• HOME
  • コラム
  • 野球
  • 「第31回 関東甲信越身体障害者野球大会」千葉ドリームスターが歩んできた連覇への軌跡

「第31回 関東甲信越身体障害者野球大会」千葉ドリームスターが歩んできた連覇への軌跡

9月28日、群馬県伊勢崎市のあづまスタジアムで、「ゼット杯争奪 関東甲信越身体障害者野球大会」が行われた。

ここでは千葉ドリームスターが2連覇を達成。チームが目標の一つに置いていたという快挙に秘められた戦いぶりを追いかけた。

(写真 / 文:白石怜平)

移籍後初の大会を地元で迎えた背番号「18」

31回目を迎えた身体障がい者野球の関東甲信越大会は、7年ぶりに群馬で行われた。開会式には、昨季楽天の監督を務めた今江敏晃氏が応援に駆けつけた。

大会を主管する身体障がい者野球チーム「群馬アトム」と15年以上にわたり交流がある今江氏。参加選手全員に向けた激励のメッセージを送るなど盛大に行われた。

6チームが参加した本大会を勝ち抜いたのが千葉ドリームスター。

名球会入りも果たしている大打者・小笠原道大氏が社会貢献活動の一環で2009年に創設、11年に本格始動した身体障がい者野球チームである。

小笠原氏が”夢を持って野球を楽しもう”という想いを込めて命名したドリームスターは始動から15年かけて着実に力をつけ、21年に関東甲信越大会初優勝して以降、22年そして昨年と3度制覇を果たしている。

マークが一層厳しくなることが予想される中、就任2年目を迎えた土屋純一監督はあるテーマを設定した。

「投手が四球を減らしテンポよく投げて、打撃陣が足を絡めて上位から下位打線まで切れ目なく点を取ることです。そのために若手選手の育成とバッテリーの強化を目指しました。

選手も増えていますから、これまで40歳以上のベテランに頼ってきたチーム事情を打開して、練習試合から選手育成も念頭に入れていました」

監督として2度目の大会に臨んだ土屋純一監督

それを体現したのが、決勝戦で先発した上原滉介投手である。

群馬県出身の上原投手は高校2年の冬に左膝に骨肉腫を発症し、左膝から骨盤の付け根を人工関節と人工骨に置換する大手術を受けた。

中学時代は野球部と陸上部を兼部しており、駅伝では関東甲信越大会優勝と全国大会8位に入賞した実績もあった上原投手。高校では陸上部に専念し、長距離ランナーとして活動していた。

そのため退院後はパラスポーツに取り組みたいと考え、中学まで野球をやっていたことから、インターネットで探し群馬アトムと出会った。

群馬アトムでは全国大会準優勝やベスト4入りも果たし、強豪チームの一員として出場を重ねていたが、東京への転職に伴い愛着のあるチームそして群馬を離れることに。

生きがいである野球を続けたいという想いから継続の形を模索し、「一番活気があると感じていた」というドリームスターへの入団を決断した。

今季ドリームスターに加入した上原投手

「18」と記された赤いユニフォームを着た26歳は、新天地である目標を持って臨んでいた。

「関東甲信越大会が群馬開催だったので、地元で優勝して最優秀選手賞を獲ることを目標に設定していました」

スタッフを含め20人以上集れば紅白戦を行い、県内の草野球リーグで健常者のチームと試合をするなど実戦機会を重ねてきた。

上原投手もその環境を活用し、打者との対戦を通じて技術アップを図っていった。

「実戦形式や練習試合の中で持ち球の状態を都度確認しながら投げ込んで調整してきました。大会の2週間ほど前からチームトレーナーのアドバイスを基に、もう一球種着手して形にできたのが大きかったです」

迎えた本大会、シードで準決勝スタートとなったドリームスターは初戦をコールド勝ちし決勝へと進出。

ライバルでありチーム創設時にサポートしてもらうなど長年の盟友でもある東京ブルーサンダースと2年連続の対戦となった。

慣れ親しんだマウンドで躍動し、MVPを受賞

決勝戦の先発という大役を任された上原投手は、慣れ親しんだ地元でのマウンドでその実力を発揮した。

「アトムにいた時も一度決勝で投げさせてもらって、2度目の決勝での先発でした。緊張はなく、とにかくワクワクしていました。

同時に相手が準決勝でアトムを相手にサヨナラで勝ち上がってきたチームなので、勢いを抑え込むために先に点を絶対に与えないという想いでマウンドに立ちました。

初回に先制してくれたのもあり、2回以降は常に流れをチームに持ってこれるような投球を心がけました」

大舞台で堂々たる投球を披露した

ストレートと変化球を駆使し、打たせて取る投球で内野ゴロの山を築く。バックも固い守りでアウトを積み重ね、その言葉通り自身の投球でリズムをつくった。

そして5回もマウンドに立ち、無失点に抑えると大会規定により7−0でコールド勝ち。一人で投げ抜き1安打完封勝利を成し遂げた。

「準決勝でコールド勝ちした勢いそのままに決勝でも先制したことで、とにかく雰囲気は最高潮でした。グラウンドとベンチが一丸になっていたと感じました。

また、守備力が本当に高いので、三振を取るよりも脱力しながらコーナーにどんどんストライクを投げ込むことを意識しました。

打たせて取ることができて、5回を約60球で終えられたのは自信になりました」

上原投手は優勝の原動力となったことが評価され、大会MVPを受賞した。「テーマに掲げていた関東甲信越大会優勝と最優秀選手賞が取れたので感無量です」と語り、立てた目標を全て勝ち獲ってみせた。

目標通り、大会MVPを受賞した

日本を代表する遊撃手が攻守で牽引

ここまでチームを引っ張ってきたのは、主将である土屋来夢選手。純一監督を父に持つ来夢選手は、23年に行われた「世界身体障害者野球大会」の日本代表として、世界一に導いたメンバーの一人。

昨季から主将の番号である背番号「10」を身にまとい、就任一年目にして関東甲信越大会優勝に輝いた。

連覇に向けて言葉そしてプレーで牽引してきた来夢選手は、今季のチームを「以前よりも組織的な野球ができるチームになってきた」と手応えを感じていた。

守備では遊撃から鼓舞し続けた土屋来夢選手

大会2試合とも「3番・遊撃」と攻守の要を担った来夢選手は、決勝の初回に大仕事をやってのける。走者1人を置いて迎えた第一打席、6球目を振り抜くと打球は伸びてスタンドへ。

審判団による協議の末、一度フェンスに当たったとし三塁打になったものの、先制打となり勢いづけた。これまでの広角に打ち分ける打撃に加え、パワーも付いたことを証明した。

「綺麗に捉えられたので手応えはあった。外野の頭は越えると思いましたが、まさかスタンドの近くまで飛んで行くとは自分自身で驚きました。

怪我をする前を含めても野球人生で一番の飛距離でした。普通ならドライブしたりスライスしたりするような打球が直線的に飛んで行ったのは何年も取り組んでいる練習の成果だと思います」

ほぼ本塁打の打球を放ち、球場中が騒然とした

そして優勝の瞬間を上原投手同様にグラウンドで迎えた来夢選手は、昨年とは違う心境を明かしてくれた。

「安堵の気持ちでしたし、素直に『やったー!』と思えました。

チームの雰囲気が本当に良かったです。何より2試合とも完封勝ちで終えられたのはチームの武器である守備力が発揮されたのが要因です。

連覇を果たしたことで実力を示せたと感じましたし、何よりドリームスターのメンバーで野球をする楽しさを改めて実感できました」

もう一つの目標である“全国ベスト4”へ

純一監督は大会を終えて、このように総括した。

「連覇というのは我々だけが挑める権利でしたし、達成したからこそ言えるのは、勝つことでチーム力が本当についたと言えます。

どんな試合もそうですが両試合ともに投手の立ち上がりが問題だと思っていたので、初回を0点で凌げた時に“行ける!”と思いました」

加えて、チームの成長についてもこの2試合で着実に前進していることを肌で感じられたと語る。

「上位・下位打線と切れ目がなく、それぞれが『チームのために何ができるか』といった役割を自身で考えられるようになっていると感じます。

途中から出場した選手も全員活躍できて、チームの底上げを実感できました。ドリームスターの練習は守備・打撃・紅白戦全てのメニューを全員でやりますので、その成果を出せましたね」

チームが一つになって勝ち獲った連覇だった

これで11月1日・2日に兵庫県豊岡市で行われる「全国身体障害者野球選手権大会」の出場権を獲得した。選手権に向けてそれぞれが強い想いを語った。

「監督としての2年目は、私自身としても成長できた大会でした。選手を信じる・褒める・任せる・根気よく取り組む・ぶれないを実践してきましたから。

今年のチーム目標の一つである連覇は達成できました。今の千葉ドリームスターは全国優勝する力はあります。あと残り一つの目標は“全国大会ベスト4”です」(純一監督)

「関東甲信越大会の連覇は達成できたので、今年掲げたもう1つの目標である全国ベスト4を取りに行く。東日本からも障害者野球を盛り上げていきます!」(来夢選手)

そして目標通り大会MVPに輝いた上原投手。約2週間後には選ばれし者しか出場できない全国大会に臨む。

「過去に関東甲信越大会優勝は何度か経験させていただきましたが、今回が一番濃い優勝でした。

この優勝を通過点に11月の全国大会でも優勝、また来年の世界大会で日本代表に選出されるように頑張りたいと思います」

各地域で優勝したチームのみが出場する選手権大会でも勝ち進むべく、ドリームスターは手綱を再び締めて挑戦を続ける。

(おわり)

関連記事