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オシム監督のレガシーを受け継ぐ、「奇跡」の時間を過ごした者たちの思い~オシムチルドレン座談会(後編)

 イビチャ・オシム氏の薫陶を受けた「オシムチルドレン」の一員である佐藤勇人さん、羽生直剛さん、山岸智さん、水野晃樹さん、ジェフユナイテッド市原・千葉時代にオシム氏の通訳を務めた間瀬秀一さんの5人による座談会。最終回となる今回は、サッカー界にオシム氏のレガシーが遺り続けている理由、そしてそれを後世に受け継ぐためのそれぞれの生き方を語ってもらった。

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日本を愛し、生き方を教えてくれた恩師

――オシムさんがみなさんの心に残り続けているのはなぜだと思いますか?

佐藤:僕は一言で、誰よりも愛情があった人だなって。日本を離れてもみんなに愛されているのは、本当にフラットにたくさんの人に愛情を持って接してくれたからだと思っています。

羽生:まずは関わる全ての人を成長させて、影響を与えている人。そしてリーダーとしての在り方のレベルが高いし、偉そうにしていてもいいくらいの人なのに結局は一人一人をリスペクトしてくれている。一人一人の人生を一緒に考えてくれる。偉ぶらないし、一人一人と目線を合わせてくれるので、みんな好きになっちゃうんじゃないですかね。その上で優勝争いを経験させてもらえる。その辺の両極端なところなのかな。

山岸:自分は正直、オシムさんと出会わなかったらここまでのプロとしてのキャリアは踏めなかったと思います。あれだけのキャリアを持っている方が日本に来られたこと自体が奇跡ですし。その中で自分たちは若い年齢の時にオシムさんと出会って、トレーニングで極限まで追い込まれて成長できたからこそ結果も残せたし、ついていってよかったなと素直に思います。出会えたことに感謝していますね。サッカーをやっていてよかった、自分の人生の一番の宝物になったと感じています。

現在は指導者の道を歩んでいる間瀬

水野:一つはオシムさんが日本を愛してくれた。日本の文化にも興味を持っていたし、知ろうとしてくれた。あと、練習中に監督は試合で使うメンバーを見がちですけど、オシムさんはそうではなくて、どちらかというとサブメンバーを気遣って見てくれていた。自分は高卒上がりで体重が50数キロしかないマッチ棒みたいなやつで、オシムさんの練習もきつかったんですけど、自分を最大限生かせる場面で自分のことを見てくれて評価してくれて、だからこそ1年目から使ってもらえた。日本のサッカー、日本の選手の特徴を生かしてどうすれば世界と渡り合えるかというところまで計算していたからジェフでも結果を残せたし、代表でもいいサッカーができた。なおかつ日本人に合った、日本人を生かせるサッカーを作り上げたからこそ評価している人が多いと思っています。

間瀬:オシムさんって、俺らに生き方を教えてくれたよね。車の運転から一個一個だめ出しをされて、トランプをしても怒られたり蹴られたりしたこともあるけど、トランプとか運転とかそういうことではなくて生き方を教えてくれた。しかも、俺らは10代、20代で生き方を教えてもらったので、あの時の出来事があの時の出来事だけで終わっていない。俺らはあの人に出会ったおかげでまだ先の人生があって、各々の立場や各々の分野で続いている。俺はオシムさんと同じ指導者、監督という生き方を選んだけど、あの人に会わなかったら監督になるつもりはサラサラなかった。俺はJリーガーになれるような選手じゃなかったので海外でプレーするしかなくて、言葉を覚えたおかげでオシムさんの通訳になれた。そんな自分がS級を取ってJリーグの監督をやったり、モンゴルの代表監督をやったり、そんなところまでいけたのはオシムさんに生き方を教えてもらったから。あと、あの人は代表監督の就任会見で「日本のサッカーを日本化する」と言った。それって日本人は日本の特徴、やり方で勝負できるとみんなに伝えたわけだよね。各々持っているもので勝負できることを教えてくれた。それに尽きる。

オシム監督の哲学を受け継ぐ者たちの使命

――オシムさんのレガシーを、どう受け継いでいきたいですか?

羽生:オシムさんは個人の強みを見てくれて、強みを掛け合わせていた。僕は今会社を立ち上げて、メンバーを増やそうという時に、リーダーとしての振る舞いでオシムさんを真似したらどうなるんだろうとか、みんなの強みに目を向けるってどういうことなんだろうとか、考えています。僕らはサッカーから生きていく上で大事なこと全てを教わりましたけど、それを全然違う分野でやってみたくなった。「羽生さんだったらサッカーの指導をして伝えるべきだ」とも言われるんですけど、そっちじゃないなと思って。引退後オシムさんに会った時に、「もっと上を見ろ、空は果てしない」という名言をもらいました。オシムさんも亡くなるまで何かしらのことにチャレンジしていたと思うし、僕もそういうふうに生きたい。

水野:自分はまだ現役としてプレー(J3・いわてグルージャ盛岡所属)していて、自分のサッカーのキャリアがほぼオシムさんで作られているので、興味を持って聞いてくる選手にはオシムさんの話をしています。特に今J3に所属していて、J3で活躍してそれで満足したり勘違いしたりする選手には、「サッカーをやっているんだったらJ1やJ2、ゆくゆくは海外とか代表でプレーするのが目標じゃないのか」という話はしますし、具体的なプレーの判断のこととか、指導者目線で話すこともあります。オシムさんが考えていたように日本人特有のアジリティや素早さの部分は日本人ならではの長所だと思うので、いずれは指導者になってその強みを伸ばしていきたい。そういう部分を今現在もそうですし、今後のセカンドキャリアでも生かしていこうと思っています。

山岸:僕は現役中から指導の道を進んでいて、指導を5年くらいやっているんですけど、自分のサッカー観を変えてくれたのはオシムさんだし、そのサッカー観を未来ある子どもたちにどう伝えていくかということを常に考えて指導してきました。オシムさんのやり方を全て真似してもうまくいくわけはないので、オシムさんのやり方を参考にしながら自分なりの伝え方を一生懸命トライしている段階。これからもオシムさんを参考にしながら、子どもたちに伝えていきたい。

オシム氏との思い出を語り合う参加者たち

間瀬:オシムさんのレガシーという意味では、オシムさんが日本にいたこと、代表監督だったこと、ジェフで指揮を執ってくれたことを受け継いでいくことは大事。今後もオシムさんのことは語っていきたい。もう一つはヤマが言うみたいに、一人一人の生き方としては、オシムさんの真似をすることではない。指導者として、今は社会人サッカーでJFL昇格を目指す戦いをしていて、去年は中学1年生を教えていたんだけど、オシムさんの一番近くにいた指導者として、どんなカテゴリーであっても選手を大切にしてみんなで成長して勝つことは続けていこうと思っています。

佐藤:僕は勝手になんですけど、悔しさと責任を感じているんですよね。それは何かというと、オシムさんをピッチに戻すことができなかったことです。誰よりもサッカーを愛していた人なので、ピッチで倒れるぐらいの方がよかったのではないかなと、本当にそれくらいの人だと思っています。日本を離れた後の記事を読むと、オシムさんは必ず「それでジェフはどうなんだ?」「あの選手は今何しているんだ?」とずっと気にかけてくれていました。僕はジェフに残っている身として(2020年から「クラブユナイテッドオフィサー」に就任)、ジェフに何かしらの形で関わってもらうようにしたかった。でもできなかった。じゃあこの先はどうするんだという問いを、オシムさんが亡くなってからずっと考えて、今動き出している。ジェフは30年ある歴史の中で、唯一輝いていたのは残念ながらあの時期しかないので、どう近づき、どう追い越すことができるかということを考えている。それができないのであればクラブから去るしかないと思っています。

 「こうやって集まって話しているけど、オシムさんと出会って、一緒にサッカーをやらせてもらえたことって、奇跡だよな」。座談会の途中、参加者の一人である間瀬はそんな言葉を口にした。「奇跡」の時間を過ごした者たちは、それぞれの分野で、それぞれの生き方で、オシム氏のレガシーは受け継いでいく(完)

(取材・文 川浪康太郎/写真提供 ジェフユナイテッド市原・千葉)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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