箱根駅伝監督人物像 個性派ぞろいの監督たちが歩む変革と挑戦の道
青山学院大の圧勝で幕を閉じた2022年箱根駅伝。すでに2023年箱根駅伝に向けた戦いは始まっている。マラソンに挑戦する選手、ハーフマラソンで走力を確認する選手、そしてトラックシーズンに向けたスピードを磨く選手。4月からは新入生の動向にも注目が集まる。選手だけでなく監督の言動にも注目だ。ユーモアを交えたトークの青山学院大学・原晋監督、熱い檄を飛ばす駒澤大学・大八木弘明監督。
彼らをはじめとする個性派ぞろいの箱根駅伝出場20校の監督はどんな道を歩んで今に至るのか。その経歴を探ってみた。
実業団経験者が主流、休部・廃部経験者も
監督の8割が大学卒業後も競技を続けた実業団経験者だ。ヤクルトでコーチも務めた大八木監督が駒澤大のコーチに就任した1995年は実業団経験者の指導者はまだ珍しかった印象があるが、今ではそれが主流となっている。
出身チームを見ると全日本実業団駅伝で優勝した強豪が並ぶ。2012年以降の優勝チームであれば日清食品グループ(2012年)、コニカミノルタ(2013~2014年)、旭化成(2017~2020年)、富士通(2021年)、そして今年初優勝したホンダ。これらのチーム出身者が10名、半数を占める。
原監督が所属した中国電力も全日本実業団駅伝で優勝経験を持つ名門チーム。チーム創成期の1991年から1996年に所属し、全日本実業団駅伝初出場時のメンバーだ。原監督の引退後、チームはさらに力をつけ優勝2回、五輪代表を3名輩出する強豪に成長した。ゼロから立ち上がったチームに所属した経験、そのチームを日本一に導いた坂口泰監督から受けた影響は自身が一からチームを立ち上げるのにも活きただろう。坂口監督は原監督の高校の先輩(世羅高)でもある。
ダイエー出身者がいることにも注目したい。かつては小売業売上高日本一だったダイエーだが、本業の業績不振により1998年廃部。同年の全日本実業団駅伝で3位となったチームの廃部は陸上界に大きな衝撃を与えた。
当時ダイエーに所属していた山梨学院大・飯島理彰監督は廃部と移籍を経験した。東海大・両角速監督がダイエーから佐久長聖高の教員に転身したのは廃部前の1995年だが、大学卒業後に入社した日産自動車で休部、移籍を経験した。
実業団の休部や廃部を経験したのは両角監督、飯島監督だけではない。帝京大・中野孝行監督はコーチとして廃部を2度経験している。三田工業(現・京セラドキュメントソリューションズ)在籍時の1998年、会社は会社更生法適用を申請、事実上の倒産となり、陸上競技部は廃部。選手の一部は支援を表明した京セラに移籍したが、中野監督は活躍の場を失った。その後コーチを務めたNECも2003年に廃部となった。
NECは同年の全日本実業団駅伝では4位。企業スポーツの選択と集中の方針によるものだった。その時存続したバレー部は後に廃部。現在も残るのはラグビー部のみである。
実業団経験がない監督は4名、その経歴は?
実業団を経験していない監督は少数派だ。
神奈川大・大後栄治監督は日本体育大卒業後、大学院を経て神奈川大学コーチ、中央学院大・川崎勇二監督も順天堂大卒業後、中央学院大学コーチに就任。いずれも20代前半で指導者として一からチームを立ち上げた。
早稲田大・相楽豊監督は卒業後、福島県で高校教員を務めた後、コーチに就任。その後監督となった。
2020年7月に就任した日本体育大・玉城良二監督は長野県の高校教員から母校の監督に転身。長野東高校で女子を指導、公立校ながら全国上位の常連だった。卒業生には東京五輪5000m代表の萩谷楓選手(エディオン)など日本トップクラスの選手が複数おり、指導力に定評がある。2022年は17位に終わった日本体育大の今後に注目したい。
4名のうち、唯一箱根駅伝出場経験がないのは神奈川大・大後監督。選手ではなくマネージャーとして活躍した。当時日本体育大は監督不在。マネージャーの責任は重大だっただろう。
先述の東海大・両角監督のように実業団での選手の経験と高校での指導経験の双方を持つ監督もいる。東洋大・酒井俊幸監督もそうだ。選手引退後、母校の学法石川高で指導していた。その縁もあって学法石川高から東洋大に入学する選手は多い。10000m日本記録保持者で東京五輪代表の相澤晃選手(旭化成)もその一人だ。
予選会で敗れた大学にも注目 ~激戦必至、豪華な指導者陣~
2021年予選会で敗退した11位から20位の大学についても監督の経歴も調査した。出場校と違い全員が箱根駅伝経験者※であり、実業団経験者。箱根駅伝優勝経験者が4人、実業団時代の活躍も華やかな監督が多い。選手としての実績なら「出場校より豪華な顔ぶれ」と言ってもよいだろう。
※東京経済大・井村光孝監督は関東学生連合での出場
東京農業大・小指徹監督は先述のダイエーでマラソン選手として活躍。故障で出場辞退したが世界選手権代表に選出された。1998年に富士重工(現SUBARU)の初代監督に就任し2011年まで監督を務め、2022年全日本実業団駅伝2位の礎を作った功労者だ。長男の小指卓也選手(早稲田大・3年)は2021年の箱根駅伝に出場した。
立教大・上野裕一郎監督は5000mで世界選手権代表経験を持ち、スピードに定評があった。現在も10000m28分台の走力を持ち、練習やレースで部員を引っ張る。
慶応義塾大・保科光作監督は日清食品グループが2010年、2012年に全日本実業団駅伝に優勝したときのメンバーだ。2010年の優勝時には駿河台大・徳本一善監督もメンバーに名を連ねている。
優勝経験者4名は全員優勝時に区間賞
今回調査した予選会敗退校10校の監督のうち4人が箱根駅伝優勝経験を持ち、その全員が箱根駅伝に4年連続で出場、優勝時に区間賞を取った。
箱根駅伝出場校の監督20名のうち、優勝経験者は4人。それを考えると予選会敗退校10校の優勝経験者の多さが目立つ。
4年連続5区を走った流通経済大・奈良修監督(大東文化大出身)は1年時に優勝と区間賞を同時に手にした。拓殖大・山下拓郎監督(亜細亜大出身)は9区で駒澤大を逆転しトップに立った。
城西大・櫛部静二監督(早稲田大出身)は1年時から2年連続2区で区間2桁順位。3年時は1区で区間賞。30年破られなかった3000m障害高校記録保持者だったことでも知られる。その記録を更新したのが東京五輪3000m障害7位の三浦龍司選手(順天堂大)だ。
上武大・近藤重勝監督は4年連続5区。2年時と4年時に区間賞、チームは4年時に初優勝している。
この初優勝はまるでドラマのように劇的だった。前年の1996年72回は山梨学院大とともに4区で途中棄権していたのだ。(区間賞は中央大の榎木和貴創価大監督。中央大学は総合優勝だった。)
この年5区を担当した近藤監督はたすきを受け取ることなく最後尾からスタート。悔しさと動揺があったはずだが、必死に箱根の山を上り区間2位の走りを見せた。
そして翌年再び5区を走り、区間賞でチームを初優勝に導いた。
シード権を取れなかった10校も含め、豪華な指導者陣が率いる大学が予選会で戦う。2022年の予選会も激戦は必至だ。
豪華な監督の経歴、元五輪代表の監督はいない?
経歴を並べた監督30人に五輪代表経験者はいないが、これは偶然だろう。
予選会22位の亜細亜大にはシドニー五輪マラソン代表の佐藤信之監督(中央大出身)がいる。東洋大前監督の川嶋伸次氏(現旭化成コーチ)も同じくシドニー五輪マラソン代表だ。この二人は旭化成でチームメイトだった。
川嶋氏は予選会で敗退することもあった東洋大を優勝に手が届くチームに成長させた。その東洋大から旭化成に入社した相澤晃選手は10000mで日本記録を更新、東京五輪代表となった。
浦田春生前中央大監督はバルセロナ五輪代表、上武大監督から実業団のGMOアスリーツ監督に転身した花田勝彦氏はアトランタ・シドニー五輪代表。近い将来また五輪代表経験を持つ監督が誕生するだろう。
変革が求められる現場 ~監督の動向にも注目~
箱根駅伝の状況は大きく変わった。厚底シューズの登場による高速化は過去の成功体験を一気に覆した。2018年から強化を開始した立教大のような新規参入校も強化を進める。4年間で選手が入れ替わり、選手の気質も変わっていく。
激しい変化の中で監督には常に変革を求められる。変化に追従できなければ衰退が待っている。だがこれまでも多くの監督が変革に挑戦してきた。一からチームを作り上げた監督、衰退していた名門校・常連校を立て直した監督、黄金時代の成功体験を捨て新たな強化策に挑む監督、高校の指導者から転身し母校の復活を請け負う監督。2022年も多くの監督が様々な変革に挑戦するだろう。
変化が激しい時代。だからこそ監督たちが挑戦する変革に注目したい。