兵庫ブレイバーズ 柏木寿志 関西独立リーグ希望の星 「常にNPB入りを意識してプレー」”3度目の正直”で目指す夢の実現
10月20日に行われるプロ野球ドラフト会議。プロの世界を夢見る野球人たちが運命の瞬間を迎える日である。今シーズン、兵庫ブレイバーズでプレーし3年目のシーズンを終えた柏木寿志(かずゆき)選手もその一人。
50メートル走5秒8の俊足、遠投100メートルを超える強肩が持ち味の遊撃手。昨年も指名を待ったが名前は呼ばれず、今シーズン再度NPBのチームへ入団することを目標にプレーしてきた。
ドラフトまで約1ヶ月となった9月下旬、柏木選手にブレイバーズでの3年間と今後の目標などを伺った。
(取材協力 / 写真提供:兵庫ブレイバーズ、取材 / 文:白石怜平 ※以降敬称略)
実家は9人きょうだいの大家族、運命的に野球への道に
柏木は長崎市佐世保市出身の今年21歳。長崎・九州文化学園高時代には3年時に主将を務め、主に3番打者として春の県大会準優勝・夏の県大会ベスト8入りに貢献。高校通算では18本塁打をマークした。
高校入学時からプロ入りを目指すも、NPBからの指名は叶わず兵庫ブレイバーズ(入団時は兵庫ブルーサンダーズ)に入団した。
「高校3年生の時にオリックスのプロテストを受けた際、もしも指名がなかったらということで声をかけていただきました。大学進学とも迷っていたのですが、極力お金もかからないかつ自分の夢を得る場所として一番適してると思い、ブレイバーズを選びました」
上のセリフにあった、”お金もかからない”。ここに柏木のルーツがある。というのも、柏木の実家は9人きょうだいの大家族。男6人女3人全員が野球かソフトボールをやっていることから、柏木が野球への道に進むことは運命でもあった。
「僕は7番目なのですが、みんな野球とかソフトボールをやっていました。それを小さい頃から見ていたので、やりたいという意思以前にもう流れと言いますか、気づいていたらボールを握っていたみたいな状況でした(笑)」
多くの変化に直面した独立リーグ1年目
高校卒業時には叶わなかったNPB入りを目標に定め、柏木は独立リーグの門を叩いた。
しかし、1年目(20年)はさまざまな苦労に直面することになる。特に打撃については高校時代は金属バットだったこともあり、木製バットに適応しなければならなかった。
また、ブレイバーズの選手はアルバイトで生計を立てている。長崎から兵庫へと移り、環境の変化にも合わせる必要があった。
「打撃については具体的な技術というのがなく、自分の身体能力だけでやっていた部分がありました。木製バットに変わってから、いろいろ考えさせられるものが多かったです。金属と同じ感覚で最初は打っていたのでボールは飛ばないですし、独立リーグもレベルは高いので1年目は苦しい状況でやっていました」
その言葉通り、1年目は27試合で打率.186と課題を残した。しかし、翌年の飛躍に向けた種は確実に撒かれていた。
9月に行われた巨人(三軍)との試合に向け、柏木は関西独立リーグ選抜のメンバーに選ばれた。そこで選抜チームを率い、かつ同じリーグの堺シュライクス監督でもある大西宏明(元近鉄ほか)から打撃のアドバイスを受けていた。
「今まで”詰まりたくない”意識が強く、コンパクトに行こうと考え過ぎてスイングが小さくなっていました。少しの時間だったのですが、大西さんからは『小さく構えんともっと大きく!可能性があるんだから、もっと大きく構えて大きくタイミングをとっていいんだよ』と言っていただいて、そこから変わりました」
すぐに数字には表れなかったが、「自分の中で腑に落ちた瞬間でしたし、それを信じてやった結果自ずと良くなっていた感覚はありました」
と語るなど、翌年に向けて確かな手応えを掴んで1年目のシーズンを終えた。
飛躍を遂げた2年目のシーズン
多くの壁に直面した1年目だったが、NPBへの目標は決して揺らぐことはなかった。柏木にとってこの1年は”想定内”であったからだ。
「僕は入団が決まった時から”絶対にNPBに入るぞ”という目標を持ちながら2年計画を立てていました。1年目は準備期間と言いますか、2年目にしっかりとアピールできる意識で取り組んでいました。なので、シーズン中に打撃フォームを変えたりなど、いろんなことを試した時期が1年目でした」
そう語り迎えた2年目は目標に向けた勝負の年。柏木は前年の経験を踏まえテーマを設定し、シーズン通してやり通すと決めて臨んだ。
年間通じて取り組んだこととは何であったのか。
「技術面では僕は右バッターなのですが、スイング時の体の使い方、特に肘の使い方を意識して練習に取り組むようにしていました。金属バットでしたら多少遠回りしても打球は飛びますが、木製では全く飛ばないので、主に右肘の使い方を重点に置きました」
結果は数字として確かに表れた。45試合に出場して打率.263、安打数も前年の20本から47本と2倍以上になった。そして盗塁は33を記録しリーグ盗塁王に輝く。走塁面でも持ち味の一つであるアグレッシブさが大いに発揮された。
「昨年は例えば打撃で結果が出なかった時でも、『どうにかNPBのスカウトに見てほしい』と考えていました。そこで何ができるかと考えたら、四球などでも塁に出たら盗塁でアピールをした方がいいなと。走塁からリズムを掴んで打撃や守備に繋げる意識でいたので、塁に出たら”絶対に走ろう”という気持ちでいました」
もちろん塁に出たらむやみに走った訳ではなかった。打席に立つ味方の打者も柏木と同じ想いを持って打席に立ち、アピールする選手もいる。試合展開や流れなども読み、チームの状況に応じたプレーというのも心かげていた。
「カウントから配球を予測して”変化球の時に走ろう”といった状況も読んで、次のプレーをすることができてきたと思います」と語り、頭を使ったプレーも2年目の成長の証であった。
結果も伴いつつあり、NPBスカウトからの評価は上がってきていた。10月上旬には巨人から声が掛かり、入団テストを受けるなど、機運が高まっていたのは事実だった。
また、メディアも柏木に注目していた。ドラフト当日の特別番組では特集が組まれ、家族とのエピソードも紹介された。
本拠地であるアメニスキッピースタジアムでは、ドラフト会議のパブリックビューイング会場が設けられた。チームメートも一緒にユニフォーム姿で集まるなど、家族・地域の方・関係者の皆が指名を待ち侘びた。
しかしその期待も虚しく、育成ドラフトの終了まで名前が呼ばれることはなく、目標がまた遠のいてしまった。
3年目で挑戦した新たな取り組み
叶わなかった22年からのNPB入り。指名されなかった時の心境を察しながらも尋ねてみた。
「あの時はもうやり切ったというか、『ここまでやってダメならもっと自分のレベルを上げなければいけない』と真摯に受け止められる自分がいました。もちろん悔しかったですが、すぐに”次頑張ろう”という気持ちになりました」
2022年は”3度目の正直”を成し遂げるための1年として迎えた。打撃面においては、大きく数字を伸ばしたが、特に打率は決して満足はしていなかった。
1日最低2000スイングのノルマを自身に課し、テーピングを巻きながらも振り続けた。今シーズンは45試合で打率.267と微増ではあるが、40試合の時点で.288をマークするなど、努力の成果は徐々に表れつつあった。
また、3年目で新たに取り組んだのが二塁手への挑戦。ここまで触れてこなかったが、柏木は守備に最も自信を持っている。遊撃として、フットワークを活かした動きと強肩でチームのピンチを幾度となく救ってきた。
そんな中挑戦した二塁のポジション。どんなきっかけがあったのか。
「今年の後半戦ぐらいからずっとセカンドで出るようになりました。独立リーグ選抜の時など、1つのポジションだと同じくアピールしないといけない選手もいるので途中で交代しないといけません。
そうなると自分としては、アピールする機会も減ってしまいます。なので複数守れた方が試合に出続けられる可能性も上がるので、よりアピールの場を増やすために挑戦することにしました」
一見して”動きが逆になるだけ”と考える方もいるかもしれない。ただ、その動きをマスターするためには身体も頭も使い、時間も必要となる。柏木も当初は戸惑いながらも一つ一つ吸収していった。
「ショートでしたら今までずっと守っているので、無意識に動けていたのですが、セカンドだと守ったことがないので考えながら動かないといけないです。すごく試合中に考える部分が増えました。ポジショニングであったりカットに入る場所など、野球をもっと深く知れたと思います」
来る10月20日、3度目の念願成就へ
高校を卒業後兵庫ブレイバーズへ入団し、野球の実力もさることながら心身ともに成長してきた。
チームにも橋本大祐前監督(元阪神)を始め、坂本工宜や今オフ監督に就任した山川和大(ともに元巨人)、そして久保康友(元ロッテほか)とNPB経験者4人が在籍していた。目標の世界でプレーしていた先輩方の意見はとても参考になったという。
「今年は山川さんが野手で出る機会が多く(本職は投手)、常に練習や試合間の一緒にいることが多かったです。その時に私生活面でもアドバイスをいただいたのですが、一番強く教わったのは『スカウトが来ている時など、いかに大事な場面で結果を出せるか』という”メンタル力”でした」
いよいよ、ドラフト会議まで約1週間。高校入学後に”夢”を”目標”にしてから5年。2度の悔しさを乗り越え、運命の瞬間が近づいている。改めてアピールポイントはどこか、自身の口で語ってもらった。
「まずは元気が1番です!野球で言うと打撃では長打力、守備では1本目の速さと肩の強さ。ここが自分の持ち味だと思っています」
もちろんドラフト指名がゴールではなく、スタートになる。これからも続く野球人生、今後の夢を聞いた。
「野球をやる子どもたちはもちろん、地域の方たちや野球に馴染みが薄い方達にも尊敬される野球人になりたいです。大谷翔平選手のようにみんなに愛される選手になりたいと思っているので、これからも一生懸命野球と向き合ってやっていきたいと思います」
言葉の端々に込められた自信、これまでを振り返る際に何度も発せられた「NPBに行くために」という柏木の枕詞が決意の表れであった。悔し涙が嬉し涙に変わる瞬間をみんなが待ち望んでいる。