波頭を乗り越えて、18年目のシーズンを進む四国アイランドリーグplus
広尾晃のBaseball Diversity:03
前回のコラムで四国アイランドリーグの設立の経緯と、体制が固まるまでについて駆け足で紹介した。その後のリーグの趨勢について、追いかけていくことにしよう。
4球団の経営変革
2006年、四国4球団は分社化したが、各球団ともに経営者が代わっている。
徳島インディゴソックスは、当初、徳島県の医療関係企業だったユーセイホールディングスが主たる出資者になっていたが、2010年3月に撤退。一時はリーグ運営会社IBLJが暫定的に運営していたが、2015年1月に株式会社パブリックベースボールクラブ徳島が設立され、事業を継承している。
高知ファイティングドッグスは2006年の分社化時点では事業継承者が見つからずIBLJ直轄となったが、翌2007年10月に高知ファイティングドッグス球団株式会社が設立された。2014年には四国初の「10年選手」となった梶田宙氏が引退して社長に就任したが、2018年に株式会社高知犬が事業を引き継いでいる。
香川オリーブガイナーズは2006年に設立された香川オリーブガイナーズ球団株式会社が今も運営しているが、経営主体は香川県の交通事業会社東交バスを経て、現在は電気通信事業の株式会社サクセスが事業を継承している。2017年から21年まで初の女性社長である三野環氏が球団運営を切り盛りして注目を集めた。
愛媛マンダリンパイレーツは、愛媛県内の広告代理店星企画が愛媛マンダリンパイレーツ球団株式会社を設立したが、2010年に愛媛県と県内全市町、さらに県内の多くの有志企業から出資を仰ぎ、愛媛県民球団株式会社となった。独立リーグには他にも「県民球団」を名乗る球団があるが、100%地元出資の球団は愛媛だけである。
各球団は、経営者の交代だけでなく、その都度ビジネスモデルも変化し、ここまでやってきた。
九州、三重の新加入球団は長続きせず
2008年には九州で新球団加入の動きがあった。一つは長崎セインツがこの年からリーグ参加、2009年前期は優勝し、この年ドラフトで松井宏次が楽天で育成指名されるなど、実力的には4球団にそん色がなかったが、2010年経営破綻した。
同年、福岡県を本拠とする福岡レッドワーブラーズもリーグ戦に参加、このオフには金無英がドラフト6位でソフトバンクから指名され入団したが、2009年に経営難に陥り、球団としては活動を停止。
さらに、2011年にはジャパン・フューチャーベースボールリーグに参加していた三重スリーアローズがリーグ戦に参加したが、このシーズン限りでリーグを脱退し11月にはチームは解散している。
四国以外のチームは長続きしなかった。
一つは、地理的な制約。四国の4チームはバスで半日以内の移動が可能で、宿泊は必要はないが、九州、三重県のチームは宿泊が伴うことが多い。時間的、経済的な負担は小さなものではなかった。
もう一つは地元の支援。2005年オフに四国アイランドリーグが分社化するに際して四国四県の知事は、「分社化しておらが町の球団となった方が、応援のし甲斐がある」と賛意を示した。紆余曲折を経て地元が応援する体制ができていた。
しかし長崎、福岡、三重ではそうした地元の支援体制が万全ではなかったと言えるだろう。独立リーグ球団は「地元の支援」が不可欠なのだ。
四国アイランドリーグは2008年九州球団の加入と共に四国・九州アイランドリーグとなり、2011年には九州球団の脱退と三重県球団の加入によって四国アイランドリーグplusとなった。そして三重が脱退後もこの名称を名乗っている。これはエキスパンションなどの可能性を否定していないということになるだろう。
NPBやアメリカとの積極的な交流
四国アイランドリーグは、設立当初からNPBとの交流を積極的に行ってきた。
2007年からNPB12球団秋季教育リーグ(「みやざきフェニックス・リーグ」)に連合チームを組んで参加。2008年からはイースタン・リーグ混成チームフューチャーズとの交流戦に参加。さらに2011年から福岡ソフトバンクホークス3軍と交流戦を実施、2012年からはNPB球団に所属する育成選手を独立リーグ所属球団に派遣する制度が開始。2016年からは読売巨人軍(三軍)と定期交流戦を実施。
特に、ソフトバンク三軍との交流戦は各球団8試合、計32試合も行われている。四国の側は公式戦に組み入れられているが、この交流戦を通じて、選手、指導者はNPB選手との「実力差」を実感できる。NPBのスカウトにとっても四国の選手の品定めをするうえで格好の機会になっている。
2021年、高知の藤井皓哉はソフトバンク3軍を相手にノーヒットノーランを記録した。藤井は前年広島を戦力外になって高知に入団したが、ソフトバンクは藤井の実力を評価して育成で獲得、今年春、藤井は支配下登録され、セットアッパーとして「勝利の方程式」を担っている。
また2015年からは北米の独立リーグ球団と交流戦を行うこととなり、選抜チーム「四国アイランドリーグplus ALLSTARS」が結成され、前後期の間の期間に北米を遠征した。2016年、2019年と行われたが、コロナ禍以降は行われていない。
IPBLの設立と4球団の“独り立ち”
2014年、設立10年目を迎えた四国アイランドリーグplusはこの年、大きな節目を迎えた。
9月1日に四国アイランドリーグplusとルートインBCリーグは、一般社団法人日本独立リーグ野球機構(IPBL)を設立した。
独立リーグが試合開催や選手獲得などの活動が活発になるにつれて、社会人野球(公益財団法人日本野球連盟、JABA)や学生野球(公益財団法人 日本学生野球協会、JSBA)と折衝、交渉する機会が増えてきた。従来は「独立リーグ連絡協議会」という任意団体が窓口になっていたが、法人格のある交渉団体を作る必要性が高まり、設立に至った。会長は四国の鍵山誠氏、副会長はルートインBCリーグの村山哲二氏が務めた。
IPBLの設立によって独立リーグには日本野球界における「一定のステータス」を得たと言えよう。またIPBLは加盟に当たって一定の審査を行っている。加盟しているリーグ、球団は信頼がおけると言えよう。
またこの年12月に行われた四国アイランドリーグ10周年の記念式典で、鍵山誠氏は大胆なリーグ改革案を提示した。これまで前後期3か月、90試合行っていたリーグ戦を前後期2か月68試合に圧縮した。それとともに、4球団の「経済的な自立」を促した。鍵山氏は球団経営者、関係者、報道陣を前に
「この10年間、リーグの赤字は私が経営する企業グループが補てんをしてきました。しかし、こんなことがいつまでも続くわけではない。11年目からは自分たちで黒字にすること。収支が黒字になれば、少なくとも赤字を出さなければ、リーグをずっと続けていける。高い理想ばかり求めて突然死するわけにはいきません。100点取ることを目指して倒れてしまうより、70点でも取り続けて存続するほうが選手にとっても大事だし、観客の皆さんにとっても大切だと思ったのです」と語った。
この式典では4球団の収支が公表されたが、ここで出た赤字をすべて鍵山氏の企業で負担していたのだ。
翌2015年から4球団は、純然たる独立採算企業となって、収入の範囲で球団を切り盛りすることになった。
経営体質の変革も
あれから8年、四国4球団は、以後も経営危機に直面しながら、何とか存続してきた。この間、4球団のビジネスモデルは全く異なるものになっていった。
鍵山誠氏は2016年にIBLJの代表取締役を退任、翌年にはリーグ理事長も退任。2019年からは馬郡健氏がIBLJ社長、リーグ理事長を務めている。またIPBLの会長も引き継いだ。
「就任したときの印象は、4球団が違う方向を向いているのでは、というものでした。そこで球団とリーグ、球団同士の情報のやり取りをひとつのプラットフォームに上げることにしました。球団間だけでなく、経営陣と現場の情報格差も感じたのですが、これも共有化しました。情報を丸出しにするから、みんなで考えてほしいと言いました」
2020年、新型コロナ禍によって四国アイランドリーグplusも大きな影響を受けたが、四国アイランドリーグは情報共有を進め、持続化給付金の申請方法なども共有した。
馬郡氏はIPBL会長として、ルートインBCリーグなどとも情報共有し、独立リーグを挙げて感染対策を実施。
さらに、4球団ともに試合のオンライン中継も実施、コロナによって経営体質の変革、強化が進むこととなった。
四国アイランドリーグplusは18年目の今も、波頭を乗り越えて進化している。