名古屋大学陸上競技部 目指すは全日本大学駅伝出場「部活も勉強も妥協しない」(前編)

全日本大学駅伝は、「出雲駅伝」「箱根駅伝」と並ぶ大学駅伝3大大会のひとつ。

いちばん知名度の高い箱根駅伝は、今年度(2024年1月)100回記念大会を迎え、関東地区のチームしか出場資格がない例年と違い、他地区へも門戸を開く。しかし、名古屋大学は現時点で、10月におこなわれる箱根駅伝予選会への出場は考えていない。

全日本大学駅伝は「伊勢路」とも呼ばれ、11月の第一日曜に愛知県の熱田神宮から三重県の伊勢神宮までを走る。名古屋大学は昨年の東海地区選考会で3位となり、出場枠(上位2チーム)にあと一歩及ばなかった。今年は出場枠がひとつ減ったが「今年こそは」の思いは強い。

2023年度、11年ぶりの全日本大学駅伝出場を目指す名古屋大学陸上競技部の林育生コーチと、7名の選手を取材した。

陸上も学業も高いレベルで頑張れる場所

全日本大学駅伝は、前年大会の上位8校と、各地区の選考会を勝ち抜いた17校、そこにオープン参加の日本学連選抜と東海学連選抜を加えた、計27チームでおこなわれる。

ここ2年はシードの8校も含め、関東からの出場校が上位を独占。過去10年まで遡っても、関東のチームに割って入ったのは関西の2チームがそれぞれ2回のみ。その理由のひとつとして、陸上長距離の高校生の多くが、箱根駅伝に憧れて関東の大学へ行くことが挙げられる。その結果、関東全体のレベルも高くなる。

しかし、学生たちが目指すところは決してひとつではない。名古屋大学には、陸上も学業も、高いレベルで頑張りたいと思う選手が集まっている。

3年の阿部祥典(しょうすけ)選手(広島・基町高)は、陸上で全中(全国中学校体育大会)に出場しており、地元にある駅伝の強豪校からの誘いもあったという。しかし、建築の勉強をしたいとの強い思いがあり、高校受験の段階で、大学まで文武両道を貫く決意をしていた。

阿部選手「高校ではインターハイ出場を目標にしていました。ところが最後の年(2020年)、コロナで中止になり、不完全燃焼のまま終わってしまって。名古屋大学を選んだのは、建築学科で学びたかったことと、陸上部が強かったことです。実際に入ってみると選手層が厚く、練習のレベルも高くて、内容も充実していると思いました」

2年の深谷麻陽(あさひ)選手(愛知・時習館高)も、中学から陸上部だった。ただし、メインはクラブチームでのサッカーで、陸上競技に本格的に取り組み始めたのは高校時代。3年の夏で引退して勉強に集中する同級生が多い中、11月の駅伝にも出場し、大学でも陸上をやろうと決めていたという。

深谷選手「勉強と陸上の両方をやるのが当たり前になっている学生が周りにいるのは、自分には良い環境です。さまざまなレベルの選手たちが各自目標を持って練習できるところも、いいと思いました。将来的には、大学院でスポーツ心理を専門に学びたいと思っています」

名大陸上競技部・男子長距離パートのメンバー。今回取材した7名は河﨑選手(3列目右端)、森川選手(同列右から3人目)、田尻選手(2列目左端)、寺島選手(1列目左端)、阿部選手(同列左から2人目)、小川選手(同列左から4人目)、深谷選手(同列右から2人目)

陸上と勉強は「どちらも自分がやりたいこと」

今回取材した名古屋大学陸上競技部・長距離パートの練習時間は、月・火・木の17時~19時と、土曜の9時~12時。毎日ではなく時間も短いのは、学業に配慮してのことだ。講義と重なるときは、もちろん講義が優先となる。ただし、これは全体練習の時間であり、選手たちは自主練習もしている。

名古屋大学は、高い学力が求められる難関大学のひとつ。入学後も学業に忙しく、全国大会を目指すような練習を積む時間はないのでは、と思ってしまう。ところが選手たちは「両方やりたいからやっている」と口をそろえる。

大学院2年・森川陽之選手(広島・近大東広島高)「どちらかに集中できるのなら、それも良いのかな、とは思います。しかし、部内には400mハードルで日本選手権に出た選手や、医学部で日本インカレに出場した選手もいました。自分も両方頑張りたいので、どちらも妥協したくありません」

3年・田尻慎之介選手(兵庫・兵庫高)「中学・高校で勉強と陸上を両立してきて、今もその延長上。陸上では全日本大学駅伝や日本インカレに出るという目標があります。もちろん、勉強も頑張りたい。両方自分が大事にしてきたことなので、どちらかに絞ることはできません」

4年・寺島青(はる)選手(愛知・明和高)「高校のときはひとりで練習していた状態だったのですが、ここでは自分より速い選手がたくさんいて、レベルの高い中で練習できています。大学に入ってまで部活をやっているのは珍しいと言われたこともありますが、両立は高校のときからなので、つらいとは思っていません」

3年・小川海里(かいり)選手(三重・津西高)「高校では勉強との両立が少ししんどかったです。それでも、勉強で行き詰まったときは陸上を頑張る、陸上でうまくいかなかったときは勉強を頑張る、と気持ちの切り替えができたので、両方やっていて良かったと思いました」

小川選手は、高校で東海大会に出場経験がある。一定の満足感を得られて「大学ではもう陸上をやらなくてもいいかな」と考えていた時期もあった。ところが名古屋大学へ入学後、陸上部のレベルが高いことを知り、もう一度やってみようと思ったのだそう。

左から、田尻選手、小川選手、4年の村瀬稜治選手、寺島選手

名古屋大学出身の鈴木亜由子選手に影響を受けて選んだ進路

4年の河﨑憲祐選手(山口・大津緑洋高)は、競技からしばらく離れていた時期があった。

河﨑選手「高校2年の途中から、部活への参加は週1回でした。2年の終わりごろには2週間に1回となり、記録もあまり伸びずにほぼ引退状態で。その後、肺気胸を患ったこともあり、顧問の先生に『勉強に力を注ぎたい』と伝え、競技から離れました」

進学した当初(2020年の春)は、新型コロナウィルスの感染拡大で陸上部の活動自体あまりおこなわれておらず、個人で走っていたそう。しかし、レベルを上げるには陸上部に入った方がいいと思い至る。

河﨑選手「名古屋大学出身の鈴木亜由子選手(日本郵政グループ)に影響を受けて、自分が名古屋大学を志望したことを思い出しました。入部したのは1年生の10月です」

鈴木亜由子選手は、東京オリンピックの女子マラソン日本代表。今年の3月12日に行われた名古屋ウィメンズマラソンでは自己記録を更新し、日本勢最高の2位に入った。学生時代は文武両道を貫き、今も進化を続ける先輩の姿は、名古屋大学の選手たちにとって良い刺激となっている。

春合宿を激励訪問した鈴木亜由子選手(真ん中)と名大長距離パートのメンバー。左端が河﨑選手、左から3人目が阿部選手、4人目が森川選手

国立大出身の指導者・林コーチ

文武両道に勤しむ選手たちを陸上部で指導しているのが、今年で就任11年目となる林育生コーチ。自身も国立大である豊橋技術科学大学で大学院まで進み、学業と陸上を両立してきた。

林コーチ「2012年に名古屋大学の技術職員になりました。工学部の学生が実験に使う装置の管理や、技術指導などをしています」

職員になった当初はクラブチームにも所属し、学生たちと練習をともにすることもあったという。ところが翌2013年、前任者から直々にコーチ就任の要請を受ける。

林コーチ「それまで長年指導をされてきた金尾洋治さんが、東海学園大学の教授就任を機に退任することになったんです。自分が思っていたよりも数年早いタイミングでしたが、2013年の6月、正式にコーチとなりました」

就任11年目を迎える林コーチ

学生たちを全国の舞台に立たせたい

林コーチは高校2年と3年で、愛知県大会の3000m障害に出場。しかし東海大会への出場はかなわず、その悔しさもあり、大学進学後も競技を続けた。ただ、今の名古屋大学陸上競技部とは違い、部員は短距離と合わせても10人程度。さらにその中で競技に本気で取り組んでいたのは3~4人だった。

林コーチ「ほぼ自主練習のような状態でしたが、大学3年のとき東海インカレの3000m障害で優勝し、念願の日本インカレに出場できました」

さらに同じ年、全日本大学駅伝の東海学連選抜メンバーにも選ばれている。東海学連選抜のオープン参加は2006年から始まっており、その時代に大学生であったことも幸運だった。

林コーチ「全国大会に出るには、東海インカレで優勝するしかないと思っていましたが、全日本大学駅伝にも出るチャンスができた。これは大学生活の後半も陸上を続けるうえで、大きなモチベーションになりました。その後も大学院2年まで、4年連続で東海学連選抜として走っています」

林コーチが名古屋大学を全日本大学駅伝に出場させたいと強く願うのは、実際に全日本の大会でレベルの高いチームや選手とともに走り、選手として大きなものを得られたからにほかならない。

その後、2015年からは日本学連選抜のオープン参加が始まり、名古屋大学はサポート役として、全日本大学駅伝の本戦に携わる機会を得る。このことが「自分たちも出場したい」との思いをチームへ深く浸透させる、大きなきっかけとなった。

後編へ続く

(取材/文 三葉紗代、写真提供 名古屋大学陸上競技部)

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