990年代に非凡な才能を持つ攻撃的MFとして活躍した。Jリーグやブラジルのプロチームなどでもプレー経験があり、現在はファッションデザイナー、実業家として活動している。

「ホームユニフォームのデザインは、チームカラーである濃紺ベースで落ち着いて上品になるように仕上げました。迷彩の方は、第一次世界大戦中、イギリス海軍が使用したダズル迷彩(塗装による遠近感を錯覚させて敵に標準を合わせるのを難しくする幻惑迷彩)をベースにオリジナルで作りました。相手チームにも遠近感をなくさせるという意図もあります」と石塚氏はデザインについて説明する。

 石塚氏との縁をつないだのは、地頭薗代表の青山学院大サッカー部時代の先輩で、株式会社スポンドの代表取締役・立木正之氏だ。立木氏は山城高サッカー部で石塚氏と同期だった。

 また、クラブ内の事務的な仕事を担当する米澤淳司氏は、地頭薗代表のジェフ千葉ユース時代の先輩にあたる。米澤氏は現役時代、インドネシアなどでプレーし、現在は人材紹介事業を手掛ける株式会社グリーンアップルを経営する傍ら、新クラブの事務作業全般を受け持っている。

石塚啓次氏がデザインしたホーム用ユニフォーム

世田谷で暮らす人たちの生活に『彩』を与える存在に

 こうして、フットボールを通して培った人脈に支えられ、新たな船出を迎える。簡単なチャレンジでないことは自分でも承知している。進む先にはいくつもの困難が待ち受けているだろう。それでも地頭薗代表は「できない理由を探すんじゃなくて、できる理由を探したい」と目を輝かせる。

「世田谷にはいろんな電車が通っていて、それぞれに商店街があって、昔ながらのお店もお洒落なお店もある。公園もたくさんある。『SETAGAYA UNITED』が、世田谷で暮らす人たちの生活に『彩』を与えるような存在になったらいいですよね」

 世田谷に暮らす人たちがクラブのユニフォームを着て、勝った負けたと話題にする。クラブがそんな存在になる日を目指している。4歳でフットボールを始めて以来、いくつもの困難を持ち前のバイタリティーで乗り越えてきた。フットボールプレーヤー・地頭薗雅弥としての物語、第1章はもう残り数ページかもしれない。情熱に引っ張られ集まった仲間とともに、汗だくになってグラウンドを、スポーツビジネスの現場を走り回る地頭薗雅弥代表の新たな物語、第2章に注目したい。

SC相模原時代、少年ファンに笑顔でサインをする地頭薗代表

(文中の監督・選手の所属情報は取材日:2021年12月11日時点のものとなります)

北海道札幌市出身。スポーツライター。早稲田大学在学時は陸上競技同好会に所属(短距離)。大学を卒業後、日刊スポーツ出版社に勤務し、雑誌『輝け甲子園の星』『アマチュア野球』ほか書籍などの編集を担当。2018年よりフリーランス。

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