『岩手の人たちの日々の幸せの一端に』…サッカーのある日常を目指して ~(第5回)いわてグルージャ盛岡、震災に向きあい続けた岩手のサッカー人たち
東日本大震災から10年。未曾有の災害で大きな被害を受けた被災地では今もなお復興の取り組みが続く。いわてグルージャ盛岡(以下グルージャ)をはじめとする岩手のサッカー人たちも、試行錯誤の中、震災と復興に向き合い続けてきた。
この10年、サッカーは被災地に、復興のために何ができたのか。ここからの10年、ができるのか。最終回となる今回は、現在企画を進めているサッカーレジェンドOBを招聘しての岩手県中学生選抜との試合イベント『2021年頑張ろういわてスペシャルマッチ』(10月9日開催予定)に寄せた想いやイベントの意味と併せて、様々な岩手サッカー人たちの言葉から振り返る。(全5回連載/第5回)
サッカーは復興に何ができたのか―「繋ぎ止めた子どもの夢」
サッカーは復興に何ができたのでしょうか――この質問に対するサッカー人たちの答えは多岐に分かれた。
震災直後から開始した、がれき撤去支援、物的支援。「サッカー人としてではなく、まず一人の日本人としてやるべきこと、できることを」(当時グルージャ所属の選手)という思いで無我夢中で始めた。
サッカーを通じての支援も進めていった。復興支援としてのサッカー教室やイベントには、多くのプロサッカー選手、レジェンドOBが駆けつけた。
「少しずつ物資が整って、やはり心のケアが大事、ってステージになってきた時になにか出来ないか、と。自分たちがサッカーをしてきてよかった、自分にも出来る事があるんだな、というのを直接(被災者の方々と)ふれて彼らの言葉を聞く中で、感じていました」(鳴尾直軌氏/当時グルージャコーチ)
「親たちも、家も仕事も何もなくなった。でも、自分たちはできなくても、子どもたちだけはサッカーしてほしい、という親や地域の人たちの思いがあって。それを支援が後押ししてくれました。おかげで、なんとか続けられた。現地の子どもたちには、夢を持ち続けてもらうことが少しは出来たかもしれません」(佐藤訓文氏/現岩手県サッカー協会会長)
被災地の少年として支援を受け、諦めようとしたプロ選手になる夢を繋ぎ止めた菊池 流帆選手(きくち りゅうほ/現ヴィッセル神戸所属)。
『サッカー教室を開いてくれた。サッカー用具や服などの支援物資もたくさんもらった。(中略)でも、本当に自分がもらったものはそんなもんじゃない。 夢、希望、勇気、愛。 計り知れないものをいただいた』と自身のnoteに記している。
サッカーは復興に何ができなかったのか―「一時の気晴らしに過ぎない」
一方で、その限界も感じていた。一時の気晴らしにしかなっていないのではないか、という迷い。大人までカバーしきれなかった支援。
「サッカーで勇気を与えることもあったと思います。でも、どうしてもひと時に過ぎない。自宅がない、家族を失った…すぐにそんな日常に戻ります。どうやったらその人たちの普段の生活を支援できる、変える手伝いができるんだろうか、と。サッカーと結びつけてやるのは、凄く難しいな、と正直思いました」(中村学氏/当時グルージャコーチ)
「子どもたちには、色んな支援が届き、サッカーを続けることができました。(辞めてサッカーからも離れていったまま)戻らないのが大人。まだまだ引きずっています。『サッカーやってもいいんだ』という雰囲気には、もう少しかかるのかな」(佐藤訓文氏)
グルージャが見い出した一つの答え―『サッカーのある日常を』
復興のためにできたこと、できなかったこと――様々な話が交差する中で、皆が共通して口にしたことがあった。『復興はまだ終わっていない』という言葉だ。
震災後10年、今なお続く復旧工事。サッカーのインフラが復活しても戻らない大人のサッカー人口。震災の日から止まった大人たちの時間…。
サッカーは復興に何ができるのか。
グルージャが見い出した一つの答えは、『サッカーのある日常をつくる』ことだった。
生活の一部にあるグルージャを目指す
「日常的な生活の一部になれれば、と思うんです」中村氏は語った。
「色んな人たちが一瞬でも笑顔になっていただけるんであれば、それが今度、日常的な生活の一部になっていけば、と思います。今日グルージャどうだったんだろう、勝ったんだよ、というのが生活の中に自然と入っているようでありたい」
「その時一つひとつの試合だけでなくて、(今回のいわてスペシャルマッチの様なイベントが)サプライズ的に来月もあるの、来年もあるの、といった形で続けられれば。その時その時(生んだ幸せを)忘れ去られないようにしていかなきゃいけない。岩手の人たちの日々の幸せの一端を担えるように」
日常化に向けて、繰り返し。その目標に、佐藤会長が震える声で振り返った言葉が重なる。
「(被災地の助けになったのは)結局、継続なんです。何か一つのきっかけでよくなってきた、っていうのではなくて。ずっと継続してもらった。これに尽きます。川崎フロンターレも、浦和レッズも、東北人魂(東北人魂を持つJ選手の会)も、本当に毎年」
実現のために磨いていくチーム力
繰り返し、継続していくことで、日常に。その実現にはクラブとしても力を蓄えていく必要があることも感じている。今年よりグルージャ運営会社の代表取締役社長を務める坂本達朗氏は現状を語る。
「まだまだ存在感が薄い、と認識しております。盛岡市周辺はまだしも、沿岸部・北部・南部、周辺の方では認知度が低い状態です。今回の『2021年頑張ろういわてスペシャルマッチ』を機会に、まずはグルージャのことを知ってもらう機会になればと思います」
今回のイベント自体を力を蓄える機会にする、と見据えている。
「普段の数倍の観客を迎える形になります。スタッフにとっては、盛り上がりをみて、こんな風景を今後も作っていくんだ、と感じる機会になる」(坂本達朗氏)
「その時開催できた、盛り上がったから良かった、ではなく、それをどうやって(自分達を含む)大人たちが成功体験に結び付けて継続していくか、というところが凄く大事なところです。来年再来年も続けられるように。
震災があって、人々が立ち上がって、こういうイベントや形ができてきた。子どもたちや街の人に少し笑顔を生めた。これを、震災の出来事も含めてどうやって伝えていくか。そしてどうやって継続していくか、というのが私たちの役割だと思っています。
岩手でサッカーをするにあたって忘れてはいけない、私たちの宿命です」(中村学氏)
岩手サッカー人が寄せる期待―「大人たちが変わっていくきっかけに」
イベントで生まれる子どもたちの夢。成長していくグルージャ。岩手のサッカー人たちはスペシャルマッチが生む様々な影響に期待を寄せる。
岩手サッカー協会の佐藤会長は、「大人が変わるきっかけにもなれば」と語る。
「直接試合をするのは若い子ども達ですが、レジェンドの姿を見て喜ぶのは大人たちかもしれません。若い頃にテレビで見た日本代表たち。子どもたちだけであればこれまでも(復興支援の)招待イベントなどに呼ばれて(選手を)目にする機会がありましたが、大人にはなかなかなかった。今回岩手に来てくれることで、両親、祖父母、沢山の大人たちが実際に見ることができます。大人たちがまた、「サッカーはいいな」って感じて、戻ってくる機会になってくれればいいな、と」
「(グルージャが成長することで)少しずつ見える夢が広がってきます。グルージャがJ3に上がって、スタジアムに照明ができた。照明ができて、天皇杯で勝ったから、清水エスパルスが岩手に来た。この先、川崎フロンターレが、浦和レッズが来るかもしれない。じゃあスタジアムどうしようか。そうやって、町も市も県も盛り上がっていくでしょう。
そして大人たちが、「サッカーやってもいいんだ」って雰囲気になり、自然とまた子どもたちも「お父さん、お母さんがサッカーやってるんだから、俺もやりたい」ってなる。そうなれば本当の復興かな」
中村氏や鳴尾氏ら元プロ選手たちは子どもたちの成長の機会として想いを寄せる。
「岩手の子どもは、殻に閉じこもりやすい、『意見を言わないようにしよう』と思われています。レジェンドマッチを通じて、「すごいな」だけじゃなくて、いや、みんなができるなら、僕も私もできるんだ、って少しでも思ってくれればうれしいですね。
自分だったらこういうことがチャレンジできる、っていう刺激になる何かとして、小さな時から見て触れてもらって」(中村学氏)
「(一人ひとりの中にある)大きな可能性を感じる機会に。是非自分のやりたい事とか目標に心熱くするきっかけになってくれれば」(鳴尾直軌氏)
スペシャルマッチはその一歩目だ。
「子どもたちには夢の大切さを、大人たちには元気を。岩手には(グルージャの成長も含めて)スポーツの土壌が作られていく機会になればよいと思っています。グルージャも、岩手県内全域から頼られる存在となるよう、取り組んでいきます」(坂本達郎氏)
震災とコロナー震災での経験を活かして、一岩となって
コロナ禍に見舞われた2020年から21年。「外に出られない」「仲間に会えない」「サッカーができない。試合もできないかもしれない」菊池 流帆選手はこの状況を『震災の時とすごく被る』と記している。
コロナで奪われそうな子どもたちの夢をつなぐために。震災の中で起きた様々な出来事とその意味を風化させないために。本当の復興を実現していくために…。
様々な想いを載せて、『2021年頑張ろういわてスペシャルマッチ』の準備は進んでいる。
サッカーの、グルージャのある日常を目指して。グルージャによる復興への挑戦は続いていく。
(全5回完)