「どん底」から這い上がった元Jリーガー・近藤直也が歩む充実のセカンドキャリア

 セカンドキャリアの形成に不安を抱くアスリートは少なくない。タレントや解説者、指導者として第二の人生をスタートできるのは一握りの存在。ほとんどのアスリートはアスリートでなくなったとき、長年かけて磨いてきたスキルとは別のスキルを身につけ、引退後の人生設計をしなければならない。特に競技に専念するトップアスリートは、セカンドキャリアについて考える時間さえ確保するのが難しい。

 Jリーグ通算401試合に出場し、日本代表経験もある元プロサッカー選手・近藤直也さんは、当時では珍しく現役時代からサッカースクールを経営していた。現役引退後はさらに活動を広げ、着実にセカンドキャリアを築いている近藤さんに、自身のサッカー人生と現在の活動について話を聞いた。

文武両道の学生生活、叶えた「Jリーガーになる」目標

 近藤さんがサッカーを始めたのは幼稚園生の頃。幼少期は外遊びの延長としてサッカーを楽しんでいた。小学校高学年になると技術も向上し、柏レイソルジュニアのセレクションに合格。当時は茨城県つくば市の自宅から遠いこともあり辞退したが、高校入学後に柏レイソルユースに入団した。

 通っていた茨城県立竹園高校は県内屈指の進学校。放課後はほぼ毎日、電車やバスで往復約2時間半かけてユースの練習に参加していた。その時間を英単語の暗記に充てるなど勉強にも真剣に取り組み、学業成績はトップクラスだったという。「二重の生活で毎日楽しく、充実した3年間だった」とまさに文武両道の学生生活を振り返る。

近藤さんが経営するサッカースクールでの教え子たちとの集合写真

 一方で、「Jリーガーになりたい」との思いは一貫して変わらなかった。ユースではMFだった高2まではレギュラーをつかめずにいたが、高3になる直前の3月にDFへポジション変更したことが転機となり、スタメンに定着。6月には柏レイソルトップチームから内定をもらい、Jリーガーとしての道が開いた。

「浮き沈みの激しかった」現役生活、だからこそ伝えられること

 Jリーグでは、公式戦初出場した2年目に初得点を記録し、3年目には27試合に出場するなど、順調なスタートを切った。しかし4年目を迎えた2005年、悲劇に見舞われる。下腹部や内転筋の付け根が痛むグロインペイン症候群を発症したのだ。サッカーをはじめとしたスポーツ選手特有の疾患で、くしゃみをするだけで激痛が走る。サッカーどころか、ジョギングさえできない状態に陥った。

 手術、リハビリののち約4か月で復帰したが、今度は練習中に右膝の靭帯3本を断裂する大怪我を負う。医者には「交通事故以外では見たことのない怪我。治るかどうかわからない」と告げられ、その時は頭が真っ白になり涙が止まらなかった。競技復帰までそこからさらに約1年を要し、その期間は「相当病んでいた」という。元気にプレーする選手を見ると「なんで自分はあそこにいられないんだ」、「怪我さえしていなければ試合に出ているのに」とマイナスな感情ばかりが湧き上がるため、チームメイトとはなるべく顔を合わせないようにするほどだった。

現役時代の近藤さん

 復帰後も相次ぐ怪我に悩まされ、「人のせいにしてしまい、自分と向き合えない」日々が続いた。一方、その根底にあったのは幼少期から変わらない「負けず嫌い」な性格。どんなに気持ちが落ち込んでも、チームメイトを羨んでも、サッカーから目を背けることはしなかった。怪我を乗り越え、2010年、11年はチームのJ1昇格、J1優勝に貢献。12年には日本代表に初選出され、キリンチャレンジカップ・アイスランド戦に出場するまでの復活を遂げた。

 柏レイソルとの契約が切れたあとはジェフユナイテッド市原・千葉、東京ヴェルディの2チームでプレーし、20年に引退。自身が「浮き沈みが激しかった」と表現する現役生活は悔いも残ったが、「いろんな経験をし、どん底を味わったからこそ、それを人に伝えることができる」と前向きに捉えることもできるようになってきた。

現役中からいち早く行動、突如芽生えた「セカンドキャリア」への意識

 怪我でプレーができない間も「このままサッカーができなくなる」との考えはよぎらず、全身全霊でサッカーと向き合ってきた。そんな近藤さんが「セカンドキャリア」について考えるようになったのは、30歳を迎えた2013年のこと。現役を引退した先輩の現況を知る中で、引退後に自分のやりたいことを仕事にするために早めに動き出す必要があると感じた。

 「何も考えずにサッカーだけしていたら将来どうなるかわからない。当時はサッカーを教えるという選択肢しかなかったが、それでも何かを始めたいという思いがあった」。経営の知識に長けていたわけではなかったが、手探り状態のまま会社を設立し、茨城県内でサッカースクールの経営に着手した。当時はSNSも今ほど主流になっておらず、簡単に情報を手に入れられる時代ではなかったため、週に1、2回経営者を訪ねて話を聞くなどし、知識を深めていった。

農業に関する事業の展開も模索している近藤さん(右)

 現役を引退し自由な時間が増えてからは、活動の幅が大きく広がった。それも、むやみに手を広げているわけではない。近藤さんは「自分の興味のあることでしか動いていない」と話す。例えば農業の分野に興味を持ち、農家と接する中で、ホームページなどを通じた情報発信を行うプロジェクトを立ち上げた。9月からは体操体幹トレーニング教室をつくば市にオープンし、老若男女に運動能力向上の機会を提供している。

後輩たちに伝えたい、「サッカー以外に何があるか」探る時間の重要性

 アスリートのセカンドキャリアはどうあるべきか。近藤さんは「引退するまでサッカーにしか気持ちが向いていなかった人が、興味のないこと、好きでないことを仕事にするのは難しい」と指摘する。

 その一方、「Jリーガーにはすごく時間がある。サッカーをするのと同時に、自分にはサッカー以外に何があるんだろうということを探る時間を作ってもいいと思う」との考えを話してくれた。午前中で練習が終われば、夜までフリーな時間が生まれる。その時間を活用し、興味のある分野を見つけていくという考えだ。現役時代から積極的に動くことが、引退後の選択肢を増やすことにつながる。

体操体幹トレーニング教室をオープンさせた近藤さん

 近藤さんは先日、SNSで「アスリート飯」の写真や説明文を投稿する、とあるJリーガーのアカウントを見つけた。投稿には多くの反響があった。「好きなことを発信し続けるのは苦ではないはず。現役の内から動く一つのかたち、ヒントになるかもしれない」。時代が変化し、模索の方法も多様化してきている。

 近藤さんの当面の目標は、「子どもたちの運動能力を引き上げるため、体操体幹トレーニング教室をつくば市以外の地域にも展開していくこと」。サッカーに全力を注いできた男が、今は充実したセカンドキャリアを全力で歩んでいる。

(取材・文 川浪康太郎/写真提供 近藤直也氏)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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